「男」と「女」
異世界生活6日目。
あまりの寒さに目を覚ました。
登山部の合宿で行った高地でさえこんなには冷えなかった。
確か標高は2000メートルくらいだったか。
目が覚めたとき、僕は枕を抱いていた。
少しでもここに熱を持たせようとしたんだろう。
長袖長ズボンで寝たけれどこの寒さ。
掛け布団がないのはマズイ。
毛布も買おう。
じっとしているとガクガク震えてしまいそうな体を持ち上げる。
隣の先輩はシーツを掛け布団代わりにしている。
昨日の夜の突然のハグには驚いた。
この人、胸がチラ見えしたら半日口聞いてくれないのにハグは自分からするとか…。
オープンなのか普通なのかどっちなんだ…。
まずまず僕には女の人と仲良くなった経験がない。
付き合っている男女は気軽に触れ合ったりしているけれど、どこまで仲良くなればそうしてよいのか全く見当もつかない。
とりあえずは何もかもこの人次第なんだよな。
この人が触れてくれば僕も少し、触れられる気がする。
…。ハグはするつもりないけれど。
見るとナナさんも背中を丸めている。
シーツを掛け布団にしていてもやっぱり寒いんだ。
時計は朝の6時半。
まだ店は空いていないだろうからもう少ししたら出かけて毛布を買おう。
この宿の一階には庭のようなスペースと厩舎がある。
僕らは馬車移動を基本しているが、当然自分の馬を持っている人もいる。
そういう人たちのための場所だ。
丁度庭と厩舎の間くらいに井戸がある。
誰でも自由に使って良いということなのでここで顔と歯を磨く。
井戸のハンドルを引く。
備え付けの桶に水がたまる。
この気温なので覚悟はしていたがとても冷たい。
顔を洗って歯を磨く。
時代的にまだ歯磨きが普及していないかと思ったけれど十分に普及していた。
歯ブラシもある。香辛料を使った歯磨き粉的なものもある。
結構スースーするが、目は覚める。
歯を磨き終えると溜めた水をすくい上げてうがいをする。
冷たい水が口の中で踊る。
…おいしい。
日本にいたときはなんとなく水道水を敬遠していたが、この井戸の水はおいしい。
それにこの冷たさ。
喉が渇いた時に飲んだらどれだけ回復するだろう。
水袋にこの水を入れようと思い、部屋へ戻った。
そのまま扉を開けそうになったが寸前で止まる。
…。
コンコンコン。
ノックをする。
返事がなければまだ寝ている。
数秒待ったが返事はない。
まだ寝ているのだと判断し扉を開ける。
―誰もいない?
布団は敷きっぱなし。
そこに寝ているはずの先輩がいない。
嫌な予感が僕の頭の中を横切る。
窓は全開になっている。
さっきまでは閉めていたはずなのに…。
…。誘拐だ…。
思わず一歩後ずさったとき、
「ばあ!」
思いっきり背中をたたかれた。
「ふわぁ!」
驚いて声を上げ振り向く。
「アハハ。びっくりした?」
無邪気な笑みでそう尋ねる先輩がいた。
隠れてたのか…。
押し開きのドアのちょうど死角のところに器用に隠れて僕を驚かそうと…。
「はぁ。良かった、誘拐されたのかと…。」
安心して腰の力が抜ける。
そのままヘナヘナと座り込んでしまった。
そんな僕を見てナナさんは笑った。
「昨日のまだ覚えてたの?私が誘拐されるわけないじゃ〜ん。私18歳だよ?」
そうは見えないから心配なんだよ。
それに、捜査協力のために自分から誘拐されに行くようなこともしかねない。
心配なんだ。とにかく。
「あぁ〜も〜、やめてくださいよこういうの。」
まあ、それがわからない人でもあるまい。
僕のこの反応を見れば流石に分かるだろう。
「ごめんね。何してたの?」
両手を軽く合わせて謝罪したあと、ナナさんは僕に聞いた。
「井戸水で顔と歯を洗ってました。
冷たくておいしいんで水袋に入れようかと。」
というと、ナナさんも水袋や歯ブラシを持って、
「いいねそれ。私もやる〜。」
と言ったので、2人で一緒に階段を下る。
それにしても、
「髪、意外と長いですね。」
いつもは結んでいるからか気づかなかったが、
ナナさんの髪は肩まで伸びている。
「長いかな?切ったほうがいい?」
と、自分の髪を見ながらナナさんが聞く。
「いやいや、似合ってますし綺麗ですよ、それ。」
まあ、切った姿に興味がないわけではない。
男子と女子で髪の伸びるスピードに差ってあるんだろうか。
「そっか…じゃ、伸ばそ。」
なんかめっちゃ嬉しそう。
似合ってるって言葉がそんなに嬉しいのか。
…。言われて嬉しい言葉はそんなに多用しないほうがいいよな。
ヤ◯チンと同じことしてる感じがするし、
せっかくの褒め言葉が軽くなる、気がする。
2人で井戸へ行き、先に僕が水を替えた。
ナナさんを一人残していくのもなんとなく気が引けるので、庭からこっそり見守る。
覗き見してるみたいでこれもなんか嫌だな…。
彼女はどこからか取り出した櫛で髪をとかしていた。
鏡もないのに器用だな。
慣れなのか?
