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わたしたちのゆるり薬膳生活  作者: 山いい奈
1章 ゆるゆる薬膳との出会い
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第1話 とある春の日の

「はぁ〜……」


 設楽千歳(したらちとせ)は、朱色の大きめのお椀に口を付け、深く心地の良いため息を吐いた。


 お椀の中身は豚汁である。千歳は豚汁が大好きだ。ほぼ毎日と言って良いほど、自分で作って食べている。


 とはいえひとり暮らしである。どうしてもたくさんの具材を揃えるのが難しい。


 スーパーに行けば、玉ねぎなどのお野菜は1個から売っているし、豚肉も100グラムぐらいの小パックがあったりする。それでもひとり分の豚汁の材料にするには多いのだ。


 ベーシックな豚汁の具材といえば、豚肉はもちろんのこと、お揚げさん、ごぼう、お大根、人参、こんにゃくなどの具沢山である。そんな豚汁をお家で作ったら、いったいお椀何杯分になるのか。


 というわけで、千歳が作る豚汁は、必ず入れるのは豚肉とお揚げさんと決めておいて、あと1種類、日替わりで具材を変える。今日はお豆腐にした。吸い口の青ねぎも必須である。


 それでも、千歳にとっては充分満足ができる豚汁が作れる。むしろ「スタンダードな豚汁」という枠組みを外したからか、いろいろな具で食べられるのが楽しい。


 お豆腐だって、豚汁にはあまり入らないものだ。それでもこうしたルールにしてしまえば遠慮無く入れられる。鰹と昆布のお出汁の滋味、そして豚肉とお揚げさんから滲み出たこっくりとした旨味をまとい、しっとりと吸い込んだふっくらとしたお豆腐の何と美味しいことか。


 なんて言いながら、お出汁は顆粒だしなのだが。そこはお手間抜きをしているのである。出汁がらの処理に困るという理由もある。捨てるには忍びないが、ふりかけや佃煮などにするマメさは無いのだった。


 今、季節は春である。4月に入った今、桜を始め色とりどりのお花たちがほろりとほころび、青い空からの柔らかな日差しが包み込んでいる。今は朝で、千歳は朝ごはんを食べているのだ。お豆腐の豚汁と白いごはんという、シンプルなお献立である。


 豚汁はいつも前日の晩に作っておく。正確には晩ごはんと翌日の朝ごはんの2杯分を作るのだ。朝の分はお鍋ごと冷蔵庫に入れておいて、朝は温めるだけ。このリズムが千歳の中でできあがっていた。


 今日は日曜日でお仕事はお休み。お昼は婚約者である男性と、お花見の約束をしている。朝ごはんのあと、千歳はそのためのお弁当作りをする予定である。


 お買い物は昨日の会社帰りに済ませている。予定としては定番の卵焼き、青ねぎを入れた和風つくねバーグ、ベビーほたてのバター醤油焼きを作って、プチトマトとレンチンしたスナップえんどうで彩りを添える。


 凝ったお弁当では無いが、あまり気合いを入れすぎるのも大変である。お手軽に作るのがいちばんだ。結婚の約束をしている相手なので、むしろ特別感は出さない。


 これはある意味駆け引きである。相手は結婚後には、どちらかに家事などの負担の偏りが無い様にしてくれると言っている。だがそのときになってみないと分からない。状況によって変わるだろうが、今から甘やかしてしまって、やってもらえると思われては堪らない。


 相手は今も実家暮らしで、家事の全てを母親にやってもらっているそうだ。お手伝いもろくにしていないらしい。お母さまは専業主婦で、相手はお仕事をしているのだから、形としては不自然で無いのかも知れないが、千歳は結婚後もお仕事を続けるつもりで、それは相手にも言ってある。


 なら家事、そして子どもが産まれたら育児は、双方が担ってしかるべきだと思っている。家庭を支えること、子どもを育むことを自分ごととして捉えてもらわないと困るのだ。


 なんて、千歳はそう思っていても、実際はどうなるか。結婚、というか、誰か他人と暮らし始めるということは、博打の様なものである。


 結婚前に同棲して見極める、そんな話も聞くが、籍を入れた途端豹変する男性もいると聞いたことがある。恐ろしいことだ。


 とはいえ、もしものことを想像していてもきりが無い。その時々で見直したり相手の尻を叩くなりすれば良いのだ。千歳は気弱では無い。唯々諾々と従う様な性格では無いのである。


 そうして朝ごはんを食べ終え「ごちそうさまでした」と手を合わせ、使った食器をシンクに置いて水を入れる。豚汁のお椀はとりあえず濯いでおけば良いが、ごはんのお茶碗は少し浸けておかなければ、お米がこびりついてすぐに洗えないのが困りどころ。


 その間にお弁当の下ごしらえを始めようか。そう思って冷蔵庫を開けたとき。


 スマートフォンが電話の着信を告げた。


 千歳がひとり暮らししているこの部屋の間取りはワンルーム。玄関を開けたら短い廊下沿いに水回りがあり、奥には9畳ほどの洋室。キッチンはカウンタタイプで、洋室と繋がる形で設えられている。


 そのカウンタに付けて、ふたり掛けのダイニングテーブルが置いてある。スマートフォンはそこに置いていた。発信元はこれからまさに会おうとしている婚約者。千歳はスマートフォンを持ち上げて、上にスワイプした。


「はい」


「あ、千歳ちゃん? ぼく、拓嗣(たくし)


「うん、どうしたん?」


 そう問い掛けながら、千歳には予感があった。群青(ぐんじょう)拓嗣というのが相手の名前なのだが、耳に届く声が鼻声の様に聞こえたのだ。


「ごめん、風邪引いてしもて」


「あらま」


 予想通りだった。拓嗣くんは良く風邪を引くのだ。冬はもちろん、夏も秋も、そして春も。1年を通したら何回風邪を引いているのか分からないほどだ。


 冬の風邪は酷くなりがちで、お仕事を何日もお休みしなければならなくなるそうなのだが、他の季節はそこまででは無い。だが今日は休日だ。しかも予定が屋外のお花見。無理をするところでは無い。


「じゃあお花見はまた今度やね」


「ごめん……。桜は散るんも早いから、今年は難しいかも……」


「せやね。でも身体の方が大事やから。ちゃんと寝て、しっかり治してね」


「ほんまごめん……」


 拓嗣くんの声はすっかりと沈んでしまっている。拓嗣くんだって楽しみにしてくれていたはずで、好きで風邪を引いたわけでは無い。タイミングが悪かった、それだけのことだ。


「ええって。また元気になったらどっか行こね」


「うん、ありがとう」


「お大事にね」


 そうして通話を切った。看病は拓嗣くんのお母さまが嬉々としてやってくれるだろう。大事な息子なのだろうから。


 さて、今日の予定が空いてしまった。何をしようか。

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