That Day of The Boys in Late Summer, 200X. - 5
あの後、ジョーさんはすぐに救急セットと俺のタオル、店に置きっぱなしだった俺の荷物や着替えを持ってきた。チャリも一緒に運んできた。
俺は穂高のシャツを被ったまま一切会話を受け付けなかったのだけど、彼は俺の側でずっと土下座をしていたのだそうだ。見ていた穂高が後でそう言っていた。
ジョーさんは俺たちに神妙な声でこう言い続けた。
「俺の家族には言わないでほしい。それだけはどうかお願いします」
と。
俺とお前の仲だよな、俺もお前の秘密は沢山黙っててやっているだろう、俺は言うつもりねえから、だからお願いだよ、と。もし親父にバレたら俺は大学辞めさせられるし内定取り消しになる、小遣いも止まって最悪知り合いが誰も居ない土地に追いやられるかもしれない、俺の人生が狂っちまう、と事細かく未来予想を説明していた。「晶たちは暴漢に遭遇していきなりやられて怪我したと言えば済むよ、未成年だし何も怖いことは起こらない」などと適当なことを言って、大学四年が鼻をすすりながら中坊に頭を下げていた。そして俺たちが一言も発さないことがわかると、いいか、俺がこんなにもお願いしたんだ、ずっと見ているからな、忘れんなよ、と何故か逆ギレして去って行った。
……ショック過ぎて俺はシャツの下で涙が流れるまま目が見開いてしまっていた。
放心するってこういう感じなんだな……、初めて知ったよ。
みーんみんみんみん、みー。
気持ちの良い風と、蝉の鳴き声だけがこの木陰に響いていた。
少しずつ、心の麻痺は体の痛みによって現実に引き戻されていく。
「穂高……そもそも逃げろっつっただろ……」
ずず、と鼻水をすすりながら話す俺、超かっこ悪い。涙声じゃん。
「……は? これで逃げたら俺一生自分がダセえ男に思えるところだったじゃねえか。……怖かったけど……これでいいんじゃねえの……体中痛いけど、我慢できなくなる程のモンじゃないし」
そう言う穂高の声もちょっと震えていた。きっとアドレナリンが切れて、今頃になってこの異常事態に気付いたのかもしれない。で、それは俺も同じ。
頭はパニックだけど、思い返せば穂高は何度もあいつらから俺を庇ってくれていたことに気付く。作戦を立てたのもこいつだし、言葉でも、行動でも。咄嗟にこんなことができる奴なんだ、こいつは。
誰かのためにすぐ動ける人間。……こういう男が、本物の男なんだと思う。
対する俺はまだTシャツの中でぐしゃぐしゃなままだ。対処しきれない世界に足を踏み入れた挙句、信頼をしていた人からはカスみたいな扱いを受けて、友達を血だらけにした。
最低の極み。
「なあ、藤沢。……さっきのサーフショップの人が言っていたことだけど」
「あんなの気にすんな。穂高が言いたいように警察にも親にも言ってくれ。……本当に、ごめん」
「…………」
「クソみたいなものばかり見せて、巻き込んで……ごめん……、ごめん」
「……違えよ。俺こそごめん。俺が余計なことしたから、こんなに酷いことになったんだよ。素直に藤沢に言われた通り一旦あの場から離れて、すぐ近くの喫茶店とかで警察を呼べば良かったんだ。車両ナンバーは覚えてたし、それ以前に他の大人に周知させることもできた。本当バカだわ俺……藤沢、こんな血だらけになってさ……俺、お前より運動神経悪いからすげえ足手まといだったよね……何度も護ってくれて……マジでごめん」
ずずずず、と穂高からも鼻をすする音が聴こえた。
「バカなのはお前じゃなくて俺だから……」
今度は互いに背を向けて離れて、しばらく泣いていた。
こんな良い天気の夏、ここから見える時計台広場は太陽の照り返しが酷く湯気のような蜃気楼がたっている。公園自体に人があんまり居ないのだろう、お盆だし。でもってここは公園の端だから遊べるようなものが何もない。虫だらけの木陰だから人なんて全然来ない。
