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ミドリ(1)

 高円寺の駅前にある個人経営の喫茶店でコーヒーを飲んでいた。

 古めかしいけれど、どこか温かい雰囲気のある店で、学生時代によく通っていた喫茶店だった。いつも同じ席に座り、コーヒーを飲みながらおしゃべりをしたり、本を読んだり、勉強をしたりして、何時間も居座ったりしていた。

 その日は、ミドリとふたりで喫茶店にいた。

 ふたりでケーキセットを注文して、わたしは飲み物をブラックコーヒーにする。コーヒーが飲めないミドリは、いつものようにダージリンティーだった。

 ミドリは付き合っていた頃と、なにも変わっていなかった。

 いつも着ているロックバンドのTシャツは、痩せすぎなぐらいの体型であるミドリには似合っていなかった。

 ミドリは大食いなのだが、その食べたものはどこへ行ってしまうのかと聞きたくなるほどに痩せていた。それでもって色白で高身長だから、もやしというあだ名がよく似合っており、本人もそのあだ名を気に入っていたりした。


「ねえ、さっちゃん。おれは『さっちゃん』っていう呼び方が好きだな」


 ミドリは少し照れくさそうにいう。

 でも、その表情はどこか寂しそうであり、泣きそうでもあった。

 なんでそんな表情をするのよ。わたしもつられて泣きそうになってしまう。


「おい、高橋。高橋佐智子。高橋佐智子巡査部長」


 自分の名前を連呼され、わたしは目を覚ました。はっと顔を上げると、そこには同僚で先輩の二川巡査部長が立っていた。


「お疲れのところ、申し訳ない。もう勤務時間は終了したんだから、休むならここ以外の場所で休んでくれないか」


 まるで能面のように表情のない顔で二川がいう。それが逆に怖かった。

 彼に悪気はないことは、わかっていた。元からこういう顔なのだ。感情があまり表には出ない。二川はそういう男なのだ。


「すいません。ありがとうございます」


 わたしは慌てて帰り支度をはじめる。

 きょうは夜勤明けの勤務だった。前の晩から一睡もせずに、午前一〇時までぶっ通しで働いていたのだ。

 午前一〇時以降は残業時間となるわけだが、わたしはまだ終わっていない書類の整理をしようとパソコンの画面を見ていた。そこまでは覚えている。

 どうやら、そこで力尽きたらしい。いつの間にか眠ってしまっていたのだ。

 それにしても、変な夢を見たものだ。なんで、いまさら元カレのミドリが夢に出て来たのだろうか。もしかして、わたしは寂しいのか。

 自嘲気味に笑うと、ビジネスタイプのリュックサックを背負って立ち上がった。


「お先に失礼します」


 デスクワークに励む同僚たちに声をかけて、刑事課の部屋を出る。

 帰る前に寄った洗面所で鏡を見たとき、わたしは自分の顔を見て苦笑いを浮かべた。くっきりと、おでこにパソコンのキーボードの跡が残っている。


「あーあ、こりゃダメだわ」


 ひとり言を呟き、前髪をおろして額を隠した。

 どうせ家に帰っても何も無いし、どこかでお昼を食べてから帰ろう。

 そんなことを考えながら、新宿中央署の建物を出ると、駅とは逆の方向へと歩きはじめた。

 駅前には色々な飲食店があることは知っている。しかし、それはどこもチェーン店ばかりなのだ。

 いまのわたしの舌はチェーン店の安定した食事よりも、個人経営の店の突出した味を求めている。その店でしか味わえないものが食べたいのだ。新宿の街に何軒か行きつけにしている店はあった。悩んだ挙句、その中から老舗の洋食店にすることにした。なんだか無性にオムライスが食べたくなったためだ。


 その店は午前十一時に開店だったが、十一時十分現在の時点で店の前にスーツ姿のサラリーマンたちの行列が出来はじめていた。

 わたしは足早に進むと、その最後尾につく。この店のオムライスは並んででも食べたい一品だった。

 待つこと十五分程度で、店の中に案内された。

 ランチメニューは、オムライスとハンバーグ定食、カレーライス、ハヤシライスなどがあったが、一番人気は断然オムライスであった。ソースはデミグラスソースで、中にケチャップライスが入っているやつだ。


 カウンター席に腰を落ち着けたわたしは、スマートフォンを取り出してニュースサイトの情報を見ながら、注文したオムライスが来るのを待っていた。

 隣に座ったスーツ姿の初老の男性が、カツカレーの大盛りをおいしそうに食べている。人が食べているものはおいしそうに見えてしまうもので、わたしはカツカレーもアリだったかと心の中で呟いていた。


 しばらくしてオムライスが届き、わたしは銀色のスプーンでそれを堪能した。

 とろとろになった半熟の卵におおわれたケチャップライス。そして何よりも、かかっているデミグラスソースの味が絶品なのだ。何度食べても飽きない味。ひと口食べる毎にやってくる、幸せなひと時。

 米つぶひとつ残さず綺麗にオムライスを食べ終えると水を最後にひと口飲んで、紙ナプキンで口の周りについているであろうケチャップライスの色を拭き取る。

 ごちそうさまでした。


 昼食を終えたわたしは、そのまま駅へと向かった。あとは自宅に帰って、シャワーを浴びて、寝るだけだ。

 明日はまた夜勤である。たくさん寝て、体調を整えておかねばならなかった。

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