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失念

作者: 尾妻 和宥

 福永ふくなが弘前市ひろさきしの某ホームセンターに中途採用で勤めるようになった。すぐに農業資材部門に配属された。接客販売をこなし、なんとか顧客のニーズに応えていた。

 日本農業技術検定をはじめとする資格こそまだ有していなかったが、基本的な知識は徐々に身につけていった。これから先、現場で実践経験を積めば、いずれは店舗にとって将来有望な戦力となるだろう。


 なにぶん人手が足りなかった。ときには外回りの配達も任された。

 客の一人である新田にったさんのりんご農園へ、注文された農業資材を運ぶことがあった。

 新田さん夫婦は70代前半で、元気はつらつとしたりんご農家だ。大口の部類に入るお得意さんだった。


 軽トラしか所持していないせいもあって、大量の肥料や病害虫対策の農薬、不織布ふしょくふのマルチ資材、日焼け防止や防風用のネットの類などは、ホームセンターの1トントラックで配達してくれと希望されたためだ。

 少なくとも年に6、7回ほどは、そういった商品を定期的に届けることになった。


 園地や倉庫へ行って、毎回新田さんに会えるわけではない。

 自宅は園地とはまったく別の地区にあり、当然仕事が暇なときはそちらで、のんびりすごされていることもあるはずだ。

 にもかかわらず広大な畑へ足を運ぶたびに、アポなしなのにふしぎと会えた。根っからの仕事人間にちがいあるまい。




 会うにつれ次第に打ち解け、お互いプライベートな話を交わすまでになった。

 帰り際、とれたてのりんごを詰めたビニール袋をおすそ分けされることもあり、いい関係を築けていた。

 新田さん夫婦の手がけたりんごは爽やかな酸味と、グラマラスな甘みが混然一体となり、歯ごたえも絶品であった。出荷先は関東は当然のことながら、地産地消が謳い文句の地元スーパーの陳列台にも並び、りんごと言えば新田農園と評判も上々であった。


 広いりんご畑は山の裾野近くあることから、獣害対策として電気柵でぐるりと囲ってあった。

 その敷地のど真ん中に、夫婦が作業したり休憩したりする拠点ともいえる倉庫があり、もっぱら福永は農業資材をそこへ搬送するわけである。


 りんごは極早生種(ごくわせしゅ)早生わせ中生なかて晩生おくてとさまざまな品種がある。夏から秋にかけての期間は収穫と選別作業に追われているのに、いきなり訪れても新田さんは嫌な顔ひとつ見せず、応対してくれた。


 片時、仕事の手をとめ、福永としばしの時間、くっちゃべる(、、、、、、)わけだ。

 奇しくも息子さんも福永と同じ26歳らしい。大学進学を機によそへ出ていってからというもの、寂しい思いをしているのは、話している口ぶりから推し量ることができた。


 旦那さんは腰の低い謙虚な人で、なにかと世間話をするのが好きな方だった。時事ネタに詳しく、あらゆる話題についていける柔軟性を見せた。

 奥さんは一歩引いた慎ましいタイプの老女。そこはかとなく上品な所作から察するに、きっと作業着と厚ぼったい帽子を脱いで着物の袖に腕を通せば、ばっちり似合うような人だった。


 二人ともユーモアのセンスもあり、どんなに夏場の酷暑や凍てつく冬の時期であろうと、仕事中は笑ってやりすごすことのできる心身の持ち主だった。


 りんご畑の世話は1年を通して、何度も肥料をまいたり、病害虫対策の農薬を散布しなくてはならないのだ。

 剪定せんていは根気のいる作業だし、暑い時期の草刈りも欠かせない。刈っても刈っても雑草はしつこく生えてくる。

 年間やることは山ほどあった。じっさいに手伝ったことはないが、ハードな仕事だと思う。

 福永がホーセンターの雑多な業務をするようにになってから足かけ4年、新田さんの園地の倉庫へ資材を運び続けた。




 あるとき、いつもなら収穫を終えたあとに予約注文用紙が届くはずなのに、新田さんの分だけが提出されていなかった。

 福永は忙しさにかまけつつも、気にはなっていた。


 もしかしたら、新田さん自身が注文そのものを忘れているだけかもしれない。忙しさで失念してしまうのは業者だけでなく、顧客である農家にも同じことが言えた。

 締め切りが終わる直前、電話で確認したり、推進したりする担当者は別でいた。


 さしでがましいようだが、福永は配達のとき、新田さんの自宅やりんご農園の近くまで行ったら、ついでに顔を出し、口頭で伝えるぐらいはするつもりだった。

 ところが福永の業務が多忙を極めていたこともあり、とても頭がまわらず、すっかり忘れていた。


◆◆◆◆◆


 そんなこんなで1年がすぎてしまった。

 ただでさえ職場は慢性的に人手不足だった。このコロナ禍で売り上げも落ち込み、スタッフの誰かが退職してしまったとしても補充はなされず、仕事のしわ寄せがみんなに配分された。一人当たりの仕事量が増えすぎて捌ききれなくなっていた。悪しき循環だった。




 ――ある晩秋のこと。

 別の案件で農業資材を運んだ、その帰り道だった。

 例の老夫婦(、、、)の園地のそばを通りかかった。


 思わず眼を疑った。

 りんご畑一面は埋もれるほど雑草が生い茂り、かつて手入れされた園内は見る影もないほど荒れ果てていたからだ。

 とくにセイタカアワダチソウの浸食ぶりに呆れるほどであった。侵略的外来種に含まれる、言わずと知れた黄色い頭花が憎らしい多年草だ。


 こうなるとりんごが実を結ぶどころではない。

 セイタカアワダチソウは他の植物の生長を妨げるアレロパシー物質を放出するとされているのだ。あれほど盛んだったりんごの木の樹勢は弱り、葉っぱも茶色く変色し、ほとんど脱落していた。園地のほとんどの木がそんなありさまだった。


