第16話 魔王の切り札と、偶然の奇跡
黒雲が渦を巻き、稲光が絶望の峰を裂いた。
傷を負ったはずの魔王ヴァルゼルドは、なおも不敵な笑みを浮かべていた。
「面白い……だが、まだ終わりではない」
その両手に集まるのは、黒き瘴気の奔流。
山全体が悲鳴を上げるように震え、岩が砕け、空が割れた。
「――来い、“深淵の巨影”!」
魔王が呼び出したのは、闇から這い出る巨獣。
人の百倍はある影の怪物が、うねる触腕を広げて戦場を覆った。
「ひぃぃぃ!? なんだよアレぇぇぇ!」
兵士たちが恐怖で足をすくませ、ヒロインたちも顔を青ざめさせる。
「勇者様……!」
「お願いします、あれを討ち払って!」
「私たちを導いてください!」
……いやいやいや、絶対無理だろあんなの!
巨影が触腕を振り下ろした。
俺は反射的に転げて逃げた。
――すると。
俺が倒れ込んだ場所には、戦場に放置されていた“古代の神具”があった。
手に触れた瞬間、光が爆ぜ、巨大な魔法陣が広場全体に展開する。
「な、なんだこれぇぇぇ!?」
触腕が魔法陣に絡みついた瞬間、光が逆流し、巨影ごと爆散した。
ドォォォォンッ!!
「…………」
沈黙。
次の瞬間、兵士もヒロインたちも、一斉に歓声を上げた。
「勇者様が……魔王の切り札を一撃で!」
「まさに神の奇跡!」
「救世主……救世主だ!」
俺は尻餅をついたまま、両手をぶんぶん振った。
「ち、違うって! 俺はただ転んだだけで――」
「勇者様の“偶然をも操る力”……恐るべし!」
「これぞ運命を導く英雄の証!」
(いやいやいや! 偶然を操ってるんじゃなくて偶然に操られてるんだって!)
魔王ヴァルゼルドは苦しげに笑った。
「フ……やはり……お前だけが、我の敵……」
彼は黒い霧と共に後退し、残る軍勢も一斉に退却していった。
戦場には歓喜の声が響き渡る。
「勇者様が魔王を退けた!」
「これで勝利は目前だ!」
……いや退けたのは俺じゃなくて、勝手に退いたんだろ!?
その隅で、アレスは歯を食いしばっていた。
「ぐっ……まただ……またカイに……!」
嫉妬と絶望に狂った彼の瞳が、ゆっくりと暗闇に染まっていくのに、誰もまだ気づいていなかった。