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おれに取材

作者: 雉白書屋

「あのー、すみませーん」


「え、はい。なんですか? あれ、カメラが……もしかして、テレビ?」


「そうですー。どうも、失礼します」


 庭で植木の手入れをしていたおれに、生け垣の向こう、道路から声をかけてきたのはテレビ関係者だったらしい。マイクを手に持ったインタビュアーらしき男とカメラマンの他数名が門から入ってきた。

 

「えっと、あの、うちになにか……?」


「ああ、いえ、ははは。そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ」


 おれは一人暮らしをしている息子が何かしでかしたのかと思い、動揺してしまった。男たちはその様子を笑い、おれは恥ずかしさで顔が熱くなり、後頭部がかゆくなった。


「えー、こちらのお宅でワンちゃんを飼っているということですが」


「え、は、はい」


 カメラとマイクを向けられ、おれはぎこちなく答えた。


「なんとそのワンちゃん、あの中谷選手が飼っている犬と同じ犬種だそうですね!」


「え、えっと、中谷選手というのは……」


「え……まさかご存じないんですか? ええっ!?」


 インタビュアーは目を見開き、驚いた。畏怖の念さえ抱いているようであった。


「えと、あの、野球選手ですよね? 今メジャーリーグで活躍している……」


 おれがそう言うと、一同ほっとしたように顔を緩め、それから胸を張った。


「そう! そうなんですよ! 彼は我々日本国民の誇りですよね!」


「ええ、まあ……」


 確かに中谷選手の記録は野球界の歴史に残るとされていて、日々テレビを賑わせているようだが、おれは野球に興味がなく、中谷選手に対して特別な感情は抱いていない。おれのその感情が顔に出ていたらしく、インタビュアーは顔を歪ませ不快感を露わにした。どうも彼らはどこか自分たちと中谷選手を同一視しているようだ。


「あの、それで、うちの犬がなにか?」


「ああ、そうでした! えー、最近、中谷選手が飼い始めた犬と、同じ犬種の犬をこちらのお宅で飼っているということで、ご主人、今のお気持ちは?」


「いや、お気持ちはと言われましても……まあ、手がかかる犬を飼い始めたんだなと」


「て、手がかかるんですか!」


「え、ええ、まあ、吠えたり、噛んだり、まあ、雑種ですので、そういうのも関係してるのかな、と」


「ミックス」


「はい?」


「今どきはミックスって言うんですよ。ちょっと今の部分はカットしますので、言い直していただけますか?」


「え、まあ、はい……えっと、どのように言えば……」


「さっきご自分が話したことをそのまま言い直してくださればいいんですよ」


「えっと、さっきって、えーっと、ははは、なんて言ったっけな」


「はあ……じゃあ、ミックスとだけ言ってください。こちらで編集しますので、はい、どうぞ」


「ミ、ミックス!」


「もっと自然にお願いします」


「ミックス……」


 おれはなぜか虚しくなり、泣きたくなった。


「はい、どうも。それで、ワンちゃんは今どこにいますか?」


「ああ、今、妻が散歩に連れて行ってます」


「いつお戻りに?」


「さぁ……」


「そうですか……奥様はいつおでかけになられたのですか?」


「えっと、いつだったかなぁ……まあ、そんなに長くはかからないと思いますけどね。散歩コースは近所ですから」


「はぁ……」

「旦那が職場を定年退職して、家に一緒にいるのが嫌なパターンでしょうか」

「だとしたら長くなるな」


「ちょ、ちょっと、何を話してるんですか」


「ああ、こっちの話ですので。あ、じゃあ先にこの出演承諾書にお名前を書いてもらってもいいですか?」


「ああ、まあいいですよ……はい」


「はい、ありがとうござ、え! 嘘、こ、これ、本当ですか? 冗談ですよね?」


「え、何がですか?」


「お名前! 翔太! あなたのお名前は翔太というんですか!?」


「え、ええ、それが何か」


「それが何かじゃないですよ! 中谷選手と同じ名前じゃないですか! 彼は中谷翔太というんですよ! あなたも知っているでしょう!」


「いや、名字は違いますし、あの、ちょっとカメラのライトを消してもらえますかね」


「今のお気持ちは!」


「いや、だからライトが眩しい……」


「これは大変な事実が発覚しました! こちらのお宅のご主人、なんと中谷選手と下の名前が同じなんです! さあ、ご主人! 今のお気持ちをお聞かせください!」


「いや、まあ、嬉しいです、はい……」


「やはり、ご両親が中谷選手にあやかりたいと思って名前をつけられたんでしょうか?」


「そんなわけないでしょ。私の方がその選手より先に生まれているんだから」


「いやー、こんな偶然あるんでしょうか! ちなみにご主人、息子さんは?」


「今、家を出て都内で働いてますよ」


「お名前はやはり翔太さんですか?」


「そんなわけないでしょ。息子と父親が同じ名前じゃ紛らわしいでしょ」


「最近多いんですよぉ。中谷選手にあやかって、生まれた赤ちゃんに翔太と名前をつける人が。いやー、それにしても誇らしい気持ちでいっぱいでしょ! 自分が活躍している気分で!」