 福永は顔をしかめ、眼をつぶり、頭にゴツンとやった。

 あの老夫婦の(、、、、、、)名前は(、、、)なんだっけか(、、、、、、)

 名前が思い出せない。喉まで出かかっているのに、ひどくもどかしい。


 ためしに倉庫の方へ寄ってみた。

 トラックから降り、「こんちはー!」と叫んだ。

 人のいる気配はない。

 それどころか以前、倉庫前には収穫用のコンテナが山積みにされ、甲虫のような形の赤い農薬散布車スピードスプレーヤーや運転台の天井が切断された軽トラが停めてあったのに、なにひとつ置かれていなかった。


 木製のパレットの上にあった裏返しにされたコンテナには、農薬散布時に着用するヤッケや雨合羽が干してあったはずだ。それさえ片付けられていた。

 恐らくなんらかの事情で、りんご農家を辞めたにちがいあるまい。電気柵も通電しているようには見えなかった。

 自宅の方へ行ってみたが、表札も外され、すっかり空き家になっているような空虚さが漂っていた。こちらも庭に丈の高い雑草が生えていた。




 事情を知る者がいないか、試しに近所のおばさんに聞いてみた。

 近所付き合いのされていない人だったらしく、知らないうちにあんなふうになっていたと首を傾げるばかりだった。


 老夫婦のいずれかが入院されたか、なんらかの支障を来たし、老人施設に入居されたのかもしれない。元気なもう一方が子どもに引き取られたとも考えられた。よそに住む息子のことが頭をかすめた。

 事故かなにかで、二人とも亡くなったとは思いたくなかった。とはいえ、それは淡い願望にすぎない。少なくともりんご農園を世話できない身体になったことは疑いようがなかった。


 いくら70代とはいえ、今の日本からすればまだまだ長生きできる年齢のはずだ。

 しかしながら長年農業をしているうちに肉体を酷使したのが祟ったのかもしれない。はじめて会ったときから典型的な仕事人間の夫婦に見えた。

 いずれにせよ、彼らがりんご農園を辞め、自宅からも退いた理由は知る術がない。


 ホームセンターのバックヤードにある事務所に戻り、老夫婦が取引を中止した経緯を知る者がいないか、スタッフに聞いてまわった。

 それにしても名前すら思い出せないのとは歯痒い。

 あの地区の、あの仲の良かった夫婦、というだけで、みんなは、「ああ」と察してくれたからよかったものを、せっかく懇意にしていただいていた人の名前を失念するとは客商売としていかがなものか、と福永は反省するのだった。


 誰もが事情を知らないと首をふった。

 顧客リストには死亡の知らせを受けた記録はないし、りんご畑を辞めたともデータは残されていない。

 こうして高齢化の波は福永の生活圏になだれ込み、やがては浸食していくのかもしれない。現に名前と顔を知っているお得意の農家の訃報を耳にするたび、この1年で3度は通夜か告別式に出席していた。


◆◆◆◆◆


 季節はめぐった。またもや例の老夫婦のりんご畑のそばを通りかかった。

 空が澄み切った春真っ盛りの午後だった。本来ならりんごの白い花が咲き、清涼感あふれる香りが風に乗ってくるはずであった。

 そのときはたまたま同期のスタッフである清水しみずをトラックの助手席に乗せていた。別の案件で補佐が必要で、彼に手伝ってもらったのだ。


「なるほどね、おまえがこの間言ってた園地が、このありさまか。こりゃ、かわいそうだ。りんごの木が泣いてるよ」


 と、清水は車窓ごしに言った。

 福永はハンドルをもたれながら運転しつつ、傍らを見た。


「そんなこと言ったっけ、おれ?」


「先週、新田さんのリスト、検索してたじゃん。入院したとか死亡したわけでもなさそうだがな」


「新田さん」


「もしかして借金を苦に夜逃げしたんじゃなかろうな。2年前にも別の地区であったんだ。70代の農家なんかまだ若い方だよ。いくらでもやり直しがきく。90のじいちゃんが一人で切り盛りしてるのもめずらしくないのに。ありゃ死ぬまで働くクチだね。なんにせよ新田さんの場合、きっと訳ありだったんだと思うよ」


「待て。ちょっと待て、清水」と、福永はハンドルを切りながら車を路肩に寄せた。ハンドブレーキをかけ、もう一度、相棒の顔を真正面から見た。「新田さんって誰だ?」


「おま、なに言ってんの? おまえのお気に入りの顧客だったろ。先週のリスト、見てたじゃん!」


 清水は甲高い声をあげて福永を見返した。


「新田さん?」と、福永は眼をしばたたきながらつぶやいた。首を傾げた。「誰だ、それ?」




 荒れ果てたりんご農園は、過疎高齢化の進むこの地域を象徴しているようで侘しかった。

 おびただしい数のセイタカアワダチソウの黄色い花が、そよ風に揺れていた。





        了

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― 新着の感想 ―
[一言] なかなか考えさせられる展開ですね ミステリーゾーンに迷い込んでしまったかのようなラストも面白いかもですね
[良い点] ~ ネタばれ含みます。未読の方は読了後、読まれることを推奨いたします ~ これ、過疎化が進む老夫婦が世間と隔絶され、忘れ去られる恐怖を描くと見せて、自分は正常と思い込ん…
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