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イデア  作者: すだちポン酢
ナリボシ編
24/39

温泉街へ

 僕らの異世界生活10日目は、特に何事もなく終わってしまった。

 

 朝から荷馬車への積み込みを行った。

9日目の引っ越し作業の疲れが残る腰をまた酷使した。

腕が出てきたり、誘拐に使われたりなんかは当然していなかった。


 昼前からコロッセオの会場案内のバイトをした。

コロッセオの中に入れるのかと思っていたが、会場外の行列整備をさせられた。

突っ立っているだけの2時間。

両手を広げて列が広がらないようにした。

それだけだから声を発する必要もない。

逆に言えば突っ立っているだけでお金をもらえるわけだから、この仕事は激ウマである。

が、二度とごめんだ。


 明日からは温泉宿で住み込みの仕事だ。

日当が25クルス。2人合わせて50クルス。

できるのならば10,000クルスくらい稼ぎたいが、

200日…。

いや、まぁ、う〜ん…。

時間がないわけではないし、この世界が嫌いなわけでもないが、早く日本に帰りたい気持ちはある。

現状でも貯金は10,000クルスある。

ノンストップ、働かずにイルキュレムに行く必要はあるか?

この都市やシュトレス、ユツムギで分かっている。

2泊するのに必要なのが600クルスほど。

それだけ稼げば若干の黒字で街を出ることができる。

一泊だけして次の都市へ、という流れで行くのなら、

500クルスいるかどうかか…。

この温泉宿で10日働けばその流れで行けるのか。

う〜ん…。どうしよう。

絶妙に賃金が安い。

延泊することにした安宿で考える。

先輩はさっきウラル商店で買ったルーボロウス、饅頭を食べている。

自分一人で考えてたってしょうがない。

二人寄らば文殊の知恵だ。

僕は先輩に金銭事情を相談した。


 「う〜ん。一ヶ月くらいでいいんじゃない?」

饅頭を食べながら先輩は答えた。

ウラル商店オリジナルルーボロウス。

15個入りで8クルス。高コスパだ。

「一ヶ月だけでいいんすかね。」

それだけだと一泊のみでスキップできる都市が3つだけになる。

少し少なくないか。

「十分じゃないかな。3回スキップしたらもうノームの真ん中のほうまで行けるだろうし。国が変わればきっとお金事情も変わるって。」

食べ終わったルーボロウスの袋を結びながら先輩は答える。

「まぁ、確かにそれがちょうどいいかもですね。」

部屋の隅にゴミ箱がある。

僕のほうがそれに近いので手を伸ばして袋を受け取りながら言った。

これで活動方針は決まり。

僕は結ばった袋ゴミをゴミ箱へシュートした。

空っぽのゴミ箱から音がなった。


 異世界生活11日目。

僕らは畑のあぜ道を歩いていた。

温泉町であるイガカ温泉郷までは直通の馬車が出ていたが、あまりの混み具合に乗車を断念せざるを得なかったのだ。

ちょうど秋のような季節感で、気温もちょうどいい。

散歩には最高だ。

「のどかでいいですね〜。」

普段は東京のど真ん中で過ごしているから、こんな道を歩く機会なんて岩手の祖父母の家に行く時か登山の時しかない。

岩手にはここ4年は行けていなかったし、登山の時も遠くても栃木であったから電車の音や車の音も聞こえていた。

こうして草の揺れる音と風の音、靴音だけが耳に届く道は久しぶりだ。

実にいい。

「普通の饅頭があったから、温泉饅頭もきっとあるよね?」

先輩は僕より3,4メートル前を歩いていたが、振り返ってそう言った。

今日はもうこの会話を2回くらいした。

「ありますよ、きっと。」

この返答で3回目。

再び沈黙が流れる。

僕はこういう沈黙がとても好きだが、先輩はそうでもないらしい。

また振り返って口を開いた。

「温泉卵、あるかな。」

これは初めての問い。

「ありますよ、きっと。」

僕らは再び長閑な道を歩き始めた。


 馬車道をたどって歩いていたので時々馬車とすれ違ったり、追い越されたりした。

往復どちらも激混みのようで。

イガカ温泉郷がかなり人気の観光地であることがわかる。

エドクレイでは一切そんな話しなかったし、馬車で会ったエウルクさんからもそんな話聞かなかった。

この馬車の混み具合で意外と秘境ということもあるかもしれない。

俄然楽しみになってきた。

