今夜は月の素敵な夜だね
兵たちの無様な戦いぶりを見ていた親玉二人の顔色は、みるみる青くなっていった。
「お、おいどうするのだ師よ、このままではまずいぞ!」
「貴方の兵でしょう。指揮官は貴方ですよ」
ブラナ神父は言いながらフォーテスキュー子爵のうしろに回ると、その背をドンと乱暴に押した。
「な、なにを貴様……」
よろけながら苦情を言う子爵の前に、大きな影が立ちはだかる。
乱戦を突破してきたオスカーだった。
彼は大きな体躯で堂々と胸を張り、肥え太った子爵の顔を傲然と見下ろす。
「ぶ、ぶひい……」
子爵は睨まれただけで腰を抜かし、そのままシュンと意気消沈してしまった。
貴族なんて日頃は誇りがどうだ名誉がどうだと偉そうなことばかり言っているが、いざとなれば大体こんなものである。
さてオスカーが子爵を威圧しているその横を風のようにすり抜けて、エリオットはアンナマリーが寝かせられている花いっぱいの荷台までたどりついた。
「やあアンナマリー、今夜は月の素敵な夜だね」
「エリーゼ、様……?」
「うん、君を助けに来たよ」
薬の影響か、アンナマリーはボンヤリと虚ろな表情をしている。
表情と同じく虚ろな感じの口から出てきた感想は、思いもよらぬ一言だった。
「やっぱりエリーゼ様は夢の国から来た魔法のプリンセスでした……」
「は?」
あまりにもトンチンカンな発言に、エリオットは一瞬頭の中が真っ白になってしまう。
そして記憶の回路が高速稼働して過去の苦い思い出が浮かび上がる。
深夜に教会内部へ忍び込んだ時、アンナマリーはたしか魔法のプリンセスがどうとか寝言をいってベッドから転げ落ちていたっけ……。
「ははっ」
戦場には不似合いな笑顔がこぼれた。
「あいにくマジカルなんとかって技は使えないけど、僕は君を助けに来た人だよ」
アンナマリーは薬のせいでボンヤリしていたけれど、無意味な会話では無かったと思いたい。
エリオットは意識を戦場に戻した。
子爵は絶望的な表情で地べたに座り込んでいる。
護衛の兵たちは過半数が戦闘不能、残りは武器を捨て投降した。
町人たちは少し離れたところで立ち尽くし、困惑している様子。
……誰かが足りない気がする。
「ブラナ神父は?」
月光に照らされた路上を見回す。
戦闘が一段落したのはせめてもの幸いだった。
静まりかえった空間内に、遠くへ素早く移動していく人影がひとつ。
黒い僧服が闇にまぎれて非常に見づらかったが、まぎれもなく彼だ。
ブラナ神父はこの場のすべてに背を向け、登山道を駆けあがっていった。
「待て貴様!」
エリオットは同僚二人にこの場をまかせ神父を追った。
結構距離があったとはいえ、俊足の彼にもなかなか追いつけない。
あの神父、職業のわりに体力があるようだ。
「どういうつもりなんだあの男!」
暗く不確かな足元に気を付けながらエリオットは山道を追っていく。
手荷物も何もない状態での登山である。逃走に適した手段とはとても思えない。
あの神父がパニックを起こして非合理的な行動をするような人物だとも思えない。
ではなぜ上に行く? 遭難して恐ろしい死を迎えるかもしれないのに?
木々が生い茂っていて満月の光ですら地面を照らしきれない。
途中あやうく滑落しかける場面もあった。
追っているこちらも楽ではない。
なれない山道に悪戦苦闘すること一時間強、エリオットは突然大きくひらけた空間に出た。
遮る物のなくなった満月の光が燦然と降りそそぐ天然の広場。
中央やや奥の位置に儀式の祭壇が築かれている。
さらにその先にあるのは断崖絶壁。
ここが第二の儀式場。
天の神に祈り、そして森の神に捧げるとかいう、生贄が最期をむかえるための場所だった。




