たとえ君が微笑んだとしても(8)
翌日、刑事課の部屋で事務仕事をしていると黒のロングコートに手提げのビジネスバッグという姿の二宮がやってきた。近くの現場で仕事があったため、こちらまで足を伸ばしたということだった。
「見ましたか、これ」
そう言って二宮は佐智子のデスクにカバンから取り出した週刊誌を置く。
週刊ダイナマイト。表紙には白い水着を着たグラビアアイドルが谷間を強調したポーズで写っており、その周りには芸能人の不倫疑惑や政治家のスキャンダルといった文字が踊っている。
わたしはその週刊誌を手に取るとパラパラと中身をめくってみた。
そのページはすぐに見つけることができた。白黒で一ページ。目立つようなものではなかったが、そこには『沖縄県で起きた風力発電詐欺事件を追う』という見出しではじまる記事が書かれていた。これは連載ものらしく、第二回と書かれている。
記事の中身は関係者たちをぼやかすような形で書いてはいるが、明らかに松本アオイのことだとわかる人が見ればわかるようには書かれていた。
さらには、疑惑の人物の兄がとある殺人事件に巻き込まれたということが書かれており、これは明らかに松本アオイのことを書いているのだとわかった。
「これを読んだアオイさんが姿を消してしまったってわけですか」
「まあ、そういうことになりますね」
週刊誌を机の上に戻すと、隣の席から富永が手を伸ばしてパラパラと週刊誌をめくりはじめた。
「この関係者筋っていうのは、二宮さんのことですか?」
「勘弁してくださいよ。そういうことは冗談でも言わないでください。いま本庁はこのことでピリピリしているんですから」
富永の言葉に、二宮は真剣な顔で否定する。
「でも、どこから週刊誌に情報が漏れたんでしょうね」
「逆なんですって、富永さん」
「え?」
「週刊誌に情報が漏れたんじゃなくて、警察が週刊誌から情報をもらっていたみたい」
わたしは小声で富永に教えた。
それを聞いた富永は「なるほどね」と呟くように言って、パラパラとページをめくる。わたしもそれを覗き込むようにして見たが、週刊誌には松本アオイに関する記事以外に、特に興味をそそられるような記事は何もなかった。好きな女子アナランキングや、スケベ目線で見た女優のランキング、はたまた官能小説などが掲載されていて、松本アオイの件に関してもただの下世話な噂話と鼻で笑われる程度の話なのかもしれなかった。
「これが上層部の目にとまったら、面倒なことになるよな」
「でも、そうなったら正式な捜査ができるようになるんじゃないですか?」
「そんなお気楽なことを言わないでくださいよ、高橋さん」
本当に困ったような表情で二宮は言うと、富永が興味を失って机の上に戻した週刊誌を手に取った。
「こうなったら、週刊誌が色々と書く前に我々で証拠を集めて……」
「それは、正式な捜査じゃないんですよね」
富永が面倒くさそうな顔をして二宮に言う。
正直なところ、わたしたちはそこまで暇ではなかった。一日に数十件という頻度で事件は発生するし、猫の手も借りたいくらいに忙しいのだ。
「まあ、そうです……」
「うちも忙しいんですよ。わかってください、二宮さん」
「それは重々承知しています。ですが……」
「もう一度聞きますけれど、これは正式な捜査ではないんですよね」
「そうですよ、違いますよ」
富永がしつこく聞いたため、二宮は怒ったような口調で言った。
「じゃあ、焼き肉だな。そうだろ、高橋」
「え?」
「お前、この前行ってみたい店があるって言っていたじゃないか」
「え……ああ、ええ」
確かにわたしは富永にスマホの画面を見せながら、この焼肉屋に行ってみたいですねという話をした覚えがあった。その焼肉屋はちょっと高めの店なのだが、牛を一頭買いしているため、他の店では食べることの出来ない希少部位なども食べることが出来るということが書かれていたのだ。
「わかりましたよ。焼き肉でいいんですね」
やっと富永の言わんとしていることが何なのかを理解した二宮が言った。
「店はこちらが指定しますよ」
「ええ。ですが、事件が解決したらという条件付きです」
「交渉成立ですね」
そういって富永は右手を二宮に差し出すと、二宮は苦笑いをしながらも握手を交わした。
どうやら、焼き肉を奢ってもらうことで事件の捜査協力をすると富永は決めたようだ。
「おい、高橋。お前も休日返上で協力するんだぞ」
「え? わたしもですか」
「当たり前だろ。お前が行きたいって言っていた店に連れて行ってもらうんだぞ」
「高橋さん、よろしくお願いします」
二宮は爽やかな笑顔で言うと、週刊誌を持っていたカバンの中にしまって刑事課の部屋を出ていった。
どちらにせよ、ミドリの事件の真相は知る必要があった。それにアオイのことも気になる。仕事としての捜査ではないが、やらなければならないことなのだ。わたしはそう自分に言い聞かせると、残っていた報告書を仕上げるためにパソコンの画面に意識を集中させるのだった。