怒り
南北に国境を分かつ大山脈。
天空から見下ろせばまさに天然の国境線だ。
その山脈の中央あたりにある、山と山がつながっていないちょっとした隙間。
そこにグレイスタン王国とヴァレンティア王国を行き来する街道が通っていた。
普通ならば貿易商の荷馬車などが通行している街道に、ヴァレンティア王国の大軍が布陣している。
兵数およそ五万。
味方の二倍近い戦力だ。
ヴァレンティア軍は街道を埋めつくすかのような重厚な防御陣をかまえてこちらの襲撃にそなえていた。
敵軍のむこうに山とその上に建つバルデグラード要塞の姿が見える。
遠目にはいつもの堅牢な要塞にしか見えないが、正体不明の地震によって陥落したとの報告が上がっていた。
ヴァレンティア軍の全体が街道の方を向いている以上、やはり要塞は落ちていると認めざるを得ない。
要塞が健在ならば戦力は三万数千対五万の予定だった。
これでも劣勢だが要塞とはさみ撃ちの形になるので悪くはない。
じゅうぶんに勝機はあった。なにせこれまで同じやり方で勝ってきたのだから。
だが今回は長年の必勝戦術が使えない。
王都から二万五千。近隣の貴族軍が数千。
これに要塞から脱出してきた兵のうちまだ戦えるものをあわせて、ようやく三万になるかどうか。
六割程度の人数で真っ向勝負となってしまった。
まずは防御に徹して持久戦をするのが良策かと思われた。
あいては実戦部隊五万もの大軍による遠征である。
維持するためにむこうの財務大臣が悲鳴をあげるほどの巨額が毎日毎日浪費されていることだろう。
どんなに必死に粘っても半年、晩秋には帰るはずだ。
雪が降り積もる山岳地帯で長期滞在など完全な自殺行為だからだ。そんな環境で生き残れるのはかの『不死将軍』セヴェリウス・モーディスカルだけだろう。
今年の冬まで耐えれば、ヴァレンティア軍は退却するしかなくなる。
そして一度退却してしまえば、また戦争をはじめられるだけの資金を用意できるかわからなくなる。
財務大臣と国民が税金のムダ使いを二度も三度もゆるさないからだ。
だから今年の冬まで。冬まで彼らになんの利益もあたえなければこの戦争は終わる……はず。
軍隊の強さは「量」と「質」と「時間」で計算される。
「量」は数えるまでもない。
「質」は戦ってみないと分からないが、決定的な差はないだろう。
グレイスタン軍が有利だと断言できる要素は軍を維持しつづけられる「時間」だけだった。
しかし、その「時間」すらも脅かす急報がエリオットのもとにもたらされた。
グレイスタン軍が戦場に到着し、野戦陣地を構築していた時である。
王都より駿馬を飛ばしてきた一人の騎士が、情報部のエリオットをおとずれてきた。
エリオットはその男を知っている。なにせ情報部の同僚なのだ。
どれだけ急いできたのか、男は今にも倒れそうなほど疲れ切っていた。
彼の努力の結晶である手紙をありがたくうけとるエリオット。
手紙は二つ。
エリオットあてのものと、国王あてのものだ。
送り主は情報部長ハワード・ファルセット侯爵。
ただごとでない気配を感じ、おそるおそる自分あての手紙をひらく。
そして、内容にエリオットは激怒した。
「あの、クソ野郎!」
クソ野郎などとエリオットが言うのはめったにない事であった。
それほどまでに手紙の内容がひどすぎた。
『ドルトネイ公爵に謀反の兆しあり』
王都の状況と、これからすべき事が長々と書かれていた。
そしてこれを書いたハワード部長本人はもう生きていない可能性があることも。
エリオットは手紙を握りしめて駆けだした。
王のもとへこの急報を届けるために。
よりにもよってこんなタイミングで。
いやこんなタイミングだからなのだろうか。
どちらにせよ、国民の誰もが不安で胸を苦しませているこの時に、最低な野郎が最低なことをやってくれた。
後方支援の最大重要拠点である王都ヴィンターリアに謀反をおこされたら、戦場にいる自分たちはあっというまに飢えて苦しむことになる。
そうなったら持久戦どころではない。全滅してしまう。
大変なことになった。さすがにまずい、まずすぎる。
敗戦。
この二文字が脳裏をよぎった。




