第5話 お花見をしながら
拓嗣くんの風邪はどうにか3日ほどで落ち着いたそうで、予定よりは1週間遅くなったが、お花見を決行することになった。
もう4月も中旬で、桜は散り始めていて、早いものなら若い葉っぱがちらほらと出ていた。それでも柔らかな桜色は心を穏やかにさせてくれる。
満開だったらきっと浮き足立っていた。桜には不思議と人の心を高揚させる力がある。だから人は桜の季節になると、お花見に馳せ参じるのでは無かろうか。春の風物詩としてきっと昔々から受け継がれてきた。お酒とともにだったり、お散歩を兼ねて歩きながらだったりと、その楽しみ方は様々だが、そうして可憐な桜を愛でてきたのだ。
日本の桜は今や外国人観光客にも人気で、大阪なら大阪城公園などの桜の名所に、外国人が多く見られる様になっている。
千歳が拓嗣くんとお花見をしているのは、長居公園である。あびこから大阪メトロ御堂筋線で1駅。歩いてでも移動できる距離だ。拓嗣くんのお家は同沿線の昭和町駅だから、ふたりでのお花見の場所としてはちょうど良かったのである。
長居公園は大阪市内の公園ではかなりの規模を誇る。セレッソ大阪のホームスタジアムであるヨドコウ桜スタジアム、アーティストのライブやスポーツの国際大会も行われるヤンマースタジアム長居を擁し、他にもバーベキュー場など様々な施設がある。
長居公園には長居植物園もあって、そこにも美しい桜がたくさんほころんでいる。だが公園内にもそこかしこに桜が植えられていて、見事に開花していた。
ふたりがシートを敷いて座っているのは、正面入り口から入って程なくある広場。奥には長居運動場があって、いろいろな年齢の人が球技などに勤しんでいる。
「桜、何とか間に合って良かったなぁ」
「ほんま。結構ぎりぎりやけどね」
「先週はほんま悪かったわ。僕が体調管理ちゃんとできひんかったから」
「ええって。好きで風邪引く人なんて、そうおらんし」
そんな他愛の無い話をしながら、柔らかな風を受ける。
ふたりの間には、千歳があらためて作ったお弁当が広げられている。おしながきは鶏むね肉とうすいえんどうのオーロラソース炒め、難波ねぎとわかめの酢味噌和え、春きゃべつと春人参のナムル、卵焼きである。おむすび数個はひとつひとつラップに包んである。おかずが濃いめなので、シンプルな塩むすびだ。
お外でのお食事なので、できるだけ平性以上の身体を温める食材で固めてみた。わかめは涼性だが、他でカバーできるだろう。ぜひ旬である生のわかめを取り入れたかった。
難波ねぎはなにわ伝統野菜のひとつである。中国から渡ってきた当初は難波周辺で栽培されていたことから、この名前になった。今は松原市で育てられている。収穫時期は11月から4月中旬。京都の九条ねぎや関東の千住ねぎのルーツとされている。
一緒に和えてあるわかめも大阪産である。わかめは三陸や鳴門などが有名だが、大阪湾にもわかめの養殖所があって、旬の時期には生わかめが出回るのだ。河口付近で養殖されているので、川から流れてくる栄養分をたっぷりと取り込んで、肉厚に育つ。なのに潮が穏やかな大阪湾だからか、柔らかなのだ。
拓嗣くんは目を輝かせながらお箸を伸ばしている。美味しそうに食べてもらえることは、千歳にとっても幸せなひとときだった。
お酒は、今はそう量を用意していない。千歳も拓嗣くんもお酒が好きなのだが、このあとカフェなどに場所を変えて、結婚式の打ち合わせをしなければならない。予定日が約2ヶ月後に迫っているのだ。会場は決まったし招待状も送ったが、衣装や音楽、お料理など、決めなければならないことはまだまだある。
4月の今から2ヶ月後ということは。そう、千歳は6月の花嫁になるのだ。ジューンブライド。花嫁が幸せになれると言われているジンクスだ。その由来はギリシャやヨーロッパなどにいくつかあるそうだが、日本で広まったのは、なんてことは無い、結婚業界の策略である。
日本では6月は梅雨だ。なので挙式件数が落ち込んでいた。そこで、とある老舗ホテルがジューンブライドに着目した。6月の花嫁は幸せになれるとアピールし、それが日本に浸透したのだった。
実は、千歳自身はジューンブライドにそこまでこだわりは無い。6月に結婚式をしたがったのは拓嗣くんだった。拓嗣くんはイベントごとが大好きなのだ。
「梅雨やん。もし雨降ったら、参列してくれる人が大変やん」
千歳はそう言って渋ったのだが。
「でもでも、千歳ちゃんに幸せな花嫁になって欲しいやん。せやから6月は絶対に譲れん!」
拓嗣くんがそう力説するものだから、千歳が「しゃあないか」と折れたのだった。
「花嫁が幸せにって言うけど、結婚はふたりで幸せになるんやで。分かってる?」
そうするには互いに努力が必要。頭の中お花畑でいるわけにはいかない。そう釘を刺したつもりだったのだが。
「そうやんな! ふたりで幸せになろな!」
そう、とても良い笑顔で言われてしまった。こりゃ伝わってへんな、と、まぁ呆れもしたわけだが。
その代わり、式場については千歳の意見を尊重してもらうことにしたのだった。あまり派手なことやかしこまったことをしたくない千歳は、レストランウェディングを希望したのだ。
拓嗣くんはホテルや結婚式場で華々しく挙式をしたかったみたいなのだが、そちらにお金を使うより、先々の生活に回す方が良いと千歳は主張した。お金は現実的なことで、それは拓嗣くんも不承不承ながらも納得してくれたのだった。