治癒師ギルドから追放された天才治癒師、昔助けた王国騎士に誘われて王宮治癒師となる
「キミに、この『治癒師ギルド』は不似合いだ。そうは思わないか? ニコラスくん」
二枚目俳優のような整った相貌の金髪男————ルード・アゼリアは、椅子に腰掛けながら、俺に向かってそう告げた。
彼はここ、王都に位置する『治癒師ギルド』のギルドマスターを務めている人物であり、今日は彼から俺は呼び出しを受けて彼の執務室へとやって来ていた。
「……それは、どういう事でしょうか」
「言葉の通りさ。魔法学園を卒業もしていない実績不十分の人間は、この僕がギルドマスターを務める『治癒師ギルド』には不似合いだと言ってるんだ。キミのような人間をのさばらせていては、僕の名前にまで傷が付くじゃないか」
彼はギルドマスターであると同時に、貴族でもあった。
胸元に燦然と輝くバッジがその証左。
かれこれ二年ほど前か。
先代のギルドマスターが、その立場を降りた事により、アゼリア侯爵家の嫡男でもあるルード・アゼリアが新たなギルドマスターとして、その立場に据えられた。
それからだ。
彼自身が典型的な選民思想を持った貴族だった事もあり、純粋な治癒師としての腕よりも身分や学歴のようなものを何よりも重視する風潮が強まった。
先代のギルドマスターが実力主義を掲げていた事が一因でもあるのだろう。
その風潮は、一部の貴族達や今の立場に不満を持っていた者達によって瞬く間に定着する事になった。
結果、身分や魔法学園での実績だけが高い者達による横暴が横行した。
執拗な嫌がらせ。
この二年で優秀な治癒師が多く辞めていったのも仕方がないとしか言いようがなかった。
けれど、おれには嫌がらせをされようとこの『治癒師ギルド』を辞めたくない理由があった。それ故に、あからさまな嫌がらせだろうと、耐える事が出来ていた。
「しかも、学がないどころか、治癒師としての腕までも最底辺ときた。全く、こんな人材を引き入れるとは本当に、先代のギルドマスターは何をやっていたのやら」
そう言って、ルードが呆れながら机に置かれていた一枚の紙に視線を落とし、俺に見せつけるようにバンバン、と紙越しに机を叩く。
それは恐らく、ルードがギルドマスターとなってから導入された〝実績表〟だろう。
ただし、その〝実績表〟は、誰が何を治したかではなく、誰がどれだけ貴族に貢献したかを示すものであった。
だからこそ、どれだけ貴族でない人間の治療に尽力しようとも、今のこの『治癒師ギルド』では、貴族に貢献でない時点で評価されない。
そんなふざけたシステムが、今のこの『治癒師ギルド』ではまかり通っていた。
故に、表立って口にはされていないが、貴族のみ、救う価値があり、金を持たない人間に手を差し伸べる価値はない。
それが、今のこの『治癒師ギルド』の実態であり、ギルドマスターの方針だった。
「……全く、自覚がないのも困ったものだよ」
それはきっと、これまでのおれに対する嫌がらせの事を言っているのだろう。
遠回しに出て行けと言わんばかりに、執拗なまでに嫌がらせをおれは受け続けていた。
けれど、それでも尚、やめたくない理由があった。
ルードが言っているように、おれは先代のギルドマスターに拾われた身。
そして、彼には大恩がある。
だからこそ、彼がいたこのギルドで治癒師としてどうにか恩を返したかった。
だから、居場所は無いに等しかったが、それでも辞めるわけにはいかなかった。
「お陰で、こうしてわざわざ僕がキミのような底辺の人間に時間を割いてやる羽目になったんだ。反省してくれよ?」
そして、ルードは満面と称すべき笑みを顔に貼り付け、告げる。
「キミはクビだ。ニコラスくん。キミのような不出来な治癒師はこの僕の『治癒師ギルド』には必要ない」
「なっ————」
黙ってルードからの嫌味を聞くだけ。
耐えて、その言葉を聞くだけだ。
そう思っていたおれに告げられたその一言に、驚愕に目を剥かずにはいられなかった。
「まっ、て、下さい。確かにおれは、貴方の言う実績は残せてないかもしれない。ですが————」
