第6話 ふたりの新たな門出
6月中旬の日曜日、千歳と拓嗣くんのレストランウェディングが無事行われた。曇天ではあったが何せ梅雨時期だ、天候に恵まれたといえる。降水確率は20パーセントだった。
会場はなんばのビストロ。なんばは大阪屈指の繁華街である。お昼から空いている居酒屋なども多い。
メディアなどで大阪が紹介されるときに、高確率で取り上げられる景色はなんば道頓堀川のあたりである。プロ野球団阪神タイガースがリーグ優勝などをすると、テンションが上がったファンが飛び込むあの川だ。決して真似をしてはいけない。
1985年にタイガースが優勝したときには、ケンタッキーフライドチキンのカーネルサンダーズ人形がファンによって投げ込まれた。それから行方不明になっていた人形は24年後の2009年、川沿い遊歩道の整備中に発見された。
その人形はしばらく保管されていたが、経年劣化により保存が難しくなり、2024年、大阪の住吉大社で供養された。この住吉大社は阪堺電車沿いにあり、全国の住吉神社の総本山である。
川沿いの遊歩道には飲食店などもできたのだが、出してある置き看板などが、酔っ払いなどによって川に放り込まれたりしているらしい。
と、治安は決して良いとは言えない街である。それでも日々、大阪府民や観光客の食欲と酒欲、物欲を満たしている。ここ近年は外国人観光客もぐっと増えていた。
大阪メトロ御堂筋線に千日前線、四つ橋線やJR、南海電車も通っていて、利便性の高い街でもある。結婚式会場をこのなんばに選んだ理由のひとつでもあった。
会場内にメインテーブルは置いてもらったが、基本は立食、お料理はビュッフェ形式だったので、来賓には気軽に参列してもらえたと思う。千歳もじっとはしておらず、会場内をうろつきまわった。もちろんごちそうも堪能した。切りたてのローストビーフは美味しかった。
良い式だったのでは、と千歳は思う。会場は笑顔で溢れていた。家族と両親きょうだいと今も仲の良い親戚、そして近しいお友だち。皆に盛大に祝われて、千歳は本当に幸せだった。きっと拓嗣くんも。
結婚というものは、確かに当事者ふたりがいれば成り立つものなのかも知れない。だがたくさんの人が巻き込まれるものでもある。お祝いの気持ちは周囲に流れ、溢れ、膨れ上がる。
新しい家族や親戚もできる。新たな関係はきっとふたりにも影響する。それは良きものであれ悪しきものであれ、繋がった縁である。悪縁で無い限り大事にできるのならしたいと思っている。
結婚式の数週間前には家族の顔合わせがあり、あべのハルカスダイニングの和食レストランで当人たちと互いの両親、そして千歳の兄で席を埋めた。拓嗣くんはひとりっ子である。
千歳の目から見て、初めて会う拓嗣くんのご両親は優しそうな人に見えた。だから拓嗣くんも穏やかな人なのだな、と思わせる様な。
それでも万が一、俗に言う嫁いびりなんてものがあったら、千歳は堂々と迎え撃つつもりである。それが千歳なのだ。
結婚式のあと、千歳たちは大阪国際空港内にある大阪空港ホテルに移動していた。今夜はここで1泊し、明日から飛行機で3泊4日の新婚旅行。行き先は梅雨が無い北海道だ。拓嗣くんがあまり長く連休が取れないので、この日程になった。
千歳と拓嗣くんはすでに入籍し、あびこの新居でふたりの生活を始めている。なのでお家に帰っても問題無かった。あびこからなら大阪国際空港でも関西国際空港でも、移動はそこまで手間では無い。
だが結婚式の余韻に浸りたい、特別感が欲しいと拓嗣くんが主張したのだ。結婚式においては千歳の希望を聞いてもらったこともあって、ホテルに1泊ぐらいなら、と受け入れたのだった。
千歳が先にシャワーを浴び、入れ替わって入った拓嗣くんも出てきて、備え付けのルームウェア姿でベッドに腰掛ける。もうひとつのベッドに座っていた千歳の目から見て、その顔は満足げだった。
「千歳ちゃん、ありがとう」
拓嗣くんがふんわりと笑顔でそんなことを言うので、千歳は「ん?」と首を傾げる。
「僕、豪華な結婚式とかするもんや、すんごいひらひらしたドレスがええんや、それが花嫁さんの幸せや、とか思ってたんやけど、今日、千歳ちゃんのドレス姿綺麗やったし、嬉しそうやったし、来てくれはった人らは楽しそうやったし、良かったんやなって思って」
ウェディングドレスといえば、裾を引きずる様な丈のものが多い印象である。マーメイドドレスならそこまででは無いだろうが、それでも足が見えない長さがあると思う。
だが、千歳が自分の好みで選んだのは、ドレスというよりはワンピースと言っても違い無い様な代物だった。色は白で、上半身はキャミタイプでタイトだったが、腰の切り返しから下はふわりとしたフレアタイプ。長さは一般的なロングスカートと変わらないマキシ丈。
あまり派手、華美を千歳は好まなかった。だからドレスもシンプルなものにしたのだ。あまり動きにくくなるのもごめんだった。
ちなみに拓嗣くんのタキシードも白だった。拓嗣くんいわく、女性のウェディングドレスと同じ意味を持たせたかったのだそうだ。清楚、純潔、純粋、無垢、邪気を祓う、など。
「私さ、結婚式にしても何にしても、誰かと何かやるんやったら、皆が納得してて欲しいなって思うんよ。もちろんそうそう巧くいくことは少ないかも知れんけど、拓嗣くんは私の派手にしたくないって願いを聞いてくれた。こちらこそ、ありがとう」
「ううん、僕、結婚式に大事なんは、まずは祝福されることなんやなってあらためて思ったんよ」
「うん」
本当に、その通りだ。式にはもちろんカレンちゃんと原くんにも来てもらった。華やかなカレンちゃんはワインレッドのドレスが鮮やかに映えていたし、原くんも黒のスーツが似合っていた。
「ねぇ、拓嗣くん、私ね、結婚って、幸せになるための手段のひとつやと思うんよ。拓嗣くんが夢を叶えたんと一緒。何や凄いおおごとに捉えられがちやけど、そんぐらいの感覚やの。もちろん新しい縁ができたりもするけど、それも人間関係のひとつ。気遣い合ったり思いやり合ったりするんも一緒」
「うん」
千歳は淡々と口にする。そこに大きな感慨は無い。6月の花嫁になっておいて、千歳は結婚というものに特別な思い入れがあるわけでは無い。なぜなら、それも生活というもののひとつの通過点だからだ。
大事な人と新たな家庭を築くというのは確かに大仕事なのかも知れないし、子どもでもできようものなら、きっと静かな生活なんて無縁のものになる。それでもそれも生活の一部となり、向き合わなくてはならないものだ。
もちろん理想が無いわけでは無い。こんな生活だったら良いな、こんな家庭だったら良いな、そんなものもあったりはする。だが現実と戦うのはあくまでも千歳と拓嗣くんだ。その折々でひとつずつ解決して行くのだ。
「それをね、ふたりで並んで、していけたらええなぁって思うんよ」
拓嗣くんは「ふふ」と笑みを浮かべる。
「千歳ちゃんはほんまにシビアやね。でも、やからこそ心強いわ」
自分はシビアなのだろうか。あまりその自覚は無いのだが。
「一緒に幸せになろな。これから先、一緒におれて良かったなって思い合える様にしよな」
「うん」
千歳が口角を上げると、拓嗣くんは少し照れた様に「へへ」と笑った。