18年生きてれば慣れるものなんだろうか。
僕は中々髪を櫛でとかしたりしない。
ヒゲを剃るのは鏡見なくてもできるからそういう感じなのか。
…。
長い髪。
触ってみたいと思う程サラサラだ。
まあ、触る勇気もないし、触ったりしたら嫌だろうけど。
にしてもあのサラサラ具合…。
石けん買ったなあの人。
どうりで昨日の朝シュトレスで最後の買い出しをしたとき計算より値段が高くなったわけだ。
まあいい。
快適に過ごすための工夫は大切だ。
だからこそ、早く毛布を買わないと。
時刻は朝7時半。
ナナさんと僕は準備を整え、まずは役所へ向かう。
明日受ける依頼を探すためだ。
今日から受ける誘拐事件の捜査協力依頼の内容確認のために昼頃もう一度役所へ行くが、その前にご飯と毛布を用意したい。
というか正直ご飯はもうどうでもいいから毛布が欲しい。
昨晩ここに初めて来たわけだが、夜市の賑やかさには驚かされた。
もしかして朝までやってる屋台があるかもと期待してはみたが、見事にすっからかん。
屋台もほとんどが撤収している。
何時までやってたんだろう。
宿は屋台街から少し遠いため騒音もない。
意外と22時くらいに終わらせてそうな雰囲気だ。
ゴミもそんなに散らかっていない。
元の世界にあったならここは観光名所になりそうだ。
朝と夜で全く表情が違う街。
…。閑静だな。
これが精一杯の褒め言葉。
寂れていると言う方が正しく思えるほど静かだ。
軒を連ねる家々に人の気配は全くと言っていいほど感じられない。
ツタだらけの家もある。
なるほど、昨晩は全く気づかなかったが、これはなかなかに治安が悪そうな街だ。
狭い路地も何本か生えているが、怖くてのぞけない。
何処かに店はないかと探してみるものの、全く見つからない。
しょうがないが、役所の食堂を使うしかないだろう。
昨日見た感じ結構高かったんだよな。
「なんか、不気味だね。」
隣を歩くナナさんもこの雰囲気には気圧されているようだ。
「ですね。あんまりキョロキョロしないほうがいいかも。」
もし万一悪い人と目が合ったら大変だ。
大きい荷物は宿に預けてあるが、財布と国民証は常に持ち歩いている。
今のところすれ違った人なんていないが、ここは異世界。
何が起こるかわからないためポッケの中に手を突っ込んで常に握っておく。
すられでもしたら最悪中の最悪だ。
なんだかどんよりとしていた朝の屋台街を抜け役所へたどり着いた。
掲示されている依頼はシュトレスのものと大差ない。
迷子犬探しに畑仕事、また出たイマヅクの収穫。
しかし、パトロールやボディガードの仕事も一定数ある。
やはり治安が悪い街らしい。
正直怖くてやりたくないが、金払いはいい。
1回につき60クルス。
2人で120クルス。4800円。
それにしても、指名手配犯…。
殺人、誘拐。
この街の治安がそんなにも悪いだなんて、そんなことシュトレスでもエウルクさんからも1回も聞いていなかったが。
それになんだか妙だ。
どの仕事も時間が午後からで午前からのものはない。
昨日はあったように思うが、眠かったしよく覚えていない。
その理由を聞こうと思い、
受付の方へ行くが、誰もいない。
食堂は…誰もいない。
他の冒険者の姿もない。
そういえば、街で誰か人を見たか?
宿では?
ここに入ってからは?
…。再び嫌な予感がした。
もし…もし仮にこの街で午前中の外出が禁止されていたとする。
それはなぜ?
この街が夜市などをはじめ、夜の街だから。
夜に人が多くなる。
朝にその人たちは寝ている。
昼夜が逆転している。
なら、治安が悪化するのは……!