「言い訳はいらないんだよ、ニコラスくん。それに、キミの時間と僕の時間は対等じゃないんだ。これ以上、僕の時間を浪費させないでくれ」
そう言って、ルードは椅子に腰掛けていた身体をくるりと回し、後ろに立て掛けられていた模造剣のようなものの手入れを始める。
「そういうわけですので、部外者はさっさとお帰り願えますでしょうか?」
ルードの側で、口を真一文字に引き結び、じっと立ち尽くしていた執事だろう風貌の男がひどく不快感を煽る口調でおれに告げた。
「ああ、それと。貴方の治癒師ライセンスは剥奪させていただいておりますので。ですが、これも当然の措置。何せ貴方は、先代の口添えでインチキにライセンスを取得した人間ですから、ねえ?」
そして、おれが積み重ねてきた努力、その全てを嘲笑う男の声を耳にするおれの右手は、とっくに握り拳になっていて。
でも、ここで殴るわけにはいかない。
そう、必死に自分に言い聞かせながらおれは、消え入りそうな声でどうにか「分かりました」と返事をし、その場を後にした。
「……最悪だ」
当面の金には困らない程度には働いていたからいいものの、治癒師として働く為には欠かせないライセンスを剥奪された手前、これからどうするかを考えなくてはならない。
そして恐らく、王都に留まっていてはルードが絡んでくるだろうから、まず間違いなくライセンスを再度取得する事は不可能だろう。
「……ライセンス剥奪までするか? 普通」
嫌がらせにしても程があるだろうに。
通常、治癒師のライセンスが剥奪されるなんて事は罪を犯すだとか、そういった行為をしなければ滅多な事がない限りあり得ない。
「多分、あの腐れギルドマスターの実家の圧力か何かで剥奪されたんだろうけど……」
とはいえ、剥奪されたから、じゃあ諦める。
などと割り切れる程、治癒師に対する思い入れは浅くない。
それだけ浅かったならば、そもそも二年ほど前から続いていた嫌がらせの初期段階でギルドから出て行っていた事だろう。
「……取り敢えず、ダメ元でライセンスの再発行を頼み込んでみるしかないよな」
勿論、それはルードがいないタイミングを狙って、比較的仲の良いギルドの人間に頼んでみるという話。
これまで通りであれば日暮れ頃には一度、ルードやその腰巾着達はギルドからいなくなる。
狙うとすればそのタイミングだろう。
そう思いながら、おれは日暮れになるまであてもなく歩いて時間を潰す事にした。
だが、漸く訪れた日暮れ。
ルードがいない時間帯を狙い、再びギルドに訪れたおれに突き付けられた言葉は、「不可能」という無慈悲なまでの一言だった。
幾らダメ元であったとはいえ、一縷の希望を抱いてしまっていた手前、どうしても落胆せずにはいられなくて。
茫然自失となりながら帰路につくおれであったが、不意に声をかけられる。
凛とした女性の声。
あまり身に覚えのないその声は、てっきりおれではない誰かに投げ掛けられたものだと思ったが、続く言葉によってそれは勘違いであると否応なしに分かってしまう。
「————ニコラスさん、ですよね?」
肩越しに振り返ると、そこには騎士服と称すべき衣服に身を包んだ亜麻色髪の女性がいた。
「ああ、やっぱり。お久しぶりですね……もう、あれから二年ですか。私の事、まだ覚えていらっしゃいますか?」
花咲いたような笑みを向けられる。
驚愕に目を見開いていたからか。
彼女から、軽い自己紹介のようなものをされる事となった。
「フィリス、さん?」
彼女の名前は、フィリス。
かつておれが、治癒師として助けた隣国の王国騎士、その人だった。
* * * *
もう、二年も前の話。
隣国であるユースティア王国にて、未曾有の事件が起こった。
それは、ダンジョンと呼ばれる魔窟から、魔物と呼ばれる人を超えた怪物が溢れ出すという事件。
本来、魔物と呼ばれる怪物は、ダンジョンからは出て来ない生き物であった筈が、何故か二年前。
ユースティア王国に位置するとあるダンジョンから、魔物が大量に溢れ出すという事態に見舞われた。
その為、当時はユースティア王国から各地に位置する『治癒師ギルド』へ、多くの依頼が舞い込んでいた。
