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わたしたちのゆるり薬膳生活  作者: 山いい奈
5章 誤解と幻覚
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第2話 想像しているよりも

千歳(ちとせ)ちゃぁ〜ん……」


 祐美(ゆみ)さん、川凪(かわなぎ)祐美さんは、千歳の職場の同じ部署の先輩である。とても美しい人だ。いつでも颯爽としていて格好良いが、涙もろいことも知っている。そこが可愛いところなのだ。


「どないしはったんですか、祐美さん」


 千歳は慌ててしまう。祐美さんはハンカチを握りしめて、はらはらと涙を流している。


「私で良かったら、お話聞きますよ? カフェとかどうですか?」


「……時間、ある? 聞いてもろ、てええ?」


 祐美さんはしゃくりあげながら言う。千歳は「もちろんです」と頷いた。一体何があったのだろうか。千歳は心配で、祐美さんが少しでも落ち着く様にと、そっと背中に手を添えた。




 あべのアポロにあるカフェで祐美さんのお話を聞き、ひとまず落ち着いた祐美さんと別れた千歳は、帰途に着く。帰りに晩ごはんのお買い物をしようと、あびこに着いたらスーパーに寄った。


 祐美さんと会ったこともあって、思ったより帰宅時間が遅くなっていた。結局あべのハルカスには行かなかった。


 今夜は何にしようか。まだ季節的に早いかも知れないが、お鍋が食べたいかも。お野菜をたっぷりと使ってしゃぶしゃぶにすれば、身体は温まるしビタミンも摂れる。


 お野菜のメインはにらと白ねぎ、人参にしよう。にらはざく切り、白ねぎは斜め薄切り、人参は千切りにして、しゃぶしゃぶした豚肉で巻いて食べれば、さっぱりといただける。いくつかのしゃぶしゃぶ食べ放題のお店で提供されているスタイルである。


 お豆腐もぜひ入れたい。お豆腐は涼性だが、にらと白ねぎが温性、豚肉と人参が平性だからカバーできるだろう。


 ポン酢はまだお家にたっぷりあったはずだ。大阪人はポン酢の使用量が多い。冷蔵庫に1種類以上ストックしてある家庭も多いと思う。冷や奴や餃子、焼肉なども、大阪人の中にはポン酢でいただく人が多いのだ。千歳もポン酢好きで常備している。千歳のお気に入りは「うらら()」である。


 うらら香は大阪府和泉(いずみ)市の割烹「信太山冨久鮓(しのだやまふくずし)」さんが作ったポン酢だ。お醤油のしょっぱさは控えめでお出汁が効いていて、すだちの酸味がきりっとしている。モンドセレクション最高金賞を何度も受賞している。国際優秀品質賞を受賞したこともある。


 ということで、今夜は豚汁は無し。明日の朝はフリーズドライ豚汁と、お鍋のあとのお雑炊だ。今はフリーズドライは美味しいものばかりで、本当に助けられているのだった。




 お家に帰り着くと16時を少し回っていた。千歳がリビングに入ると、拓嗣(たくし)くんはソファに体育座りをしてスマートフォンをいじっていた。拓嗣くんのことだから、お掃除は終えてくれているだろう。お家の中は綺麗だった。


「ただいま。ちょっと遅くなってもた。今夜はお鍋やで、しゃぶしゃぶやで〜」


 すると、いつも笑顔でお返事をしてくれる拓嗣くんが、仏頂面で無言だった。もしかしたら聞こえなかったのか? まさか、この距離で?


「ただいま!」


 千歳は少し声の大きさを上げる。すると不機嫌そうな声で「……おかえり」と返ってきた。


 どうしたのだろうか。拓嗣くんは意味も無く機嫌を損ねない人のはずだ、千歳が何か怒らせる様なことをしてしまったのだろうか。


 まさか、拓嗣くんが帰ってきたときにいなかったから? 拓嗣くんはそんな狭量、亭主関白では無いはず。なら、お仕事で何かあった? だが、これまでお仕事でのマイナスをお家に引きずる様なこともほとんど無かったのだが。


「遅くなってごめんねぇ、天王寺(てんのうじ)で会社の先輩に偶然会ってね」


 千歳は言いながらキッチンに向かい、エコバッグの中身を冷蔵庫などに入れていく。すると。


「……それって、男やろ、偶然とちゃうやろ」


 拓嗣くんの怒りを含んだ様な声が、低く響く。どうしたのだろうか。


「ううん、女の人やで」


「嘘や、僕見たんや、天王寺のカフェで、千歳ちゃんが男とふたりでおるとこ!」


 拓嗣くんの悲痛な声が轟いた。千歳はあまりにことに驚いて目を見張った。


「ほんまに女の人やて。見たんやったら分かるやろ?」


「ちゃう! 遠目やったけど、あれは男やった!」


 辛そうな顔でそう言い切る拓嗣くん。多分祐美さんといたところを見られたのだろうが、どうしたらそんな誤解が。


 と、思い至る。そういえば。


「拓嗣くん、今日天王寺で偶然会った先輩、川凪祐美さんていうんやけど、祐美さんね、宝塚(たからづか)の男役を目指してはった人やねん」


「え?」


 拓嗣くんの表情が怪訝そうなものになる。


「何年も受験して、でも合格できんまま年齢制限きてしもたから、音楽学校の受験資格無くしてしもたんやけど、そのころの癖で、今でもスーツはパンツスタイルやし、私服も仕草も男性っぽいし、男役志望やっただけあって、スタイルが良くて身長も高い。せやから見間違えたんや無い?」


「へ?」


 拓嗣くんはぽかんとしてしまう。


 祐美さんは幼いころから宝塚音楽学校への入学、そして宝塚歌劇団への入団を志し、養成所でレッスンに励み、受験資格が発生する中学卒業の年から高校卒業の年までの4回、受験をした。だが残念なことに受かることができず、高校を卒業後一浪して大学に入学し、千歳が勤める会社に新卒で入社したのだ。


 宝塚歌劇団は兵庫県宝塚市に本拠地がある女性のみの歌劇団で、音楽学校はその育成機関として機能している。その音楽学校は毎年の受験倍率がとてつも無く高いと聞く。その狭き門を突破した乙女たちが、厳しいレッスンを経て、タカラジェンヌとなるのだ。


 千歳は祐美さんの性別を把握しているし、その耽美さを見慣れてしまっているから失念していたが、確かに遠目から見たら、祐美さんは男性に見えるだろう。


「誤解……?」


「うん。私、付き合ってる人以外の異性と、ふたりでどっか行ったりせえへんよ。特に今は、拓嗣くんと結婚してるんやから」


 すると拓嗣くんは脱力したのか、ソファの上で膝を曲げたまま横にずるずると倒れていった。


「ほんま? 良かったぁ〜……」


 そう、心底安心した様な声を上げる。心配させてしまったのか。それは申し訳が無かった。


「ごめん、祐美さんやったら男性と間違われてもおかしく無いかも」


「ううん、僕こそごめん。そうやんな、千歳ちゃんが浮気とかそんなん、するわけ無いもんな」


「うん、当たり前やん」


 千歳が微笑むと、拓嗣くんは「ほんまにごめん」と言ってうなだれた。


「もうええって。ちょっと早いけど晩ごはんにしよか。詳しくは話せんけど、軽く何があった、ぐらいはね」


「うん。ありがとう」


 拓嗣くんはやっと笑顔に戻ってくれる。千歳はキッチンに入った。


 それにしても、拓嗣くんはもしかしたら想像しているより思い込みが強いのでは? と思ったのだった。

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