人のふり見て我が振り直し、雨が降って地面が固まる
図書館のバイトを終えて、僕は次のバイト先へ向かう前に朝ご飯を食べることにした。
昨日のばあさんのパン屋には時間的に行けないから、どっか近場のパン屋で買って、
先輩を待つついでに図書館の前で食べよう。
そんなことを考えながら、適当なパン屋に入った。
昨日のパンは2人で1クルス60セルタだった。
それが異常に安かったんだとわかっているけれど、
高~~。
最安でも6クルスか。
まぁしょうがない。
何のためのバイトだ。
最安のパンを買って図書館前へ戻ったが、時計は8時半を回っていた。
図書館の扉は開いていて、たぶん先輩も仕事を終えたんだろう。
もう次のバイト先へ行ってしまったかもしれない。
僕はパンを食べながら、次なるバイト先、ジェイドさんの小麦畑へ向かって歩きはじめた。
「どうも~。今日お兄ちゃんにはこれ。頼みてぇんだ。」
そう言ってジェイドさんは鎌を差し出した。
「え、収穫ですか?」
やったことないんだけど…。
「大丈夫大丈夫、最初は教えてやるから。」
そういって老人は笑った。
小麦を刈り取るときは、根が抜けないように、根元を足で踏み抑えながら、茎を左手でつかみ、右手の鎌で引くように
刈り取る。
ジェイドさんに教えてもらいながらどうにか収穫作業を始めた。
「あ、そうだ。ジェイドさん。」
「ん、どうした?」
「ナナさんはどこにいますか?」
図書館にはいたらしいけど、こっちに来てなかったら大事件じゃないか。
「あぁ、あの子には脱穀手伝ってもらってんだ。仕事終わったらパンでも食うか?」
脱穀…。
って、何だっけ。
まぁ、ここにいるならいいか。
「お昼頂いていいんですか?」
「もちろん、ナナちゃんの分も用意しとくで。」
ありがて~。
「ありがとうございます。」
昼飯代が浮いて、今朝が6クルス。
昼夜がゼロ。
まぁ、予定より出費は増えたけどいいだろう。
誤差だ誤差。
…にしても、
果てしない。
さっきの図書館より当然だけど広い。
これを全部収穫するのか。
収穫した小麦はかごに入れる。
かごがいっぱいになったらあっちの小屋に運ぶ。
…。いつ終わる?
作業を始めて30分くらいでかごが一ついっぱいになった。
重ッ!
はぁ、この作業マジきつい。
こりゃ確かにナナさんには無理だな。
畑を抜けて小麦を乾かすための小屋へ向かう。
ここでしばらく寝かして水分を飛ばしてから脱穀をするらしい。
脱穀は今ナナさんがやっているらしいけれど、どんな作業なんだろう。
そっちも興味あるな~。
ーー!!
小屋の前まで来て、ふと今まで作業していた場所を見たとき、
僕は驚きで固まってしまった。
小屋は畑より若干高台にある。
坂道の斜面に畑を作ったようになっているから、
こちらから畑を見下ろすと一面に広がる小麦畑。
黄金色。きれいだな。
気付けば僕は、かごの重さなんて忘れていた。
作業を始めて3時間くらいが経った。
かごはその間に6個半満たされた。
最初は一面黄金色だったけれど、3時間も狩り続ければ土の色も混じっていた。
きれいな景色に穴が開いたようだったけれど、
なんだかそれもいいと思った。
達成感はすごい。
汚い絵もきれいと思えるんだから。
「お疲れさん。ありがとうな。助かるはほんと。」
ジェイドさんは水筒をもってそういった。
「ジェイドさんはいつも一人でこの作業をしてるんですか?」
それを受け取りながら聞く。
大変だけれども、なんだかジェイドさんならやれそうな気がした。
「いや、いつも手伝ってくれてたやつがいたんだけどな、ケガしてしまって。
今は動かないほうがいいから手伝ってもらってんだ。」
なるほど、亡くなったとかじゃなくてよかった。
「んじゃ、中入れ。」
ジェイドさんは僕を畑に隣接した彼の自宅へ招き入れた。
ジェイドさんの家は今僕らが使っている宿と同じくらいの広さがあった。
ここはシュトレスの中心部からは歩いて30分ほどの少し外れたところだから、
おじいちゃんちみたいなおうちが多い。
僕の岩手のおじいちゃんの家もこのくらい広かったな。
そんなことを考えながら中へ入る。
「お帰りなさいませ。ジェイドさん。」
中からは背中の曲がったおばあさんが出てきた。
「おう。」
ジェイドさんはさっきの僕への態度が嘘のように冷たい声で女性へ荷物を渡した。
「ミヅキ君。君もこいつに荷物を預けるといい。」
僕に話すときはさっきの調子だ。
さっきの調子で、明るい声で、言っていることはやばい。
この人、今の日本には合わないな。
女性蔑視。
もし、ナナさんに、何かしていたら、
そう思うと…。
「ナナさんは?!」
僕もジェイドさんみたいに高圧的になってしまった。
「奥の部屋でお待ちになっていますよ。」
初めましての男に高圧的な態度をとられてにもかかわらず、
このおばさんはにこやかに答えて僕の荷物を受け取った。
「すいません。高圧的で。」
さすがにこれは謝らないと。
「いえいえ、いいですよ、私女ですから。」
やっぱり。
そういうことを日常的に言われたか考えてたか。
いずれにせよ、
「僕はそんなことを気にしません。
男性でも女性でも接するうえで最低限の敬意は持つべきだと思います。」
