第7話 疑惑だけが沸き上がって
聖ちゃんの撮影は13時からである。福田さんと山下さんと千歳、ゆずちゃんと佐賀屋さんは撮影スタジオが入る雑居ビルの前で合流し、揃って中に入っていった。
千歳はこうした撮影スタジオを生で見るのは初めてだったので、一瞬さっきのことを忘れ、つい好奇心できょろきょろと見渡してしまう。
写真家さんや助手さん、スタッフさんたちと名刺交換をしつつ挨拶を交わし、メイクを施して準備完了の美しい聖ちゃんとも再会できた。
「あ、ゆずとちぃやん」
ゆずちゃんと千歳がそう呼び合っていたからか、聖ちゃんも千歳たちをそう呼ぶことにした様だ。聖ちゃんは千歳たちよりも歳下だが、聖ちゃんの性格をある程度知っていることもあるからか、気にはならない。誰にでもフランクであるのも、聖ちゃんの魅力だ。肝心なところでやらかさなければ大丈夫。
千歳は佐賀屋さんと福田さん、山下さんを紹介する。
「みんなであたしの写真集担当してくれるん? よろしくね」
「こちらこそよろしくお願いします。聖ちゃん、お元気そうで良かった」
千歳が言うと、聖ちゃんはにぃと口角を上げた。
「あたし、細いけど頑丈やねん。風邪とかあんま引いたこと無いし」
拓嗣くんが羨ましがりそうだ。
「ひじりん、今日は楽しみにしてるわ。できるだけ画像処理とか少ない写真にしてや〜」
ゆずちゃんが冗談めかして言うと、聖ちゃんは「えー?」と少し拗ねた様にしつつも、最後には快活な笑みを浮かべる。
「ふふん、そんなんカメラマンに言うてや。ほな、行くわな」
聖ちゃんはそう言って、ひらひらと手を振って踵を返した。スタジオに奥には布製の淡いクリーム色のスクリーンが掛かっていて、その横にはベッドや椅子などの家具が置かれていた。淡く可愛らしい色調で、まるで若い女性のお部屋である。どちらも撮影で使うのだろう。
「やっぱり、間近で見ても綺麗な子やねぇ、聖ちゃん」
佐賀屋さんがうっとりした様に言う。
「ほんま。DTPするん楽しみです。どんな写真が上がってくるんでしょうねぇ」
山下さんも楽しそうにそんなことを言った。
そうして、聖ちゃんの撮影が始まる。こだわりが強いと聞いていた写真家さんも若い女性である。一眼レフのデジタルカメラを三脚で支え、ときには手にして、聖ちゃんを何枚も撮影していった。スタジオに響くのは写真家さんの声が主である。「ええねぇ〜」「綺麗ねぇ〜」「目線こっちやで〜」など、上機嫌でそんなことを言いながら、シャッターをためらいも無く何度も切っていく。
ラベンダーカラーのシルクのパジャマを着た聖ちゃんが、ベッドに仰向けになったり、椅子に掛けて小道具のマグカップを手にしたりと、数々の妖艶な可愛らしさを炸裂させているのだが。
千歳の目は聖ちゃんに向いているものの、心はそぞろになってしまう。
あれは、本当に拓嗣くんだったのだろうか。結婚相手を見間違えるわけは無いと思っているのだが、絶対に? と言われるとその自信は揺らぐ。
世界には自分と同じ顔をした人が3人いる、なんて都市伝説の様な話は聞いたことがある。ならあれは拓嗣くんのそっくりさんなのだろうか。
だが、服装が拓嗣くんのものだったはずだ。今朝出勤していくときに着ていた、ベージュのコートとグレイのタータンチェックのマフラー。どこにでもある服装ではあるが、顔と装いがここまで合致していると、本人だと言わざるを得ないのでは無いだろうか。
ただ一緒に歩いているだけなら、お友だちだろうかとも思える。だが異性のお友だちと腕を組むだろうか。女性同士で仲が良ければそういうことはあるのだが。千歳も同性のお友だち、それこそカレンちゃんと腕を組んだことは何度もある。
拓嗣くんの職場は男性専用クリニックで、ドクターや看護師さんも全員男性だから、同僚ということもあり得ない。もし同僚に女性がいたとしても、やはりきっと腕を組んだりはしない。
可能性を出しては打ち消して。それを繰り返して、千歳の頭はぐるぐると駆け巡る。だが目に映るのは、聖ちゃんの綺麗な笑顔。
……今日拓嗣くんが帰ってきたら、聞いてみたら良い。証拠写真などは撮っていないが、しらばっくれたらますます「何か」の疑いが濃くなる。それでも。
千歳は疑惑をそのまましておく性格では無い。これははっきりさせておかなければ。
まず今は、お仕事に集中しなければ。この撮影の雰囲気、空気感を掴み取って、写真加工に乗せる。千歳はあらためて、艶やかな笑みを浮かべる聖ちゃんを見据えた。
拓嗣くんがどうしていようが、お腹は空く。こんなときにも食欲がある自分はおかしいんやろか、なんて思いながら、千歳はあびこのスーパーに寄る。
あれから聖ちゃんの撮影は18時ごろまで続き、千歳たちは全員直帰となっていた。初めからそう決まっていたことではあるが、会社の自部署にはスタジオを出てすぐ、電話で今日の撮影の終了と、帰宅の挨拶を入れておいた。
食欲はあるが、作る気力がいまいち沸かなかった。やはり今日のことが少なからずショックだったのだろうかと思う。それはそうだ。下手をすれば浮気、不倫未遂である。
豚汁はいつもの様に作るとして、今日のメインはクイックタイプのものに頼らせてもらおう。麻婆春雨なら卵とカットねぎを足せば栄養も事足りるし、唐辛子のおかげで身体も温まる。
麻婆豆腐でも良いだろうか。お豆腐は切らずにスプーンですくって入れるというやり方がある。乱暴、手抜きと思われるだろうが、某料理家の先生も「それでええんです」とおっしゃっていた。これにも卵とカットねぎを足してあげれば良い。
どちらにしようか。千歳は迷った末、お豆腐と麻婆豆腐の素を買い物かごに入れた。