だが、ギルドマスターであったルードは、ギルドメンバーの自主性に委ねる。
といって、何故、僕が危険を冒してまで名も知らない人間を助けに向かわねばならんのだ。と、愚痴りながら事実上の拒絶を突き付けていた事はまだ記憶に新しい。
そして、自主性に委ねるという言葉に従い、ユースティア王国へ助けに向かった先で、おれは彼女、フィリスと出会った。
領民の子供を助けるべく、その身を挺して助けたが為に重傷を負ってしまって。
でも、それでも尚と、魔物と戦い続けていた時に、おれは彼女と出会った。
「いつか、改めてお礼の挨拶に伺わせて頂く。そう言っていたのに、二年も顔を出さず、申し訳ありませんでした」
彼女との再会に驚きながらも、かつての出会いを思い返すおれに、フィリスは頭を下げてくる。
だから、おれは慌てて頭を上げてくれと懇願した。
「ユースティア王国が忙しかった事は存じていますから、謝って頂く必要はありません。それに、あれはおれがやりたいようにやっただけですから」
復旧だとか、後始末だとか。
魔物の対処について、ひと段落がついたとはいえ、やる事はそれこそ山ほどあった事だろう。
お礼をこうして言う為にわざわざ訪ねてくる必要も無かったのに。
そう言うと、フィリスにふふ、と微笑ましいものでも見るかのように笑われた。
……少しだけ調子が狂う。
目の前の彼女も貴族である筈なのに、つい数時間前に散々悪態を吐いてきたルードとは態度がまるで正反対であったから。
しかし、それも刹那。
こうしておれを探していたならば、恐らくフィリスは既に『治癒師ギルド』に向かったのだろう。そして、追い出された事も聞いたに違いない。
あと数日、前にズレていてくれれば。
そう思わずにはいられなかった。
どんな言葉を口にしたものか。
頭を悩ませるおれであったが、
「……しかし、この王都は広いですね。昼からずっと『治癒師ギルド』を探していたのに、全然辿り着けなくて。こうして、ニコラスさんと偶然出会えて本当に良かったです」
取り繕う言葉を口にするより先、聞こえてきたフィリスの言葉に呆気に取られる。
だが、二年前の記憶を掘り起こしてみれば、確かにフィリスは〝ど〟が付くほどの方向音痴であった記憶が思い返される。
二年前、二人して色々と道に迷いまくってたんだっけか。
気づけば、おれの顔は綻んでいた。
「……あ。今、こいつの方向音痴まだ治ってないのかよ。とか思いませんでした? 絶対思いましたよね!?」
「お、思ってないです」
その的確過ぎる指摘を前に、棒読み臭くなってしまう。
程なく、ジト目で此方を見詰めてくるフィリスに、はぁ、と溜息を吐かれる羽目になっていた。
「……まぁ今日だけは許します。私の方向音痴で、少しでも気持ちが和らいでくれたのであれば、今日だけは許しますとも」
「気持ちが和らぐ?」
無事、無罪放免となったおれであるが、何故か身に覚えのない言葉がフィリスから向けられ、疑問符を浮かべてしまう。
「はい。私が首を突っ込んで良い事であるのか、分かりませんが、ニコラスさん、凄く疲れ切ったような表情をなされてましたよ」
そう言われる事に覚えはある。
でも、そこまであからさまに顔に出てたかなと思ってつい、手を顔に伸ばしてしまう。
直後、その行為が、先の彼女の発言に対して肯定の意を示してしまったと気付き、おれは苦笑いを浮かべる事になっていた。
「……まぁ、色々とありまして」
人様に言うような話でない事は勿論、言ってどうなるわけでなし。
だから、そう言っておれは仄めかす。
間違っても、こうして久々に出会った人に話すような内容ではないと思ったから。
なの、だが。
「そういう事でしたら、私に話してみませんか? ほら、人に話すと楽になる、とか言うじゃないですか。それに何より、私はユースティア王国の人間ですし」
すぐに遠方に戻ってしまう他国の人間だからこそ、後腐れなく相談しやすいと思いませんか?
と言われて、少しばかり心が揺らぐ。
そしてダメ押しと言わんばかりに、お礼を言うだけで帰るのも忍びなかったので、今度は私が、貴方の力にならせてくれませんか?