それをいいことに、一通り泣きまくって心を落ち着かせた俺と穂高はあいつの持って来た救急セットを使い体中の血を落とし、タオルで拭いて切り傷程度は適当に薬を塗って。ちょっと歩いて水飲み場で口をゆすいで、幸いお互い歯はどこも欠けていないことを確認し合い、蹴られた腹だけは病院に行かないとわかんない、というところに落ち着いた。
で、話し合った結果、二人で喧嘩して殴り合ってこうなった、ということにした。
勿論、ジョーさんを庇うわけではない。まず、あの組の人達が言っていた言葉を信じよう、というのが一番の優先順位にきた。
もし俺たちが素直に親に話したとする。想像だけど、俺も穂高も絶対それぞれの親が警察に通報するだろう、と判断した。で、俺の親父は絶対ジュンさんに話すからジョーさんの人生はそこで一旦破滅決定。まあそれはいいとして、警察は俺と穂高に経緯を細かく問いただしてくるだろうとなった。となると、俺が夜遊びしていたことや、そういう世界の人達との関係性を深く洗われたり、もしかしたら薬物検査までやることになるかもしれない、そこまでになると内申に響くだろう、と穂高が言ったのだ。俺だけで済めばいいけど、穂高もそれなりには巻き込まれるかもしれない。
「そうだね……」
穂高の内申に迷惑なんて絶対かけらんねえ。
「うん。推薦入学の枠はなくなると思う。お前、文武両道なのにそれでいいのかよ? で、俺は……まあ、別に高校なんて入試で入ってやるから別にいいけど、親に進路を決められる気がする。クソ真面目な全寮制とか、勝手に入れられそう」
「……そんなに厳しい親なのか?」
「俺の親、大学教授。父親は国立大の院で研究職に就いてて遺伝子がどうのってやってて、母親は違う都内の大学で准教授やってる。年の離れた兄貴はいま院生でマーケティングのビッグデータがどうのって出張しまくってて姉貴はガリ勉で工学部の寮行ったっきり四年会ってない。業者と連携してロケットの部品作ってるらしい」
「うおお……?!?!!? ……でも色々謎が解けた……」
つまり穂高の学者気質は遺伝ということだ。納得。
とにかく、あの火消しのミタさんが言っていたことすべてと、俺たちが他言しなければ何事も起こらないということを信じて、一番面倒くさくなさそうな事態、つまりただ喧嘩した、ということにした。喧嘩の相手も言わない。もし万が一言わざるを得なくなったら言ってもいいけど、喧嘩の理由を聞かれてもだんまりを通せばいい。もともと俺と穂高が一緒にいたところなんて学校の誰もが知らないし見られてもいない。ずっと前から気に食わなかったとか、そんな感じで適当に周りに考えてもらえればそれでいい。という算段だ。
だから念のため、しばらくは互いに仲が悪いフリをする必要がある。
「別に、二学期になっても放課後はあの小屋で落ち合えばいいわけだし。な」
「………………」
「まあ、でもそろそろ見つかるかもしれないな、はは」
「俺はこの作戦は絶対うまくいく自信がある」
穂高が言い切った。
「藤沢さえ一生誰にも本当のことを言わなければ絶対大丈夫。俺は一生言わない。だって、藤沢の人生がかかってるから。約束する。ジジイになっても死んでも、誰にも言わん」
穂高はまっすぐ俺を見た。
こいつの目は、本気だった。
「……わかった、俺も。死んでも守るよ、この約束は」
俺は穂高に手を差し出した。
「…………」
一瞬穂高は俺の手を見て止まり、やがて真面目な顔で、がしっ、と俺の手を握った。俺も真剣な気持ちで、この約束の握手を交わした。
ふと、これって最高の誕生日だな。……って思った。
「墓まで持ってくぞ。穂高の学者経歴に傷をつけたりなんて絶対できねえからな」
「だから俺は学者にはならねえっつってるだろ!」
「ふはっ。やっぱりそこで怒るのな、お前。そんなにヤなの? 学者」
「嫌だね。あんな、俺の家族みたいな人間になんてなりたくない。俺はいつか自分の店を持つことに決めたんだよ」
「え?! それ俺の夢なんですけど」
「今日はそれも含めて藤沢と色々話してえなって思って来たんだよ。まさかこんなんになるとは予定外すぎたけど」
「どんな店にするの?」
「まだ決めてない。でも俺の好きなもので満たされてる空間がいい」
