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Late Summer, 201X. - 3


 ミュージックソウルチルドを聴きながら、年季の入ったこの(ひのき)のカウンターを磨いてみる。うーん、いいねえ。磨く度に木が温かく見えるよね。

「なあ湊。この檜って一枚板なの?」

「うん、先代オーナー肝煎りのカウンターだよ。目当ての職人を落とすために工房に通ったんだって。あっちのラウンジテーブルは既製品の板なんだけど、二階のVIPカウンターはこれと同じ檜。開業前から準備して伐採から見に行ったって言ってた。欲しい部位があったとかで」

「マジか。欲しい部位ね。マニアックでなんかエロいね」

「ね。エロいよね。当時もさ、このテーブルのことになると話しぶりがなんか恍惚としてて、あれはある意味イッちゃってたね」

「ふは。性感帯にキマっちゃったんだね。乾燥すんのに何年待ったんだろう」

「八年半って言ってたよ」

「ひえー。俺そういう話、好き」

 湊は学生時代にここでずっとアルバイトをしていて、当時のこのバーの創業者に大層気に入られていたそうだ。

 バー自体は今年でもう二十年もやっているから、この界隈じゃ既に有名だった。それなりに働いていないと通えない価格帯の、美味な店だけを厳選して紹介している有名なウェブ予約サイトがあって、湊の店はそのサイト創立からの掲載店。しかもサイト側から頼まれて掲載しているだけだからネット上や電話では予約できないし、一見さんはお断りではないけど、残念ながら予約はできない。何度か来てみて、まず店を好きになってもらって、性に合えば通ってもらって。で、オーナーに顔を覚えてもらわないと無理。つまり今は湊のことね。その辺は昔からの顧客の手前、創業者のスタンスを湊も守り抜いている。

 別にバカみたいな高い価格設定ではないし、軽食レストランとしての早い時間帯利用なら常連さんが家族で来たって、若いカップルだってウェルカム。

 要するに、ただ信頼関係さえあればいい。店側も常連も、知らない奴らにどんちゃんされたくないってこと。

 だからグルメログ的な口コミは通からの絶賛か大味な一見さんからの浅い酷評のどちらか。読んでて楽しいよね、だって分かってくれる人って本当にオーナーのハートを狙い撃ちするくらいの、頷きしかできないくらいの褒め言葉を贈ってくれるから。

 もともと狭い許容範囲という名のセンスで店をお披露目してるんだもん、万人に分かってくれなんて思ってないし、俺たちのこのセンスをツボが違う人間らに知ったかぶりで色々言われても、ふーん? って。

 だから俺や湊みたいな志で自分の秘密基地をお披露目しているような飲食店は、理解者達のために美味いものを出している。ここの創業者とテーブルの性感帯の話じゃないけど、ツボが合うって、そういう感じだよね。

 俺も朝、どんなに疲れていて眠くても、自分の店のドアの前に立てば未だにワクワクしながら鍵を開ける。だってその場所は俺のセンスまみれになった秘密基地だもん。ある意味、性感帯のお披露目だ。


 湊は大学卒業後、企業勤めをするために一旦はバーから離れた。でもやっぱり自分のやりたいことを見つめ直したらしく、飲食経営の勉強をしながら金を貯め、その貯金で酒の勉強をしに会社を辞めてフランスやその周辺に留学までして、世話になったこの店に修行の一環として再び戻った。

 で、そこでなんと創業者が不治の病と判明。その際に、創業者はすべてを当時二十六歳だった湊に引き継がせ、亡くなる直前まで湊に自分の持っているものを教え続けた。その人は、自分の親類ではなく、経営母体をどっかの企業に売り渡すわけでもなく、閉業するでもなく、赤の他人の若造である湊に全部あげたの。

 やっぱりね、わかる人間にはわかるんだよ、音を愛で酒を愛で、物を愛で空間を愛でる奴の価値がな。

 俺がその創業者氏に会うことはなかったけど、まあ、その人は湊に会えて救われる思いだったんじゃないのだろうか。今は天国でテーブルを愛でながら喜んでいるんだろうな、と想像する。


 そして俺は湊に起きたこの人生の一連の流れを、神様の粋な計らいと信じて疑わない。

 全部が必然。


 そう、今ここにこの状況がある。それは全て、必然なんだ。



「湊、髪ゴムが総菜ゴムのまんまだぞ」

「そうだ忘れてた。もうそろそろオープンだし、俺着替えてくるわ」

「おう」

 そう言って湊は二階の階段を小走りで上がっていった。


 さーて俺はその間になんの料理をつくりましょうか、とカウンター内の冷蔵庫に手を伸ばそうとし、

「そうだ、晶。勝手に冷蔵庫開けんじゃねえぞ」

 いつの間に引き返して階段の端から顔をこちらに覗かせていた湊に睨まれた。


「…………」

 じゃあ冷凍庫にしようっと。


 あーあるある。冷凍のベリーミックス、桃、みかん、メロン。こういうのは氷代わりに使うやつな。それに業務用のハーゴンダッツ、バニラ味とチョコレート味。ラムレーズンは開けたらほぼ空だった。発注リストに入っているか、後で聞いてやろうっと。忘れてるかもしれないし。シャーベットは洋ナシ味ね、美味そう。それにカクテルやコーヒーの氷ポーション、生ハム。おっ、ハモンイベリコのチョリソじゃん! うまいよねえ、これ。んーと、あとは普通に冷凍食品、これは湊や従業員達の飯ね。


 と、こうやって食材を見るだけで何個かはメニューが浮かぶ。

 大学の時、向こうの友人たちに言われて気づいたんだけど、食材を見て、そこにあるものから作れるものが浮かぶのは俺の才能の一つだった。ガキん頃は誰でもある程度はそういうものかと思っていたら、全然違ったんだよね。味の代替品がすぐ結びつくから、あれが無くてもこれで作れる、みたいなイメージがパッと出るんだよ。

 そういえば昔、母からよく『アキちゃん、料理できる男は大人になったらモテるわよ』と言われていた。

「…………」

 色々思い返してみて……、うん、母さんは正しかった。


 いやあ、俺って才能豊かだよね。人間観察すごいし空気読むし擬態も完璧だし、味覚センスはあるし料理できるし、サーフィンできてイケメンで童貞じゃねえし。


 ふふ、湊から「性善説の幸せな人間」って言われそうだな。



 BGMリストはアシェンティに変わっていた。うーん、でも自動リストさん、この曲選んじゃう? ちょっとノリがクラブすぎてオーセンティックバーじゃねえな。俺や湊は好きだけど。

 まいっか、どうせ開店間際なんてお客さん来ないし。後で湊にミュージックソウルチルドのアルバムをかけてもらおう。

 特に今日は。


 穂高城で起きたあの喧嘩。そこから繋がった、その後の湊と俺の長ーい一日。

 あの頃聴いていた曲とともに、その日が鮮明に甦る。



 散ったのは血か、それとも砕けた幼い心だったか。

 耳に響いたのは海風、チャリが斬る風、または骨から響いた、逸る心臓の鼓動。


 それは寄せて返し消える白波のようだった。あの夏はすべてが一瞬だった。


 あの城のように。



 一度すべて消えた波が俺に残したのは?




 多分、この変な絆。






「……」


 さて、何作ろうかな。



次話は今週中UP予定です。日程未確定でご迷惑をおかけ致します。

(分かり次第、Twitterではお知らせ予定です)

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