アキレウスの死について
「パリス、ささくれを狙うのだ」
アポロンは囁いた。
「ささくれ!?」
パリスは聴き返した。
「パリス、あのアキレウスの右の爪にある、ささくれを狙って射るのだ。私の加護があるから心配いらない」
「心配いらないとかじゃなくて、何故ささくれなんですか!?」
滔々と始まったアポロンの説明をしっかり全て聴いてから、パリスはもう一度たずねた。
アポロンはその美しい横顔に憂いと静かな怒りを湛え、パリスを諭す。
「アキレウスの弱点はあのささくれだ」
「この間はかかとって言ってたじゃないですか。不死の川の水に浸らなかった部分」
「かかとが浸かってないなら爪先もだろう」
「そうかも知れないけど、なんか嫌です!」
パリスは矢をおろした。その手をアポロンが支える。
美しい顔をパリスの顔に、鼻同士がくっつくほどに近付ける。パリスは思わず視線を逸らす。
「私の願いを聴いてくれパリス。ヘクトールを蹂躙したあのアキレウスを倒すのだ」
「じゃあかかとを狙えって言ってくださいよ……」
その時、アキレウスの馬車が大きく跳ねた。巨体は門壁に飛び掛かる。
「うわわわ」
アキレウスは矢をつがえたイーリオスの兵士たちを薙ぎ払う。パリスはそれを避けながら逃げ惑う。
「イーリオス、殺ス……イーリオス、殺ス!!」
すぐ近くまでアキレウスが来ていた。その顔は戦いの興奮によって紅潮している。伝説にあるような気の利いた言葉なども発する余裕はない。パリスは逃げたが、崩れた端に追い詰められた。
パリスはその足元を見る。右足の爪。それが食い込む指肉のあたりに、確かにささくれがある。
ぐっ、と腕を引き締める。
「くらええええええ!」
パリスは矢を射かけた。
アポロンの加護を受けた矢は一直線に、アキレウスの、右の足の、ささくれに向かった。
命中した。
ついでにかかとも貫いた。
「ガァアアアアアア」
アキレウスが声を上げる。
やった。
パリスは拳を握りしめた。
「イーリオス、殺ス!! イーリオス、殺ス!! イーリオス、ガアアア!!」
アキレウスは止まらなかった。足を縫うように刺さった矢をそのままに星の速度で駆け回る。
「なんでえええええ」
「急所とは言ったが死ぬとは言ってない」
「この神!」
アキレウスはパリスを追い回し、イーリオスの城塞に大打撃を与える。
「イーリオス……殺……ス……」
アキレウスはその運命を終えた。
「死ぬかと思った……」
「パリス、私の言うことは正しかっただろう」
「かかとを狙ったほうが早かったんじゃないですか?」
アポロンは少し考えるそぶりを見せたあと、パリスの頬にキスをした。
「ごまかさないでください」
伝説はここで終わっている。