「俺じゃん。穂高、そういうのをパクるっていうんですけど」
「パクってねえよ、参考だ。俺、藤沢の夢を聞いてすげえ学んだというか、ハッとなったんだよ。……ダメなの?」
「ははっ。いや、いいんじゃない? 大歓迎だよ。じゃあいつかは、穂高と俺の店でコラボだな」
「いいね! なんのコラボがいいかな?」
「そうだねえ…………」
「…………」
「……まずは穂高も俺も、なんの店にするか決めてからじゃねえ?」
「……だな……」
この日は夕方になるまで二人で話せるだけ話した。だって今日を皮切りに俺たちは当分喧嘩をしなくてはならない。周りの大人たちからのほとぼりが冷めるまでは全くの他人に戻るのだ。そう思うと互いに話が尽きなかった。
穂高はやっぱり昨日のうちに穂高城に行っていたようで、置きっぱなしだったミュージックソウルチルドのCDを持参してきていた。ちゃんと他の何かに取り込んだの? と聞いたらロムに入れたと言っていたのでそのまま返却してもらった。
その後しばらくは音楽の話をして、実は今日俺の誕生日なんだわ、と笑いながら話したら、じゃあミタさんから貰ったこの一万円は藤沢へのプレゼントだなって言うから、いやいや、穂高のチャリの修理代に使えって言って渡したらいらねえって言われて、じゃあコンビニの募金箱に入れようぜ、となり、あとはメンエグはもうやめようっていう話、変な女には要注意だっていう話とか、じゃあどういう女がいいと思う? っていう話、高校行ったら本気出すって話なんかもした。俺は勉強のつもりで話していたんだけど、穂高は女のことを言ってて、めちゃくちゃ笑ったら蹴られた腹が超痛くて、でも笑いも抑えられなくて、耐えるのがしんどかった。
その後コンビニで募金して、最後にまた約束の握手をして……、それぞれの家へ帰った。
俺の誕生日ケーキを作って待っていた母さんはそれはそれは騒いで、急いで仕事中の父親を呼び戻し、救急外来の外科に車で連れていかれた。父さんには、
「男だから喧嘩の一つや二つあるのは理解できる。相手も理由も言いたくないことだってあるだろう。だが母親を泣かせたら男失格だからな。それだけは一生憶えとけ。今度同じようなことをしたら許さん」
と本気で怒られた。
診察の結果、内臓の損傷はなかったけど肋骨にヒビが入っていることが判明し、しばらくサーフィンなんて以ての外と言われて三週間のコルセット生活が決定。
悲しむ母さんの手前、申し訳なさすぎて誕生日ケーキは意地でも全部食べた。父さんは、「息子がなにも話さないので学校の友達かどうかもわからないのですが、お相手のご家族に謝りに行くことができません、判明したらすぐにお詫びに行きますので」と担任の笹塚に電話までしていた。
後日笹塚は俺の家まで具合を見に来て、俺から事情を聴こうと奮闘していたけど俺は頑として何も話さなかった。笹塚が何も知らないということは、穂高の親はまだ学校に言っていないということだ。つまり穂高は本当に何も言っていない。
笹塚に、俺の内申は下がるんですか? と聞いたら、
「ばーか……、んなことしねえよ。内緒だ。でも藤沢、お願いだからもう危ないことはすんな。俺はいつものような元気なお前と楽しく卒業式を迎えたいよ」
と言ってくれて、ちょっと胸が熱くなった。
きっと、穂高も今頃親にすげえ叱られているのかもしれない。それこそ親が教授だから、頭が回らなくなるような言葉で長期間怒られているのかもしれない。と思うと申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
設定上、俺が穂高んちに電話することはできないし、とにかく二学期のスタートを待って、穂高城であいつと話をしなければ……。体は問題ないか、親は大丈夫だったのか……とか。
という気持ちで残りの夏休みを過ごしていた俺に、九月一日、二学期が始まった教室で笹塚が衝撃の一言を放った。
穂高が夏休みの内に家庭の事情で転校した、と。
俺は……頭が真っ白になった。
次話で最終回です。更新は11月17日(土)朝7時の予定です。