なんか翻訳したみたいな文章になってしまった。
「それは立派なことですねぇ。」
女性はなんだか失望したような顔をしていった。
何でそんな顔したんだか。
聞きたいところだが、まずは先輩だ。
何かジェイドさんに言われたりはしてないだろうか。
心配で老婆を置いて奥の部屋まで行ってしまった。
が、心配することではなかった。
「これ食べな。うちの小麦で作らせたんだ。うまいぞ~。」
ジェイドさんはナナさんへピザを差し出していた。
なんだよかった。
「おお、ミヅキ。お前も食べな。」
こちらに気付くと、ジェイドさんは手招きした。
しかし椅子がない。
ジェイドさんとさっきのおばさんの二人暮らしなんだろう。
椅子はないかと探していると、
「ほら、ナナ。席を立て。」
ジェイドさんはナナさんへ言った。
…、やっぱり。
「あ、ごめんね瑞樹くん。どうぞ。」
ナナさんは席を立った。
僕はナナさんの手を取った。
「瑞樹くん?」
そのまま部屋を出ようとする。
「どうしたミヅキ。食べるんじゃないのか?」
ジェイドさんは僕の背中へ問いかける。
…この人、マジで…。
「すいません。僕はナナさんと食べたいんです。」
だから、あなたは邪魔なんです。
そういう意味も込めて言ったつもりなのに。
「問題ないだろう?ナナは立って食べればいい。」
もうこの人といたくない。
ナナさんだから、なのかもしれないけれど。
「いえ、ナナさんと二人きりで食べたいので。」
この言い方だと勘違いされてしまうか?
「…おお!そうか!それなら、おぉい!金!」
ジェイドさんは勘違いをしているけれど納得したようだ。
おばさんに報酬を持ってくるよう要求した。
が、聞こえなったらしい。
「何か御用ですか?」
そんな発言をジェイドさんが許すはずもない。
「使えんな。これだから女は。もういい。」
そういって隣の部屋から報酬を持ってきた。
最初から自分で持ってくる方がよかったのに、
自分が動くなんてこと考えてもないんだろう。
おそらくあの女性は奥さんだ。
奥さんのことを、道具、奴隷、使用人。そんなくらいにしか思っていない。
それはまぁ、家庭の在り方をどうこう言う気はないけれど、
それを僕らに、ナナさんに持ち込まないでほしい。
「ほれ。今日はありがとうミヅキ。二人分で60クルス。また頼むよ。」
ジェイドはそう言って僕の手を握った。
その間、ナナさんのほうに目線が向くことはなかった。
小麦畑を後にして、僕らは並んで歩く。
そういえば、今朝僕はとんでもないことをしてしまったんだった。
「あの、先輩。」
口を開いたところ、
「瑞樹くんは、さっきのお家、どう思う?」
ナナさんが言った。
たぶん、さっきのジェイドとその奥さんとのあれだろう。
「どう、とも思いません。その、家庭の話ですから。
家庭ごとにルールや常識があって普通のことだろうと。」
そう言うと、ナナさんは不満そうな顔をした。
「でも、あれを外に持ち出されると嫌です。
ナナさんにああいう態度を取られると、どうにも、イライラします。」
ぼくにとって、ナナさんはもう大切な人だから。
「ナナさん、今朝はごめんなさい。」
今日半日、ずっと言いたかった言葉。
頭を下げて謝った。
さっきまでは、正直言って僕が悪いとはあまり思っていなかった。
でも、さっきジェイドさんがナナさんに席を立てと言った時、
どうしようもなくイライラした。
もっと大切にしろ、と言いたくなった。
それと同時に、大切にできていなかったと自覚した。
人を傷つけたとき、どうすればいいのか、謝っても、許されなかったとき、どうすればいいのか、
僕にはわからない。
だからせめて、僕にできる最大限の誠意を、言葉で、行動で示そう。
「すいませんでした。
どうか、許してください。」
頭を下げたまま続けた。
「瑞樹くん。」
ナナさんが僕を読んだ。
揚げようとする頭を彼女は抑え込んだ。
…怒ってんだよな、やっぱり。
素直に頭を下げる。
「引かないでほしいんだけど、私、昨日の夜、君の寝顔ずっと見てた。」
…は?
思わず顔を上げそうになる。
「だから、おあいこ!」
と言って手を離した。
いきなり手を離されたもんだから勢いよく頭が上がる。
それに驚いてのけぞったナナさんの顔は、
真っ赤になっていた。
なんだかおかしくなった。
「アッハッハッハ、アハハ。」
声を出して笑った。
「…何がおかしいの?も~。」
ほほを膨らませてから、先輩も笑った。
「だって、寝顔って。全然関係ないじゃないですか。」
「え~。でも、寝顔、すごかったよ?」
「からかわないでください。僕は反省してるんです。」
「アッハハ。じゃあ私も反省だね。」
やっと、昨日までの距離感が戻った。
「でも、次から起こすときは、目隠ししてね。」
ナナさんはそっぽを向きながら言った。
昨日まで通り、とはもういかない。
もう僕らはただの知人、冒険仲間ではなくなった。
それが、とてもうれしく感じられた。
異世界生活四日目。
「人の振り見て我が振り直せ」とはよく言ったものだ。
そういう意味ではジェイドに感謝せねばなるまい。
隣を歩くこの女の子を、守りたいと、そう強く思わせてくれたのだから。