その間にも先輩は、

『珈琲牛乳あるかな?』とか、『湯畑あるかな?』

とか度々振り返っては、

『ありますよ、きっと。』

としか答えられないような問いを繰り返した。

この道がつまらないのだろう。

もったいない。


 歩き始めたのは7:50

イガカ温泉郷へは10:50に到着した。

3時間も歩き続けたのか。

馬車で行けば9:30到着予定だったから、倍近く時間をかけてしまった。

今回住み込みで働く宿はイガカ温泉郷の西地区にある。

イガカ温泉郷は西地区の他に北地区と東地区、光地区と音地区に分かれている。

南地区はなぜかない。

ちなみに光地区には夜になると光り輝くと噂の温泉の噴水がある。

音地区には一昨日の老人が好きであろう間欠泉がある。

僕らが今いるのが東地区。

ここから北上した先に西地区がある。

方角と名称は関係ないらしい。

ちなみに東へ行けば北地区。

南西に音地区。西に光地区がある。


 温泉街あるあるの石造りの階段を登る。

和風の街並みをイメージしていたが、まったくそんなことはなかった。

やはり石造りの家が多い。

僕らも旅館ではなく温泉ホテルで働くのだろう。

立ち並ぶ店のなかにはウラル商店もあり、先輩の望み通り温泉ルーボロウスが売っていた。

こちらは5個入りで25クルス。

よろしくない。

そんな街並みを抜け、林の中を通り抜けた先に西地区があった。

ここは東地区とは違い平坦な地区だ。

地区を東西に川が流れていて、野菜を冷やしている人がいたり、魚のつかみ取りをしている人がいた。

和洋折衷。

不思議な世界だ。


 約束の温泉宿へ着いたのは11:20

周りの景色を見ながら歩いていたからあまり時間を意識していなかったが、しっかり30分が経っている。

『イガカ温泉郷 実りの湯』

名前は和風だが、やはり建物は洋風だ。

正面の扉を開ける。引き戸か。和風である。

中は立派なホテルのような感じだ。

靴を脱ぐスペースはない。

受付の方まで行く。

「住み込み仕事の依頼を承諾してきた橘瑞樹とナナです。」

求人票を見せながら言うと、受付の女性は、

「少々お待ち下さい。」

といって中へ入って行った。

その間に辺りを見回す。

受付から左手に売店。

ここにも温泉ルーボロウスがあった。

酒も豊富だ。

右手には廊下と階段があった。

『食堂』と書かれている。

突き当りには

『←実りの湯 大浴場』

と書かれた案内板がある。

階段の上の方にはもう客室だ。

一通りあたりを見ていると、受付の奥から50過ぎの女性が出てきた。

ボスだ。

一目見てわかる。

「この度は、仕事依頼を承諾してくださり誠にありがとうございます。私当宿の宿主をしておりますイウスと申します。どうぞよろしくお願いいたします。」

そう言って頭を下げた彼女の声は、想像よりずっと深かった。

60代、下手したら70代後半なんてこともあるかもしれない。

「いえいえ。こちらこそ、よろしくお願いします。」

珍しく先輩が答えた。

「お願いします。」

続くようにして僕も頭を下げた。

「ひとまずお部屋まで案内します。お荷物を置かれましたら仕事の説明に入らせていただきます。」

と言うとイウスさんは僕らを3階へ案内した。

「従業員専用」

と書かれた扉を開けた先には、何個か扉が並んでおり、そのうちの1つの前で立ち止まり、鍵を出し、

「ここがお姉さんのお部屋になります。」

と言って、それを先輩に渡した。

そのまま体をくるりと回し、

「弟さんはこちらです。」

と言って歩き始めた。

僕の部屋は突き当たりにあった。

鍵を鍵穴に差し込み、回す。

ドアを開ける。

ベッドが1つ。小机が1つ。

うなぎの寝床のように奥に長い。

とりあえず、見るものもなさそうだし荷物を置いて部屋を出る。

部屋を出るとすぐイウスさんは歩き始め、また1階へ下がっていった。


 受付の奥。

ここがオフィスか。

当然だが初めて入った。

何なら紙に記入している人。

そろばんのような道具をパチパチしてる人がいる。

「こちらへ。」

オフィスの隅っこに応対用のスペースがあり、僕らはそこへ通された。

中には一人、ゴツい男の人が座っていた。

「弟のミヅキさんは彼に続いてください。」

イウスさんはそれだけ言った。

するとゴツい男性は立ち上がり歩き始めた。

この宿、なんかプロっぽい人多くない?


