闇バイト(4)
新宿中央署に戻ると織田強行犯捜査係長が、わたしたちの帰りを待っていてくれた。
たしか織田係長は夜勤明け勤務であり、本来であれば昼前には勤務終了しているはずだった。すでに日は暮れ、夜になろうとしている。
「ご苦労さま。大変だったな」
織田はそう言うと、カップのホットコーヒーをわたしと富永に差し出した。
こういった気遣いが嬉しかった。しかし、織田がわざわざ苦労をねぎらうために残っていたということは考え難い。きっと何かあるのだろうな。そう思いながらわたしはコーヒーを受け取った。
しばらくして、織田が重い口を開いた。
「今回の件について、報告書を頼む。あと、どうして新浜を死なせることになってしまったのか、その点についての詳細も聞かせてもらう。どうも、監察が動きそうなんだ」
「監察……ですか」
報告書を書けと言われることはわかっていたが、まさか監察が動くというのは少々予想外なことだった。まだ新浜が死んで数時間しか経っていないというのに、もう監察が調査に乗り出すということに何だか違和感を覚えた。
監察というのは、警察の不祥事などの調査をする警察官のことだった。正式には、警視庁警務部監察官室に所属する捜査員のことをそう呼ぶ。通称、警察の警察。同じ組織内で不正などがなかったかを捜査するといった役割を持っている。そのため、警察官たちから嫌われる存在であることも確かだった。
「まだ決まったというわけではないんだが、笹原課長が気にされていてな」
「何かあったのでしょうか」
「先月の板橋中央署で地域課の巡査が職務質問をしようとして、対象者を事故死させてしまった件があったよな」
「ええ」
それは松本アオイの件だった。忘れたくても忘れられない事故のひとつである。
「あの事故以降、マスコミの警察に対する追求があるようだ。今回の件も上はピリついているみたいで、報告をしっかりしろと言ってきた」
「そうですか……」
「しかし、起きてしまったものはどうにもできない。今回の件は殺人事件であるし、我々が防げた問題でもないと私は思っている」
織田係長はそう言うと小さくため息をつき「すまんな」と言った。
富永とわたしが報告書を書いている間も、織田係長は自分のデスクで仕事を続けていた。すでに勤務時間は三〇時間くらいになっているはずだ。織田係長の机の上には栄養ドリンクの瓶とブラックコーヒーのショート缶が並べて置かれていた。
電話が鳴っていた。自分の電話ではないと思い放置していたが、しばらく着信音が鳴り続けるので誰の電話が鳴っているのだろうかとわたしは席を立ち上がって、辺りを見回した。
するとわたしの視線に気づいた織田係長が慌ててスマートフォンを手に取る。どうやら、鳴っていたのは織田係長の電話だったようだ。さすがに疲れが隠しきれない様子だった。
電話をしながら刑事課の部屋を出ていった織田の背中を見送りながら、わたしは書き終えた報告書の見直しをしていた。
「富永、高橋、ちょっと来てくれ」
先ほど電話をしながら出ていった織田係長が駆け足で戻ってくると、わたしたちを刑事課の部屋の隅にある打ち合わせスペースへと呼んだ。
なにかあったのだろうか。そう思いながら、わたしと富永は打ち合わせスペースへと向かう。
「墨東警察署の刑事課から連絡があって、新浜ケントと一緒に貴金属店を襲った一人が逮捕されたそうだ」
「本当ですか」
「ああ。すぐに墨東警察署へ行ってくれ」
「わかりました」
わたしと富永は自分のデスクに戻ると、椅子にかけてあったコートを取って刑事課の部屋を出た。
捜査車両に乗り込みエンジンを掛けていると、スマートフォンに織田から墨東警察署で逮捕された人物の情報が送られてきた。わたしは素早く目を通して、スマートフォンの画面を閉じるとアクセルを踏み込んだ。
「富永さん、織田さんから来たデータについて教えてもらえますか」
わたしは助手席に座る富永に言う。
ちょうど富永もそのデータを読んでいたらしく、情報を掻い摘んで口にし始めた。
「墨東警察署に逮捕されたのは、東野大貴。年齢は二十四歳。住所は不明。錦糸町にある会員制サロンへ押し込み強盗をしようとしたところ、従業員からの反撃に遭い、その場で取り押さえられたとのこと。現在、墨東警察署で取り調べを受けているが、新浜と一緒に貴金属店を襲ったことも認めているそうだ。東野はSNSを使った闇バイトに応募し、金を受け取りに行ったところ、指示役からさらに収入をアップしないかと新しい仕事を持ちかけられたと話しているみたいだ」
「一度犯罪に手を染めると、底なし沼のように抜け出すことが出来ないって話のいい例ですね。SNSとかみたいな手軽に応募できる窓口が地獄の入口だというのに、そのことに気づかずに……」
「罪に対する意識が低いんだろうな。一回で数十万稼げるなんて甘い話があるわけないのにさ」
「墨東署が逮捕した、その東野という男から新浜を突き落とした犯人に結びつけばいいんですけれど……」
「そうだな……」
富永はそう相槌を打ったものの、それは難しいだろうなといった表情をしていた。