傷のない右腕
男には三分以内にやらなければならないことがあった。
この殺人の始末だ。
死体の喉にはくっきりとネクタイで絞殺された跡が残っている。
場所は便所。相手はかつての同級生。口論がヒートアップしてやってしまった。
指には髪の毛が絡まり抵抗の跡を残している。
興奮していた感覚が静まり、ひりついてきた頭皮を男はさする。
三分後には同窓会の会場に戻らなければならない。
しかし、三分で死体をこの場から消滅させることはできない。
男はおもむろに、自分の顔を便座に叩きつける。五回ほどで男は耐えきれず止まった。
個室の扉に蹴りを入れた。派手に音を鳴らし、人が来る可能性もあったが男は奇行を続けた。
それから死体の彼は常に十得ナイフを持ち歩いていたことを思い出し、衣服を漁る。
指先ほどの刃物で男は自分の首を、腕を、胸を切り刻んだ。
男は殺人の証拠を『正当防衛』で塗り替えようとした。
硬直を始めた死体の手に十得ナイフを握らせる。
首を押さえて男は廊下へ出た。
痛みに耐えながら、すれ違う者の視線を集めながら、男は会場への扉を押し開く。
「救急車を」
かすれた声が出た。
男を中心に、会場へ不安が広がっていく。
「トイレにもいる。救急車を、早く!」
男は叫んだ。首の傷が開くのが手の感触でわかる。
床に腰を下ろす。心臓は激しく鼓動している。この程度の工作で欺けるだろうか。男の頭は冷えているのに呼吸は静まらなかった。
「大丈夫?」
声をかけたのは、男と死んだアイツの共通の思い人だ。
三分の制限時間を与えたのは彼女だ。三分以内に話をつければ、彼女はどちらかのものになると約束した。だが、そもそも二人と同時に通じていたのを彼女は黙っていたのだ。その結果がこれだ。魔女め。男は自分が犯した罪を棚に上げて睨む。
女は男の手を取る。
「ほら、右腕だけ綺麗だよ」
男は、言われて自分の右腕を見る。
袖が細い指に捲られ、傷ひとつない腕が見えている。
「ちゃんとやらないと」
女は笑っていた。