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わたしたちのゆるり薬膳生活  作者: 山いい奈
5章 誤解と幻覚
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第8話 まさかの返事で

千歳(ちとせ)ちゃん、お疲れ。これから帰るから」


「……拓嗣(たくし)くんもお疲れ。気ぃ付けて帰ってきてね」


 声が不自然にならなかっただろうか。いつもの様な自然さを心掛けたつもりだが。


 拓嗣くんの帰宅時間は日によって変わるので、勤め先であるクリニックを出たところでお電話をもらうことになっている。梅田(うめだ)からあびこまでは、大阪メトロ御堂筋(みどうすじ)線だけなら25分。徒歩の時間を入れたら35〜40分といったところ。今日お電話が掛かってきた時間は19時50分ごろだった。


 まずは豚汁作り。今日は業務スーパーで買っておいたカットいんげんを使う。豚肉は細切れだし、お揚げさんはすでにカットしてあるから、こちらもとことん手を抜いてしまう。


 千歳とて人間である。これまでも順風満帆とは決して言えなかったし、作る気力が沸かないときや、食欲さえ失ってしまうときだってあった。それでも千歳には豚汁があった。豚汁がいつでも千歳の心と身体を暖めてくれた。


 今夜、拓嗣くんとふたりで食べる豚汁は、千歳にそんな効果をもたらしてくれるだろうか。




「え? 何で?」


「え?」


 拓嗣くんが平然と言うものだから、千歳は驚いて目を見張ってしまった。


 拓嗣くんが帰宅して、手早く晩ごはんを仕上げた千歳は、拓嗣くんにも手伝ってもらいながら食卓を整える。


 「いただきます」と手を合わせ、拓嗣くんはもりもりと食べ始めたのだが、千歳はそんな気になれず、早く解決しておきたいと、お昼に梅田茶屋町(ちゃやまち)で見掛けたことを問い掛けたのだ。


 その返事が、それだった。


「別に、千歳ちゃんも友だちと腕組んで歩くやろ? 一緒やん」


 そうあっけらかんと言うものだから、千歳は面食らってしまう。


「そりゃ、同性の、女の子のお友だちとやったらあるけど、異性とはって思って」


「男も女も変わらんやん、友だちなんやから」


 千歳の価値観では、異性のお友だちとは腕は組まない。千歳の中で腕を組む異性同士はかなり親しい間柄であって、それこそお付き合いをしている様な関係だと思っている。


 もしかしたら、そんな千歳の視野が狭いのだろうか。頭がぐるぐるして、めまいがしそうになる。


 もし、もし拓嗣くんが浮気などをしていながらもこんなことを言っている場合、こんなにも真っ直ぐに千歳を見つめ、平然としていられるものなのだろうか。後ろめたさなどが生じないのだろうか。


 少なくとも、千歳の知っている拓嗣くんはそんな性格では無い。お付き合いから結婚をして今まで数年、それなりに拓嗣くんのことは知っているつもりだった。だが、もしかしたらまだ千歳の知らない一面があったのだろうか。


 千歳は拓嗣くんを真面目な人だと思っていた。そして奥手なのでは、と思っていた。


 ……いや、違う。真面目なのは、過去の受験勉強の取り組み方を見てもその通りだと思うのだが、奥手だと思ったのはただの印象だ。拓嗣くんにふたりでの昼飲みに誘われたとき、相談したカレンちゃんに「奥手そう」と言われ、そう信じ込んでいただけだ。


「そうなんや……」


 千歳は愕然としてしまう。拓嗣くんの中では、同性だろうが異性だろうが、お友だちと腕を組むのは常識の範囲なのだ。


 嫉妬、とは少し違う。ただ、異性のお友だちとの関わり方の違いに驚き、距離感に違和感を覚えてしまった。


 夫婦とて、すべての価値観が合うわけでは無い。だが総合して近いものを持っているから、すり合わせをしながら一緒に生活をすることができると思っている。少なくとも千歳はそう思っている。


 なのに、こんなところで、こんな意識の違いが出てくるなんて。


 それが拓嗣くんの価値観であるなら、千歳が口を差し挟むことは難しいだろうか。だが、下手をしたら周りから誤解されやしないだろうか。


 拓嗣くんはこの前、祐美さんを男性と間違えて、千歳とふたりで会っていただけでショックを受けていた。千歳は浮気を疑われたのだ。


 なのに、自分はそれが当たり前なのだと言う。


 自分は男性だから良い、千歳は女性だからだめ、まさかそんなことを言うのではあるまいな。それは男尊女卑、男女差別とは言えないだろうか。


 千歳は拓嗣くんがそんなことをする様な人だとは思っていなかったし、今でも信じられない。


 いったい拓嗣くんは何を考えているのだろうか。千歳は不安になってしまった。


 かすかに震える手で豚汁のお椀を持ち上げる。こくりと口に含むと、豚の脂とお揚げさんの旨味が溶け出したお出汁とお味噌の滋味深さが、一瞬千歳を癒してくれる。だが正面の拓嗣くんを見ると、また心は沈んでしまうのだった。

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