第7話 思いがけなかった事実
「……そんなご事情があったんですねぇ」
拓嗣くんのお母さまが、小さなため息混じりで、感心した様に言う。群青家は核家族なはずだから、そういう大変さは無かっただろう。
「でも、何だか、千歳さんがしっかりしてはるんが、納得できる気がしました。同時に、拓嗣が頼んない理由も。やっぱり人に揉まれんと、あかんっちゅうことなんでしょうねぇ。すぐに風邪引いてまうしねぇ」
千歳は自分がしっかりしている自覚が無いので、思わず首を傾げつつ拓嗣くんを見てしまう。すると拓嗣くんは「うん」と頷いた。千歳は拓嗣くんこそ、頼りないなんて思ってはいないのだが。
腕っぷしと言われれば疑問だし、看護師としてのお仕事の出来不出来は分からないが、少なくとも率先して家事、特にお掃除をしてくれる拓嗣くんをとても頼りにしている。
「お義母さん、私、お家のことに関わってくれる拓嗣くんを、頼りないなんて思ってませんよ。我が家の戦力です。ありがたいって思ってます」
「あ、そうや、それに父さん母さん、もしかしたらなんやけど、身体もちょっと丈夫になってるかも知れんねん」
「そうなん?」
拓嗣くんの言葉に、お義母さまはきょとんとなる。お義父さまと目を通わせた。
「この前、風邪引いてもうたんよ。いつもやったら冬以外の風邪でも2、3日響くやん? やのに1日でほぼ治ったんよ」
拓嗣くんが興奮気味に言うと、ご両親、特にお義母さまが戸惑った様な表情になった。
「拓嗣、あんた、千歳さんと結婚してからは、ずっと千歳さんが作ってくれたご飯を……?」
「うん。昼は仕事やからコンビニとかやけど、朝と晩は千歳ちゃんが作ってくれるから……」
お義母さまの様子に気付いたのか、拓嗣くんが怪訝な顔になる。すると、お義母さまは憂鬱そうに、「はぁ〜」と大きな息を吐いた。
「やっぱり、私が用意するごはんがあかんかったんやろうかねぇ……」
「え、何で」
お義母さまは観念した様に目を細めると、ぽつりと言った。
「私、料理ができひんで、うちのごはんは全部惣菜とかレトルトとかやったんよ」
……そういうことか。千歳は合点がいった気がした。
だから、拓嗣くんは風邪を引きやすく、長引きがちだったのだ。
決してお惣菜やレトルト、インスタントに冷凍食品が悪いわけでは無い。保存性を高めるために味付けが濃いめだというところはあるが、お仕事、育児、介護など、忙しい人の強い味方である。千歳も拓嗣くんがここまで家事を協力してくれなければ、豚汁以外は大いに頼っていたと思う。
「嘘やん、確か、毎日サラダとかも出とったやん、きゃべつとかの」
「カットサラダや。切って洗ってあって、袋から出すだけのもんや」
唖然とする拓嗣くんに、お義母さんは淡々と言う。
お義母さまはメインにお肉やお魚などのお惣菜を買い、お野菜はカットサラダを用意した。副菜になる様なお惣菜も買っただろうが、生野菜を毎日の様に食べていたのだ。
お野菜にも当然五性があてはまる。きゃべつは平性だが、それを生で食べると身体を冷やしてしまう。
体温が下がると、免疫や抗体も下がってしまう。それの積み重ねで、拓嗣くんは風邪を引きやすく、治りにくい体質になってしまっていたのだ。
生野菜を毎日摂っていても、身体が元気な人なら問題無い。だが拓嗣くんは虚弱気味だった。
千歳は結婚してから、拓嗣くんが少しでも風邪を引かない様に、長引かせない様にと、食生活に気を配っていたつもりだ。お昼ごはんがコンビニなどになっても、冷たいお惣菜では無く、レンジなどで温められるものにした方が良いと勧めていた。食べたいものを我慢まですることは無いが、夏以外は身体を冷やさない様にした方が良いと。
先日拓嗣くんが風邪を引いてしまったことで、なかなか難しいなと思っていたのだが、実は薬膳の効果は出始めていたのだ。
「料理が苦手で、でも食べささなあかんから、とにかくお腹がいっぱいになって、でも野菜も出さなあかんって思って。手抜き極まりないけど、それだけは気を付けてたつもりや。でもやっぱり、拓嗣の身体に影響出とったんやなぁ」
お義母さまはそう言うと、泣きそうに表情をくしゃりと歪ませた。お義父さまがそんなお義母さまをいたわる様に背中を撫でる。拓嗣くんもショックを受けた様に呆然としていた。どうしよう、千歳が狼狽えたそのとき。
「あらぁ、ちゃんとごはんを用意してはったんですから、ええや無いですか〜」
のんびりとそう言ったのは、千歳のお母さんだった。
「私なんて、お仕事にかまけて、家事も、何なら育児まで義母に投げっぱなしですよ〜」
「それは、ご事情もあるんですから。私は専業主婦で、ほんまなら作らんとあかんのに」
「そんな必要はありませんよ〜。女性やからってお料理できなあかんわけや無いですし、苦手な人なんてごろごろいてはりますよ。そのためにお惣菜とかレトルトとかあるんですから、何でもええんですよ。ごはんを用意するだけで偉いですよ〜、気に病まれる必要なんて無いと、私は思いますけどね〜」
するとお義父さまも「せやで」と優しい目をお義母さまに向ける。
「母さんは、家事をさぼったりしてたわけや無い。苦手なところを補ってただけや。その代わりに掃除が好きで、家はいつでも綺麗にしてくれてるし、洗濯かて、いつも僕のシャツにアイロン掛けてくれてるやん。形状記憶なんやからせんでもいけるのに。料理ができひんぐらい、瑣末なことや」
本当にその通りだと、千歳も思う。家事に関わらず、何にでも不得手はある。それを助けてくれる便利なものがたくさんあるのだから、利用すれば良いのだ。
千歳はたまたまごはん作り、特に豚汁作りが好きで、作る時間があるから作れているだけだ。薬膳を取り入れるのだって、余裕があるからだ。それを捻出できているのは拓嗣くんのおかげなのだ。
拓嗣くんは実家暮らしのときは全てをお義母さまにやってもらっていたと言っていたが、千歳を助けてくれる素敵な人に育ててくれたのは、紛れも無くお義母さまなのだ。
だから、お義母さまが自分を責めたりする必要は全然無いのだ。
「設楽さん、ありがとうございます。お父さん、ありがとう」
お義母さまは安堵感を滲ませた声色で言い、目元をそっと拭った。




