自分の足で立てるように
旅館生活も終盤に入ってきた。
ここまでいろいろあった。
機械の故障で温泉を汲めなくなってしまったり、エイジュさんが体調を崩して力仕事を僕とネトラさんの二人でやらなくてはいけなくなったり…。
まぁいろいろ経験したおかげで宿の人たちとも仲良くなれた。
特に厨房に入っているサントは同い年ながら修行のために単身この町へやってきたという。
部屋も隣同士なのでいろいろな話をした。
彼の父も料理人であること。出身がシュトレスであるということ。
一番好きな料理がカノヤのスープ麺であることなど…。
なんだか彼の父を知っているような気がしなくもないが、まぁそんな料理人はたくさんいるだろう。シュトレスだって広いんだ。
そういえば、初日の夜。
先輩に部屋の前に呼ばれていた。
何か大事な話がある雰囲気だったので覚悟を決めていったが、ただこの宿との雇用契約書を渡されただけだった。
それと布団を汚して怒られたことを聞かされた。
その話はもう聞いていたし特に驚くことでもなかったが、イウスさんに何か言われなかったかが心配で聞くと、
むしろ元気をもらったとのことだった。
それ以来、僕はあのばあさんのことがよくわからなくなっている。
今でもおっかない顔をしてこちらを見てくるし、仕事熱心ということだけはわかるのだが…。
ミスした人を慰めることもできるらしい。
それも彼女が仕事熱心だからなんだろう。
それと先輩にはおかしなことを聞かれた。
「私がミスして瑞樹君はどう思った?」
そんなの。どうも思わないに決まってる。
布団を運ばされたのは腹が立ったけれど、それはしょうがのないことだ。
汚してしまってもう使えないのなら買ってくるしかないだろう。
「別に。買えば布団なんかどうにでもなるんだから何も思いませんよ。」
と答えると、先輩は笑って、
「明日からも頑張る!」
と言って部屋へ入っていった。
あれは何だったんだろう。
休憩時間にサントの得意料理であるスープ麺を食べながら考える。
この宿では衣食住付きで日当25クルスが支払われる。
普通にひと月働くだけで一人当たり800クルス近く稼げるわけだ。
が、出費ゼロで過ごすことはできない。
買い物をしたり、先輩に関しては布団代を請求されているから入ってきても700クルスくらいだろう。
僕の手持ちもこのままいけば740クルス。
二人合わせて1440クルスくらい。
当初の目標よりかは少し低いが、それでも十分な稼ぎだ。
これだけあれば一気に隣国のノームへ進むことができる。
「お前ももうすぐここ出てくんだよなぁ。」
サントは僕の正面に座りながらそういう。
この宿では従業員には基本2時間ほどの休憩時間が与えられる。
その時間は宿で食事をとることも温泉に入ることも自由にできる。
この食堂は11:00から15:00に昼食が提供されている。
が、昼ご飯付きのプランで宿泊すると料金がかなり高くなるため、利用する客は少ない。
まだ見習いのみである彼は夕食時に仕込みを手伝うくらいしかさせてもらえないらしく、
そのほかの時間はこうして僕ら従業員に賄いを作ってくれている。
うまいんだけどなぁ。これじゃまだお客さんに出せないのか。
味は良い。見た目もよい。やっぱり十分じゃないのか?
しかし彼自身も、
「まだまだだよ。」
と笑って話していた。
玄人にしかわからないような違いがあるんだろう。
彼と話しながらご飯を食べていると中のほうから先輩とアリナさんが出てきた。
アリナさんは普段は受付や売店の店番をしている。
早朝作業で売店への搬入をしたときに仲良くなった。
「おぉ、これサントが作ったの?」
アリナさんは机の上のスープ麺をみてサントに聞いた。
サントはうつむきながら、
「えぇ、まぁ、はい。」
と答えた。
こういう光景も何度か見たことがある。
サントはアリナさんのことが好きなんだそうだ。
一番最初に彼の料理をおいしいと言ってくれたのが、彼女だったらしい。
それはまぁ惚れてしまっておかしくないと思う。
が、アリナさんは今年で29歳になるらしい。
11歳差だぞ…?
