えびさわたいこ(2)
「おい、高橋。そろそろ、休憩時間終わりだ」
富永の声で、わたしはハッと目を覚ました。どうやら、座ったまま眠ってしまっていたようだ。
「あ、すいません」
慌てて起きたわたしは唇の端から零れ落ちそうになっていたヨダレを啜ると、残っていたミネラルウォーターを飲み干してから、ソファーから立ちあがった。
刑事課の部屋に戻る廊下で、素早く手鏡で顔を確認したが涙は出ていなかった。少し寝たせいもあって、アルコールはほとんど抜けている。
自分の席に戻ったわたしは、今回の内偵捜査の報告書をパソコンで作成した。
ここ数日、わたしはホストクラブに通っていた。
もちろん個人的な趣味で通っているわけではなく、それが内偵捜査だったのだ。
新宿中央署刑事課に所属する女性警察官は、わたしを含めて3名である。ひとりは窃盗犯などを専門に捜査をする盗犯係であり、もう一人は事務仕事専門の庶務係であった。やはり、内偵捜査を行うのは担当である強行犯捜査係がふさわしいだろうという話しになり、わたしに白羽の矢が立ったのだった。
新宿中央署刑事課が追いかけているのは、通称「えびさわたいこ」であった。
その名前はもちろん仮名であり、正体不明の容疑者などに刑事たちはあだ名をつけて呼ぶといった風習がある。
ここ数か月、新宿中央署管内ではホストに対するこん睡強盗事件が発生していた。
いずれも被害者は歌舞伎町にあるホストクラブに勤めるホストであり、大口の女性客だった「えびさわたいこ」とアフターをして、自宅に招き入れたところでこん睡強盗の被害にあっていた。
手口はいずれも巧妙であり、まず「えびさわたいこ」は狙いをつけたホストを指名し、常連客となる。
えびさわが指名するのは大抵、店の人気ナンバー8ぐらいの中堅どころのホストであり、そのホストが人気五位になる程度にシャンパンを入れたりしてホストに金を落とす。
そのホストの売り上げが伸びて、人気ランキングの順位が上がってくると、えびさわ以外の客たちもそのホストを指名するようになるため、さらにそのホストの人気順位は上がっていく。そこまではえびさわも、ホストに金を使い続けるのだ。
ある程度、人気となったホストは、人気が無かった頃から支えてくれたえびさわに感謝をしている。だから、アフターを誘われれば、断ることはしない。
そこまで来たら、えびさわの術中にはまっているといっても良かった。
えびさわはアフターの際に、ホストの自宅に行きたいとせがむのだ。もしそこで断られたとしたら、諦めたふりをして酒の中にクスリを盛り、介抱をする振りをしてホストの自宅へとあがりこむ。そして、ホストの自宅から高級腕時計、アクセサリーなどの金品を強奪して姿を消す。ホストひとり頭の被害額は少なくとも数千万円相当であり、ホストに貢いだ金額以上の金品を奪い去っていくのだった。
海老で鯛を釣る手口。だから「えびさわたいこ」というわけだ。
わたしが通っているホストクラブは、まだ「えびさわたいこ」の被害にあっていない店だった。次はこの店に来るだろう。そう目星をつけて、内偵捜査を進めている。
アルコールは弱い方ではないが、仕事とはいえ毎晩のように飲み続けるのは身体がきつかった。周りの人間に自分が刑事であるということを気づかれるわけにはいかなかった。そのため、ホストクラブで楽しんでいるように見せながらも、その店のホストと客の関係性などを探り、えびさわたいこを見つける。アルコールを摂取しながらも、どこか気が張っている状態が続いており、精神的にも疲労がたまりつつあった。