「ナナさん!」
まだ仕事案内板の前に突っ立っている彼女を呼ぶ。
「どしたの?」
慌てて駆け寄る僕に少し驚いたように言う。
…、人権を重視しているこの国で、外出を禁止することはできない。日本で言う緊急事態宣言とかでてない限り。
外出禁止なんてどこにも書いていなかったから、禁止されているわけではないのだろう。
だが、きっと今が一番治安の悪い時間帯。
「受付にも食堂にも人いないんで、一旦帰りましょう。」
とりあえず引きこもれば安全のはず。
早く帰ったほうがいい。
「え、仕事は?」
僕の考えすぎもあるだろうが、彼女は逆に考えなさすぎだ。少し危うい。
グッと彼女の手を引き踵を返す。
「いいから。帰ります。」
少し語気が強くなってしまった。
けれどもそれでいい。
これ以上外にいるのは危険だ。
早歩きで僕らは役所の外へ出た。
―!
目の前に大柄な男が2人立っていた。
……まずい。
2人は無言のまま光のない目で僕らを見下ろす。
なんとか動かないといけないのに体は言うことを聞かない。
早くナナさんだけでも逃さないと…!
なのに…!なんで…!動かない!
ナナさんの前に立って壁になることしかできない。
そのまま何もできずにすくんでいると、
一人が口を開いた。
「お前たち、ネコか?」
意外にもその語気は柔らかい。
どういうことだ?
ネコって、あの猫だよな。
「…猫、に見えますか?」
真意が何も見えない。
何かの隠語か?
それともこの世界の猫って元の世界の猫とは違う?
いろいろと思案していたが、もう片方の男が口を開いた。
「いや、見えないな。気をつけろ。このへんは変な奴らが多い。俺らみたいなな。外出はそうだな、11時くらいからにするといい。店も開き始める。」
そう言って2人は豪快に笑う。
…、ひとまず助かった、のか?
「はい、ご忠告どうも。」
震えそうな喉を押さえ込んで平静を装って言い切った。
そのまま男たちは何をするでもなく僕らを見送った。
なんだったんだ一体。
とりあえず、何もなくて良かった。
宿に帰るなり、ナナさんが口を開いた。
「なんで急に帰り始めちゃったの?」
まだわからないのか。
本当にこの人は危うい。
「いいですか。この街は昼夜が逆転してるんです。夜市とか居酒屋もありましたし、馬車だって夜のほうが本数多いんです。役所にだってたくさん人がいたでしょう?仕事依頼も全部が午後開始だった。つまり今はこの街にとって深夜なんです。普通に考えて深夜のほうが人通りは少ないし、通る人はおかしいやつが増えるんです。さっきのおっさんたちもおかしいでしょ?僕らが猫に見えたそうじゃないですか。午前は治安がとことん悪いんです。誘拐事件とか、殺人事件とかも起こる街なので、外は危険と判断して帰ることを選びました。」
彼女にも伝わるよう分かりやすく説明する。
「なるほど。」
ホントに分かったのか?
思わずため息が出そうになる。
「つまり瑞樹くんは私を守ろうとしたわけだ。」
からかうような笑みで言うが、
「いえ、守りたかったのは僕自身です。先輩はただのついで。」
本音のまま伝えってやった。
「えぇ〜、ナナさん!なんて呼んじゃってたじゃん?あんな必死でついでって、無理があるんじゃ?」
なおも追撃がしつこい。
「次から守りませんよ。」
そう言ってやると、
「ごめんなさい。もうしません。」
突然姿勢を伸ばしてナナさんは言った。
こうして話していると、男女の差など考えなくなる。
日本にいた時もこんな気持ちで男子とは話していたような気がする。
それでも、宿と役所で嫌な予感がしたとき、2人の大男に出会ったとき、咄嗟に、守ろう、そう本能から思ったということは、
やはり僕は男で、先輩が女だということなんだろう。
男側から見て、女というのは守りたい対象なんだ。
異世界生活6日目。
波乱の1日はこうして幕を開けた。
どうも。
前回の予告で盛大に嘘をつきました、すだちポン酢です。
思ったよりも早く書き終えられました。
このユツムギ編は結構さっさと終わる気がします。
2人の絆(?)もきっと深まるイベントを用意しています。
しかしユツムギを出ても多分貯金は足りません。
まだまだこのペースの展開が続きます。
どうぞごゆっくりお楽しみください。
次回も書き上げ次第投稿予定です。
今回もご覧下さり、ありがとうございました。