ただでさえ不安定だったおれの心は、気付けば、いとも容易く彼女の言葉に甘えるという選択肢を掴み取ってしまっていた。
* * * *
「————そういう事でしたら、ニコラスさん。ユースティアに来ませんか」
王都の『治癒師ギルド』にいられなくなってしまった事。その経緯を端的に話した直後、慰めの言葉よりも先に、おれはフィリスからそんな言葉を投げ掛けられていた。
「……有難い申し出ではありますが、おれはもう、治癒師じゃないんですよ?」
二年前とは違う。
治癒師として赴いたあの時とは、色々と置かれている状況が異なっているのだ。
だから————と、指摘をするけれど、フィリスは笑みを浮かべるだけでその発言を取り消そうとしない。むしろ、
「だから、ですよ」
「?」
意味がいまいち分からなくて、首を傾げてしまう。
「恐らく、先程のお話が事実であれば、ここ————王都に限らず、ローラルク王国では、ニコラスさんが治癒師として活動する事は殆ど不可能に近いかもしれません」
貴族家からの圧力だ。
少なくとも、それを覆せるだけの何かがない限り、フィリスの言う通り無理だろう。
そして、その方法に心当たりはなかった。
「ですがそれは、あくまでこの国での話。ユースティアであれば、その制限はありません」
……言われてもみれば、その通りだった。
おれの中にある王都の『治癒師ギルド』に対する拘りをどうにか退かしてしまえば、後はフィリスの言うように他国で治癒師として働く、という選択肢もあるだろう。
「ユースティアに来ませんか、ニコラスさん」
————ライセンスの件についても、私がなんとかします。
そんな有難い言葉まで付け加えられる。
でも、だからといって「分かりました」とすぐにおれは首肯が出来なかった。
ここまでして貰って良いのだろうか。
そもそも、おれは治癒師に向いていなかったのではないのか。
王都の『治癒師ギルド』を離れて、良いのだろうか。まだ、あの人への恩返しも真面に出来ていないというのに。
「……二年前。ニコラスさんは言ってましたよね。危険極まりなかったユースティアに、来た理由は、自分が治癒師であるからと」
そんなおれを見兼ねてか。
フィリスは昔話を語り出す。
「そこまでして貰ってもいいのか、みたいな顔を浮かべる必要はありません。他でもない私がそうしたいのです。今度は、私が貴方の助けになりたいのです。それに、いつかあの人のような立派な治癒師になりたい。それが夢なんだって、そう語ってくれていたじゃありませんか」
「…………」
たった一度の嫌がらせ程度で、治癒師として生きる事を諦めるほど、おれの中の治癒師という存在は、軽くはないのでは。
そう指摘もされ、二年前のおれは随分とべらべらと語っていたんだなって、苦笑いを浮かべずにはいられなかった。
でも、フィリスの言う事に何一つ間違いはない。おれの治癒師としての行動、その全てが『あの人』に対する憧れから来るものだったから。
————やらなきゃいけねえ事が出来た。
そう言って、『治癒師ギルド』から姿を消したあの人は今、何をしているのだろうか。
そんな事を思いながら、おれは少しだけ懐古する事にした。
* * * *
それは、おれがまだ『治癒師ギルド』に所属していなかった頃の記憶。
無精髭を生やした強面の大男に、おれはその日————心の底から憧れた。
『治癒師は、諦めちゃいけねえ』
それが、彼の口癖だった。
出会って一日も経っていない筈なのに、それが彼の口癖であると分かってしまう程に、執拗に同じ言葉を紡いでいた。
『他の誰から見ても、もう無理だ。手の施しようがねえ。そう言われようと、治癒師だけは最後の最後まで諦めちゃいけねえのさ。俺らが諦めずに戦い続ける限り、患者が助かる可能性は決して0にはならねえから』
だから、一目見て、助からないであろうと分かる重傷患者だろうと、不治の病を患った人間だろうと手を差し伸べるのさ。
————俺がてめえの母ちゃんにしたみてえにな。
にかっ、と男は歯を見せて笑う。
快活な屈託のない笑み。
強面に似合わない優しい笑みに、おれの中にあった警戒心が、さーっと蜘蛛の子を散らすように薄れていくのが分かる。
おれの母親は、所謂不治の病を患っていた。
どんな治癒師も、手の施しようがない。
治す事は不可能だ。
そう言っていた。
けれど、ある日、無遠慮に「邪魔するぜぇ」と家に踏み込んできたこの強面の男————アルスは何を思ってか。
俺が治してやると言い放ち、そしてあろう事か、誰もが匙を投げた不治の病を見事、治してみせた。
『諦めも肝心、なんて言葉を好むやつもいるがな、俺から言わせりゃバカボケカスってとこだな。諦めなきゃ何とかなる事も多いもんだぜ。特に、治癒師にはな。それと————』
そう言って、アルスは俺と目線を合わせるように屈んだ。
次いで、手にしていた麻袋を何故か突き返すように、俺へ押し付けて来る。
それは、家中からかき集めて捻出した金銭。
今回の治癒の代金としてアルスへ渡していた筈のお金だった。