「いや、そんなことはないですよ。昔ならわかりませんけど、今はもう同姓同名じゃないし」


「ははは、そんなこと言って……え?」


「ん?」


「え、今は? 今はもう同姓同名ではないというのは、どういうことでしょうか?」


「ん、ああ、私はね、旧姓が中谷で――」


「ななななんななな!」


「どど、どう、どうした?」


「な、なんということでしょうか! まさかの中谷選手と同姓同名! こ、こんな奇跡があり得るんでしょうか!」

「おい、カメラもう一台、いや、二台よこしてくれ。現場は――」


「いや、だから元ですよ。私は元・中谷翔太だったんです」


「ということは同じ犬種を飼ったいうのも、やはり意識されてのことだったんですね!」


「いや、飼い始めたのもうちの方が先だろう」


「しかし、今はお名前が違うということは、婿養子ですか?」


「ええ、そうですよ」


「いやー、なんで婿に入っちゃったんですかぁ。もったいないなぁ」


「いや、そんなこと言われてもね、結婚したのはもう何十年も前だし、その時にはまさか、こんなに活躍する野球選手が現れるとは思わなかったというか、いや、知ってたとしても何もないけど」


「離婚しませんか?」


「しませんよ! するわけないでしょ! 何言ってんだ、あんた!」


「ええぇ、しましょうよ。国民的スターと同姓同名になれるチャンスですよ?」


「だからねぇ、野球にはそんなに興味がないんだよ」


「あ、奥様が帰ってきました!」


「聞きなさいよ」


「あなた、これなんの騒ぎ?」


 散歩を終え、犬を連れて庭に入ってきた妻がおれに訊ねた。


「いや、実はほら、うちの犬がさ、あの中谷選手が飼っている犬と」


「ああ、同じ犬種だそうですね」


「なんだ、もう知ってたのか」


「ええ、ご近所さんやら何やら、道で会った人たちから聞きました」


「なるほどな。ははは、チヤホヤされてたわけだな。こいつ尻尾なんて振って、一躍スターだな。ははははっ」


「あのー、奥様ですよね?」


「ええ、まあ、そうですけど」


 妻はいつも通り振る舞おうとしているようだが、マスコミを前に緊張しているのか体が少し震えており、おれはそれがどこか面白かった。


「いやー、今、ご主人の旧姓が中谷だという衝撃的な事実が発覚しまして、ええ、奥様もさぞ驚かれたことでしょう。この件についてどう思われますか?」


「いや、妻は前から知ってたよ。当たり前だけどな」


「ああ、中谷選手と同姓同名だったんですよね」


「はい。ちなみに奥様は中谷選手のことを当然ご存じで、応援もされてるんですか?」


「ええ、テレビで見て知ってます」


「なるほど。いやー、奥様も誇らしいでしょう! ご主人と同じ名前ですからね!」


「その、『奥様』って呼び方はやめていただけませんか? 女性は家の奥にいるべきだと言われているみたいで、とても不快です」


「あ、大変申し訳ありません」


「ははは、お前、何言ってるんだよ」


「あなた」


「ん?」


「離婚しましょう」


「はぁ!?」


「ああっと! これは奇跡です! 今ここに、第二の中谷翔太が誕生しようとしています!」


「いや、おれが第一だよ! いや、そんなことよりも、お前、はぁ? 離婚? 何を、お前までこんなバカ騒ぎに乗せられているのか? おれをその野球選手と同姓同名にしようとして……」


「いや、単純にあなたのことが嫌いなの」


「はあ!?」


「ほんとに鬱陶しい」


「なあ!? そ、それはあれか? さっき彼らが言っていたように、夫が定年退職して家にいるから、どうのこうのとか」


「その話をしていたのかは知りませんけど、まあそれです。よくある熟年離婚のパターン。ワイドショーでこの前もやってました」


「な! なな、ワ、ワイドショーで、お、お前らが広めなければぁ……」


「ははは、それは責任転嫁というものでしょう」


「うるさい! 何を勝手に撮ってるんだ! 撮るな!」


「同意書にサインももらっていますし。あ、よろしければ奥、あ、えっと」


「真由子です」


「真由子さんもサインを……え、ま、真由子さん!? そ、それは最近結婚した中谷選手の奥さんと同じ名前じゃないですかぁ! これはもう一体どうなっているのでしょうか! 奇跡としか言いようがありません! 我々は今、奇跡を目の当たりにしているのです!」


「はしゃぐんじゃない! な、なあ、離婚なんてよさないか? なあ」


「もー、あなたとほぼ同姓同名の中谷選手の活躍を毎日毎日テレビでしつこいくらい放送するから、あなたを連想して、もーうもうもうもぉぉぉぉぅ、ほっっんと嫌なのよぅ!」


「な、中谷ハラスメントの被害者がこんなところにも……」


「もうノイローゼになりそうよ。あなたにも中谷にもうんざり!」


「それはちょっと彼に申し訳ない気もするが……と、とにかく考え直してくれよ。なあ、なあ」


「ちょうどいいじゃないですか。あなたはこれから中谷翔太としてアメリカでもどこでも行けば」


「行けるわけないだろ!」


「いや、局の企画で中谷選手に会いに行きましょう。パスポートはお持ちですか?」


「黙ってろ!」


「はぁぁぁ、せいせいしたわ! 離婚届をもらってくるわね! ハハン、ハンハハン、ハーン!」


「いや、おい、ちょっと! おーい!」


「あの、ご主人。今のお気持ちは?」


「お前ら、うるさい!」

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