目の前でアリナさんにぐりぐりされて褒められている彼は、悪いが弟にしか見えない。
友人にも見えるが、でも姉弟と言われた方がしっくりくる。
なにかイベントでも起きればいいね。
彼の恋愛成就を祈るのも、この宿に来て何度目のことだろうか。
「仲良しだよねぇ。」
僕の隣に座りながら先輩が言う。
「サントにとっちゃ、もうっちょっと男として意識してほしいところなんでしょうけどね。」
先輩も、というかこの宿で彼の恋心に気付いていないのは、今も男女とは思えない距離感で彼と話す、アリナさんくらいだ。
おっそろしい人に恋をしてしまったんだな…。サントは。
異世界生活は11日目の夜。
一日の勤務を終え、初めての温泉を前に、私は心躍らせていた。
これまでの旅で水浴びか井戸水でしか体を洗えなかったし、ゆっくりお湯につかるなんて初めてだ。
今日はいろいろあって疲れているし、きっと染みるぞ~。
そんな期待をしては言った温泉は想像以上に心身に沁みわたってきた。
なんで私、こんなことしてるんだろう。
記憶はない。
でも、元の場所に帰りたい意思はある。
それでも、この世界に来たことに、何か大切な目的があるように思えて仕方がない。
「瑞樹くん…。」
誰もいない温泉は、思ったよりも声が響く。
ささやいただけの彼の名前が反響して大きくなる。
一人だと、心細いよ…。
勤務が終わったら自分の部屋の前に来るように、彼に伝えておいた。
この宿との契約書を書くため。
それと、励ましてもらいたかった。
今日のことは、正直まだショックだ。
誰も私を責めたりせず、むしろ慰めてくれた。
イウスさんだって私を元気づけてくれたんだ。
でも、なんだか、それでも不安になってしまう。
初日からやらかしたバイト。
そんな風に思われているんじゃないかと。
彼になんといってほしいのかはわからない。
でも、たぶんイウスさんにもらった言葉をそのまま言ってほしいのだと思う。
やばい…。また泣きそう。
さっき温泉で泣いたあとちゃんと顔は洗っておいた。
目元が熱くなっているような感じもない。
泣いたこと、ばれたりしたらきっと彼はすぐにこの宿から出ていこうとするだろう。
契約なんてほっぽりなげて、私のためにそうしてくれるだろう。
…。それはだめだ。
ここで、私も変わりたいんだ。
ガチャリ。
従業員専用の扉が開いた。
「先輩?」
彼はしばらく私の顔を見ていた。
やっぱり泣いてたの、ばれちゃうかな。
「これ、契約書。名前書いてイウスさんに渡しといてね。」
紙を差し出しながら言う。
のどが震えたがっている。痛い。
「先輩…。あの、」
もしつらいなら帰りましょう?
そういうつもりでしょう?でもそうはさせない。
「私さ、今日布団汚しちゃったんだよね。それで取り換えってことになって。初日から失敗しちゃった。」
彼は特段驚いた顔はしなかった。
代わりに、
「大丈夫ですか?」
とだけ聞いてきた。
「イウスさんも励ましてくれたし。うん。明日からも頑張れると思う。」
笑顔を作って言う。
でも、こういう笑顔って案外すぐ彼にばれる。
彼は眉間にしわを寄せた。
本当に?とでもいうように。
でも、それをいわないのが君の優しいところなんだろうね。
どこまでも真っすぐ私の言葉を聞いてくれる。
だから私は、思い切って聞いた。
「私のせいで布団買い替えにな経って。瑞樹くん。どう思う?」
真剣に問えば、真剣に返してくれる。
私は彼の目を真っすぐと見た。
「別に。買えば布団なんかどうにでもなるんだから何も思いませんよ。」
彼はそう言った。
その瞬間。
私はふっと救われた気分になった。
よかった。大丈夫なんだ。
布団を汚しても大丈夫。きっと誰かがどうにかしてくれる。
そう思うことが、私にとって一番、布団を汚したくなくさせる。
がんばろう。
誰にも迷惑かけないで、自分の足で立って歩くんだ。
助けてくれる誰かがいる。
なら、その誰かが要らなくなってもいいように、自分一人でどうにかできるようになるまで、がんばろう。
「明日からも頑張る!」
私はそう言って部屋に戻った。
すぐに布団に横になる。
頑張ろう。
何度目の決意かわからない。
でも、もう絶対に迷わない。
彼がいてくれるから。彼がいなくてもいいようにしたいから。
私は、がんばらなくちゃいけないんだ。
隣に座ってスープ麺を食べる君は、たぶんこの会話のほとんどを忘れているよね。
本当に、自分の失敗だけは忘れないくせに。人の失敗に寛容すぎるところは直した方がいいよ。
目の前では今日も面白いやり取り繰り広げられている。
隣を見る。
君もアリナさんと一緒だね。
でも、私はサントくんとは違う。
気付かれなくたって、こうしていられればそれでいい。
君が、いなくてもいいように。
この気持ちだけは隠すんだ。
私は売店からとってきたルーボロウスをほおばりながらそう思った。