 ゴツ男さんの名前はエイジュさんと言った。

とても縁起が良い名前だ。

僕も一応名前を言ったが、ずっと「少年」と呼んでくる。

この宿では男女ではっきり仕事が分けられていた。

男子は体力仕事。

仕入れや洗濯、風呂掃除を行う。

炊事に給仕、お客さんへの対応は女性が行う。

先輩とは全く違う仕事をするわけだ。

そして、そんな話をしながら僕らは街の中を歩いている。

「これから仕入れに行くんですか?」

と聞くと、エイジュさんは、

「薪をな。」

とだけ答えた。

なんか、クールでかっこいい。


 薪を売っている店なんてあるのかと思ったが、全然あった。

エイジュさんはそこの店主とは顔見知りらしく、世間話をしていた。

その間に僕は店を見渡す。

薪にも色々種類があるのか。

丸形だったり三角だったり四角だったり。

木の種類によっても違うのか。

「おうい。少年。」

店を探索しているとエイジュさんに呼ばれた。

行くと、店主に挨拶をしろとのこと。

「はじめまして。本日より実りの湯で働くこととなりました。タチバナミヅキといいます。よろしくお願いします。」

これでは、正社員になりました。と言っているように聞こえるか。

「おうそうかい。頑張れよ。」

店主はクシャクシャの顔で笑いながら言った。

「よし、少年。カオの木の薪をありったけ持ってこい。」

エイジュさんは僕に実際の仕事をやらせて覚えさせる気だ。

上等。

カオの木の薪はさっき見た。

持ってみるとずっしりと重い。

何本かで束になっている薪を、片手に2個ずつ、4個持って店主のもとへ戻った。

「おお。頑張るな少年。」

店主も僕を少年呼びしながら笑う。

「100クルスだな。」

金は月末にまとめて宿に請求とかじゃないのか。

と思ったが、店主は領収書なのか請求書なのかよくわからない紙に値段と購入品を書いて渡してきた。

「ありがとさん。」

この店主もエイジュさんとグルだ。

僕一人でこの薪を持って帰るのか。

帰り道、エイジュさんは常に僕の後ろにいて道案内さえしてくれなかった。

だが幸い宿からそれほど離れていなかったので迷うことなく帰ることができた。

「こっちだ。」

帰るなりエイジュさんは僕をオフィスへ連れ込み、また扉を開けて厨房へ入れた。

「ここに薪を置け。」

作業台の端。確かにスペースがあった。

僕は持ってきた薪を置いた。

そういえば、この請求書。

ポケットの中からさっきもらった紙を取り出す。

どうしたらいいか尋ねる前にエイジュさんは

「それは計算機パチパチしてるやつに渡せばいい。」

と答えてくれた。

僕はもう一度オフィスに入ると、計算機パチパチさんへ

「これ、薪代です。」

と言って請求書を渡した。

彼は手を止めこちらをじっと見ると、

無言のままそれを受け取った。

…。やっぱりこの職場怖い。


 

 瑞樹くんと引き離されて、私は宿主と向かい合って座っています。

どういう状況でしょう。

「仕事期間はどのくらいを希望しているんだい?」

敬語を消してイウスさんは尋ねてきた。

机の上には『雇用契約書』と書かれた紙がある。

比較的長期間のバイトになるから契約しないとダメなのか。

「一ヶ月ほどを予定しています。」

昨日のうちに瑞樹くんと決めておいたことをそのまま伝えた。

イウスさんは何も言わずに契約書にそれを書き込む。

「後で弟さんに渡してサインをもらいなさい。そしたら契約完了になるから。」

といって、契約書とペンを私に渡した。

橘ナナ。

自分で決めておきながらあれだけど、この名前は辞めたほうがよかったなぁ。

なんだか違和感がある。

ホントの名前はきっとこんなのじゃないんだろう。


 契約書を書き終えると、それを部屋においてこいと言われ、また3階へ上がり、もう一度1階へと降りてきた。

あなたが持っといてよ。

なんてことは言えない。

逆らったら多分めちゃくちゃ怒る。

なだめるのも面倒だし。我慢我慢。

1階へ戻るとイウスさんはまたすぐに歩き始めた。

玄関を出て左折する。

道かどうかもわからないようなところを歩き、出たところには庭と井戸があった。

「ここで洗濯作業をしてもらうよ。少し待ちな。」

と言って私一人を残してイウスさんは中へ行ってしまった。

洗濯…。水汲んだほうがいいかな。

この世界に来て井戸の扱いには慣れた。

まだポンプ式が登場しないから、滑車付きのものだ。

とりあえず大きなタライがあったので底に水を溜めておいた。

イウスさんは中から大量、というほどでもないが洗濯物を持ってきた。

シーツや枕カバー。

なるほど。誰かが帰ったのか。


 井戸水は冷たかった。

温泉街だからあったかいのかなとか期待していたけれど、そんなことはなかった。

瑞樹くんは何してるかな。

私は今、折れかけてるよ。


 異世界生活11日目。

楽しみだった温泉は、案外、地獄でした。

冷たさか布との摩擦のせいか痛む手にハーッと息を吹きかける。

この世界は、きびしいなぁ。

見上げると、空はいつもより、遠くに見えた。


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