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えびさわたいこ(1)

 こういう世界が好きな人の気持ちもわからなくはないな。

 タクシーの後部座席で揺られながら、わたしは独り言をつぶやいていた。

 時刻は深夜一時を過ぎており、やっとのことで捕まえたタクシーだった。


「新宿中央警察署まで」


 乗り込んだタクシーで運転手に行き先を告げると、ルームミラー越しにこちらをちらりと確認したのが見えた。得体のしれない女の酔っ払いが、歌舞伎町からタクシーに乗って新宿中央警察署へ向かってくれと言っているのだ。こいつは、一体何者だ。そう思うに違いなかった。自分が運転手の立場だったら、同じことをするだろう。わたしはそんなことを思いながら、運転手の視線に気づかない振りをしてスマートフォンに目を落とした。


 歌舞伎町から新宿中央警察署までは、車であれば一〇分掛からない程度の距離だった。

 署に着くまでの間に、少しでも体内のアルコール濃度を下げておきたかったので、タクシーに乗る前にコンビニで購入したミネラルウォーターを半分ほど一気に飲んだ。いくら仕事とはいえ、酔っぱらって職場に戻るというのは、どうも気が引けたのだ。


 署の前で停めてもらい、領収書を貰ってからタクシーを降りた。少し足元はふらついている。これは普段履きなれていないハイヒールのせいなのか、それとも少し飲みすぎたせいなのか、いまのわたしには判断が出来なかった。


「おつかれさまです」


 署の二階にある刑事課の部屋に戻ると、夜勤担当である同僚たちに挨拶をした。心なしか普段よりも声が大きい気がしてヤバいと思ったが、そう思った時はすでに遅かった。


「随分とご機嫌ですな、高橋巡査部長」


 自分の席に腰をおろすと、隣の席にいたひとつ年上の先輩である富永が半笑いの表情でいう。


「これも仕事ですから、富永さん」

「まあ、そうだな。ご苦労様です」


 全然感情のこもっていない言葉を告げる富永にわたしはむっとして言い返そうかと思ったが、自分が酔っぱらっているのだと思い直して感情を引っ込めた。

 しばらくの間、机の上に置いてあるパソコンの画面を見つめていたが、仕事にはならなかった。やはり酔っぱらってるのだ。


「少し休憩してろよ。何かあったら、呼ぶからさ」


 席に座ったまま、ぼんやりとパソコンの画面を見ているだけのわたしを見るに見かねた富永が声を掛けて来た。

 たしかに隣で酒臭い同僚がいたら、仕事もやりづらいだろう。これはきっと富永の優しさなんだと理解して、頭をさげるとそのまま休憩室へと向かった。


 深夜の休憩室には誰もいなかった。新たに自動販売機で買ってきたミネラルウォーターを飲んで、少しでもアルコールを体内から抜こうと頑張った。

 ソファーにもたれかかるようにして座っていると、どこからか声が聞こえてきた。


「さっちゃん、きょうもお疲れ様」

「また出てきたか、ミドリ。いい加減、成仏しなよ」


 話しかけてくるミドリに言ってやった。

 あの事件以降、ミドリは事あるごとに現れては、何かと話しかけてくる。

 このミドリが本当に幽霊なのか、それともわたしが作り出してしまっている妄想なのかはわからない。ただ、いまのところは迷惑でもなかったので、憎まれ口を叩きながらも放っておくことにしていた。


「仕事とはいえ飲みすぎは体に良くないよ。べつにノンアルコールでもいいんだから、無理に毎回飲まなくてもいいんじゃない」


 ミドリのいうことは確かだった。お店に行ったからといって、アルコール飲料を頼む必要はなかった。中にはお酒は飲めないけれど、あの空間を楽しみたいという人もいてノンアルコール飲料で楽しんでいる人もいると聞いたことがあった。


「さっちゃんのことが、心配だよ」


 幽霊に心配されるとは焼きが回ったものだ。わたしは苦笑しながら、目の前に座るミドリの顔をみた。

 ミドリの顔は一〇年前の学生時代と一緒だった。最近の顔は鑑識が撮影した殺された時の顔しか知らないので、昔の顔で出てきてくれた方がわたしはありがたかった。


「そういえば、彼女はどうなったの?」


 ミドリのいう彼女というのは、笠井みどりのことだった。


「死んだわよ。そっちの世界にいるんじゃないの」

「え、それは知らなかった」

「自殺。車の中で首を吊って死んでた。彼女のスマホには遺書と思われるSNSへの投稿下書きがあって、ミドリを刺したということも書いてあった」

「じゃあ、彼女は逮捕されたんだね」

「ちょっと違うかな。笠井みどりは、被疑者死亡のため不起訴。書類送検だけされるわ」

「え、そうなの」

「法律でそうなっているから。でも、遺書の中で全部罪は認めていた。でも、ミドリが悪かったところもあるよ」

「え、おれが悪かったの」

「だって、ミドリは彼女を嫉妬させたんだよ。昔からミドリにはそういうところがあった。自分の方を振り向かせるために、相手の嫉妬心を煽るんだ」

「そんなつもりはなかったんだけどなあ」

「わたしと付き合っていた時もさ、さりげなく会話の中で元カノの名前を出したりしてたよね」


 その発言にミドリは驚いた顔をする。


「え、会話の中で元カノの名前を出すのはダメなの」

「人にもよるだろうけどさ。気にする人は気にするよ、そういうの。気持ちは良くないよね」

「そうか……」

「まさか、無意識だったの? そんなわけないよね。今回もそうだよ。ミドリはわたしの名前が入った包丁をわざわざみどりさんに見せて嫉妬を煽った。もちろん、それはただのきっかけに過ぎなかったかもしれないけれど、そのきっかけを作ったのはあなただったのよ」

「そうか。そうだね。おれが全部悪いんだ」

「認めちゃうんだ。そうやって、認めちゃうミドリはズルいよ」

「ごめんね、さっちゃん」


 わたしの言葉にミドリは寂しそうな笑顔を向けてくる。


「わたしに謝らないでよ。殺されたのは、ミドリ、あなたなんだから」


 涙があふれ出てきそうだった。絶対にミドリのことでは泣かない。そう決めていたのに。

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