終わらない今日
あの夢を見たのは、これで9回目だった。
「あなた、起きて。今日はひなまつりよ」
妻の言葉で、私は起床する。
もう同じ台詞を9回聴いている。
「日奈子のためにおひなさまを出してくださいな」
私は雛人形を並べにいく。
これで9回目。
私はこの時間に閉じ込められていた。寝ても覚めても徹夜をしてもこの日に戻ってしまう。
この事に気付いた時、私はあらゆることをためした。
あこがれた男性アイドルの真似をして街頭でダンスを踊ってみた。恥ずかしいだけでまた3月3日の朝に戻った。
百科事典から妖精のイラストを切り抜いて写真を撮ってみた。私の肩に乗る妖精を見て妻が喜んだだけだった。
天下無双の剣豪に勝負を挑んでみた。三度目で偶然が重なり勝利したが、時間のねじれは戻らなかった。
私は雛人形を並べ終わると、布団に潜り込んだ。スマホの電源を切り夢であることを願って目を閉じてみたが、まだ今日という日の終わりまで時間がある。
「あなた、おだいりさまの笏を知りません?」
妻が私にたずねた。初めて聴く台詞だ。一度目は急な仕事でこの時間に家に居なかった。
私は布団から起き上がって、雛人形を改めて観察する。
たしかに笏がない。
「どこへ行ってしまったのかしら」
妻が畳の隙間を探す。
ふと、私の前を飼い猫のミイが通った。彼女が笏をくわえていた。
私はミイから笏を取り返そうと屈んだが、彼女は駆け出してしまった。
取り戻そうと私も駆け出す。
書斎の中をミイは縦横無尽に駆け巡った。
偶然あこがれのアイドルのステップを踏んだ。天下無双の剣豪を倒した手が当たって、百科事典が落ちて妖精のページが破れ飛んだ。布団へ戻って寝てしまいたかったが、あの夢を思い出して頭を振る。
本棚の上にミイを追い込んだ。
「さあ、笏を返してくれ」
私は言って彼女を抱きかかえる。
その時、時空がねじれた。
ミイと私の間にブラックホールが生まれ、あっ、という間に全てが吸い込まれた。
私は闇の世界に放り出される。
「セカイノカギヲアケテシマイマシタネ」
妻のものではない声が聴こえる。奇妙にゆがんで。
「アナタヲモトノジカン二カエシテアゲマス」
光が近付いてくる。ブラックホールの出口。巨大なトリ。トリの降臨。
私は光に包まれた。
「あなた、起きて。今日はひなまつりよ」
妻の言葉で、私は起床する。
「日奈子のためにおひなさまを出してくださいな」
私は雛人形を並べる。
私はこの時間に閉じ込められていた。寝ても覚めても徹夜をしてもこの日に戻ってしまう。
世界はとっくに滅んでいるのかも知れない。
了