『この金は、母ちゃんの看病にでも使ってやれや』
『……で、も』
かき集めて捻出したとはいえ、不治の病を治したという事実を鑑みれば、それはあまりに少ない金銭。
でも、アルスはそれすらもいらねえと言って突き返してくる。
程なく、母を助けて貰ったにもかかわらず、何一つとして恩を返せないおれの心情を見抜いてか。
『そんな顔をすんじゃねえよ。たった一つ程度の恩だ。俺じゃなくとも、他の誰かに返しときゃそれでいいのさ』
『……?』
おれは首を傾げる。
アルスの言葉の意味は、いまいちおれには理解が出来なかった。
『お前がいつか大人に成長して、治癒師になるとしても、ならないとしても。もし、誰かを助ける機会に恵まれる事があれば、その時は最後まで諦めずに助けてやれ。そういうこった』
そう言って、アルスは満足そうにおれの頭をわしゃわしゃと撫でてくる。
『この世はそんな奇縁で繋がってる。てめえがそうだったように、俺もそうだったように。だから気にすんじゃねえよ』
それに、悪どい貴族から金はたんまり普段から貰ってっから、金の心配はいらねえな。
親指と人差し指で円を作り、それを意地の悪そうな笑みを浮かべておれに見せてくる。
だから、気にすんな。
そう言って、何度目か分からないおれを気遣う言葉が向けられた。
————ただ。
『じゃあ、おれはいつか治癒師になるよ。アルスみたいな、治癒師になる』
いつか、この恩を返せるように。
『……、はっ、そりゃあでけえ夢だ。世界に俺程の腕を持った治癒師なんて、五人といねえぜ? 目標が高すぎて、途中で挫折しちまうかもしれねえなあ』
一瞬、瞠目しておれの言葉に驚いていたアルスだったけれど、すぐにその様子はなりを顰め、嬉しそうで楽しそうな笑みを浮かべた。
『……挫折は、しない。アルスが凄い治癒師なのは分かってるけど、いつかアルスみたいな治癒師になるって、今決めたから』
『そう、かよ。なら……そうだな。五年だな』
『五年?』
『ああ、五年後には、十二歳になるだろ。そしたらてめえも立派な大人の仲間入り。だから、五年経ってもまだ、その夢が変わらなかったら、『治癒師ギルド』に遊びに来い。その時は、新米の治癒師として迎え入れてやるよ————なあ、ニコラス』
それがおれ、治癒師ニコラスとしての原風景。
そして、五年後におれは当時のギルドマスターであったアルスの助力もあり、『治癒師ギルド』の一員となった。
アルスはその三年後にとある事情あって『治癒師ギルド』からいなくなってしまったが、それでもおれは彼の口癖である「治癒師は、諦めちゃいけねえ」という教えを愚直に守り続けていた。
その結果、少し変わった奇縁にも恵まれた。
彼女との縁も、その一つだった。
追い出されてしまったけど、それでも、出来る事ならば治癒師として生きたい。
そう強く思っていたおれだから。
アルスのような治癒師になって、あの時の恩を返すと決めていたから。だから————。
「————私に、あの時の恩返しをさせてはくれませんか」
フィリスのその言葉によって、現実に引き戻された。
「本当に、今日こうしてニコラスさんに会えて良かった。会えたからこうして、あの時の恩返しが出来る。貴方に救われたあの時の恩を、漸く少し、返すことが出来ます」
踏んだり蹴ったり。
そんな散々な日だったからこそ、フィリスのその言葉は思わず涙したくなる程に優し過ぎた。
「だから————ユースティアに、来ていただけませんか、治癒師ニコラスさん」
踏ん切りがつかないおれに気遣ってか。
フィリスは言い方を変えた。
そこに、申し訳なさを感じながらも、その言葉がどうしようもなく嬉しくて。
おれは、投げ掛けられたその言葉に、頷く事にした。
王都に位置する『治癒師ギルド』。
そのギルドマスターを務めるルードをはじめとした、彼に付き従う人間は知らなかった。
ニコラスの、その類稀なる治癒の腕を。
先代ギルドマスターであったアルスが引き込んだニコラスの治癒の腕は、本当に『天才』と称すべきものであった事を。
既にルードの『治癒師ギルド』が多方面から愛想を尽かされつつあったものの、先代のギルドマスターや、ニコラスに対して抱いていた恩のみでどうにか機能するに至っていた事。
誰もが無理だと匙を投げた不治の病を患っていたとある公爵家の息女の病を治していた事。
何もかもを知らずに。
知ろうともせずに、追い出したルードはまだ知る由もない。
彼の生家である侯爵家より更に上に位置する大貴族に敵視される事になるであろう未来も、治癒に必要な薬草等を売ってくれる商人達との縁も、どうにかニコラスがいたから繋ぎ止められていたというのに、それもズタボロになって消え失せてしまうという事も。
役立たずの治癒師を一人、漸く追い出す事が出来たと、せいせいした様子で笑う彼は何も知らなかった。
今作は、連載候補短編となります。
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