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たとえ君が微笑んだとしても(10)

 見るからに不審な人物だった。あたりの様子を伺うかのようにキョロキョロと見回しており、時おり住宅の中を覗き込むような仕草を見せている。

 格好は黒のダウンジャケットに黒のツバ付きキャップ、ブラックジーンズで足元のスニーカーだけは白かった。体格からして男であることは間違いなく、身長は一八〇センチ前後あるように見える。

 男は住宅の塀を乗り越えようとしているのか、足を塀に掛けてよじ登ろうとしていた。

「何をしているんですか?」

 声を掛けられた男は、ビクッと体を震わせてゆっくりとこちらを振り返る。目元はサングラスで隠れており、口元は黒いマスクで覆われていた。

「どうかしましたか?」

 相手が何も答えないため、再び声を掛ける。

 しかし、男はまた何も答えようとはしない。

 声の主の腕が見えた。紺色の制服を身にまとった地域課の警察官である。制服警官は怪しい男に声を掛けながら、手を伸ばせば届く距離まで近づいていっていた。

 その映像は、制服警官がつけていたボディカメラのものだった。最近は、交通規則違反の取締時や職務質問時のトラブル防止のために制服警官の行動を記録できるようにボディカメラを装着しているのだ。

 制服警官に声を掛けられたことで、塀を乗り越えることを諦めたのか、男は足をおろした。

「板橋中央署です。ちょっとお話を聞きたいので、マスクとサングラスを外してもらってもいいですか」

 猫なで声で制服警官は男に話しかける。

 男は観念したかのように頷くと、サングラスに手を伸ばした。

 次の瞬間、男はサングラスを制服警官に投げつけると、踵を返して走り出した。

「ま、待ちなさい」

 サングラスを投げつけられたことで一瞬怯んだ制服警官は、慌てて男のことを捕まえようとしたが、男は走って逃げ出していた。

 追いかける制服警官。揺れる映像。

 男は全速力で逃げていくが、制服警官も負けてはいない。制服警官は、制服の下に防刃ベストを着込み、腰には警棒や拳銃、無線機という装備品を下げている。しかも、足元はブーツである。しかし、それでも走れるように警察学校で訓練を受けていた。

 十字路に差し掛かり、角を曲がる。急な方向転換。制服警官は男よりも少し大回りとなってしまったが、距離はだんだんと近づいてきているように思えた。

「待ちなさいっ!」

 制服警官は叫びながら男の背中を追いかける。そうしながらも、肩につけられた無線機を使って、所轄署へと連絡を入れていた。

「現在、男一名、逃走中。応援を願う。男の特徴は、黒のダウンジャケットに黒のジーンズ、スニーカーは白。中肉中背で身長は一八〇センチ前後と思われる。現在、追跡中」

 また角を曲がる。この先には大通りがある。人通りの多い通りだ。そこに出られると、逃げられてしまう恐れがある。制服警官はそう思ったのか、走るスピードをさらにあげた。

 男の足は速かった。制服警官との距離がだいぶ開いてしまっている。

 大通りに出た。幹線道路であるため、車通りは激しかった。

 男はまるでハードル選手かのようにガードレールを飛び越えると車道へと飛び出して、向かってくる車の間を縫って走っていこうとする。

「待ちなさ……」

 そこまで制服警官が言葉を発した時、甲高いブレーキ音が耳をつんざいた。

「あ……」

 カメラの動きが止まる。制服警官が立ち止まったのだ。そして、ボディカメラの映像には大型トラックに跳ね飛ばされる男の姿が映し出されていた。


 会議室の電気が点けられ、一瞬目がくらんだようになる。

「以上が、板橋中央署地域課の警察官が撮影した映像になります」

 警視庁にある大きな会議室だった。しかし、その会議室にいるのはわたしを含めて数人の刑事だけである。

「先ほど安置所で、新宿中央署刑事課強行犯捜査係の高橋巡査部長に確認をしてもらいましたが、事故にあったのは松本アオイであるということが判明しています」

 そう。わたしは板橋中央署の死体安置所まで出向き、松本アオイの死体を確認してきた。信号のない幹線道路を無理に横断しようとして、トラックに跳ねられたのだ。身体はトラックのタイヤに巻き込まれたためグチャグチャになっていたが、奇跡的に顔だけは綺麗なまま残されていた。

 身分証の類は何も持っていなかった。ダウンジャケットのポケットに入っていたスマートフォンはトラックのタイヤに踏み潰されており、復元不可能状態だった。

 そんな中で男の正体を判明させるための唯一の手がかりとなったのは、スマートフォンケースの中に収められていた一枚の名刺だった。ぐしゃぐしゃになり、血で汚れた名刺には確かに『警視庁新宿中央署刑事課、高橋佐智子』という文言が書かれていた。その名刺は、以前ミドリの墓参りに行った際にアオイと会って渡したものだった。まさか、その名刺がアオイの身元確認に繋がるなどとは思いもよらぬことだった。

「板橋中央署地域課としましては、犯人を追いかけた巡査の行動には問題はなかったと考えています」

 板橋中央署の地域課長が立ち上がって、捜査の正当性を説明する。

 職務質問から逃れようとした松本アオイが幹線道路を無理やり渡ろうとして、交通事故に遭った。巡査の捜査のやり方には問題はなかった。あくまで松本アオイが単独で起こした事故なのだ。

 松本アオイの死によって、すべては終わった。警視庁捜査二課が追いかけていた沖縄の詐欺疑惑事件の真相も、わたしが追いかけていたミドリの死の真相もすべてがわからなくなってしまったのだ。

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