That Day of The Boys in Late Summer, 200X. - 3 ※
※暴力描写を含みます。ご注意ください。
「はあ、はあ、はっ……」
「っ、……、はあっ……」
大量に木霊する蝉の音。木々の木漏れ日がチラチラと顔にかかり、切れた芝生の青臭さがふいに鼻を突く。
「うぅ……、はあっ、……っ……」
ああ、チャリの振動で足がやられて膝がガクガクして立てねえ……、サーフィンの後だから余計に力が出ない。顔は思いっきり擦り剥いたし、あと背中が超痛い……多分芝生で切れて皮がべろっと剥けてんな。俺、上半身丸出しだもん。って、顔を上げ穂高を見てびびった。
「うわ、穂高っ、怪我してないか?!」
数メートル先でうつ伏せに倒れている穂高の白かったTシャツが全面、草の緑と土の茶色に汚れていた。髪は、乾き始めている土埃を被って余計にアッシュになっている。
「ああ……、全然へーき……お前は?」
ダメだ、二人とも四つん這いからそれ以上立ち上がれない。
「良かった。俺は大丈夫だよ、……あいつら、諦めたかな……」
とりあえずゆっくり座り、あぐらを掻く。穂高も俺と同じようにした。あ、こいつも頬を擦って血が出てる。
「だといいけどな……。……つーかさ……藤沢、……あの縄文の女を取ったの?」
じろー……と据わった目で穂高に見られた。なんて気まずい視線なんだ。
「……取ったわけじゃ……。東京のクラブでナンパした女が、後になって男がいるって言いだして……即別れて、でもずっと付きまとわれてんの」
「……」
「……」
うおお……、視線が、視線が痛い。
「お前……すげえな……中三でクラブとか。女をナンパとか。色んな意味で尊敬するわ。ヤッたの?」
ええまあ、と頷いた。
「……」
「……」
穂高、眉間に皺がっ、それ絶対尊敬している感じじゃないよね、深い皺が入ってる……!
「藤沢……俺はあの縄文の女とは童貞でもヤりたくねえぞ」
「おいおい穂高そこ?! 言っておくけど女のほうはあんな縄文じゃなくて、普通だったからな?!」
「あ、そうなんだ。なら良かったな、……って良くねえよ。……藤沢、俺なんかがお前に言っていいのかわかんねえけどさ」
気がつくと、穂高は真剣な目をしていた。
「お前中三だぞ、まだ」
「……そうですね……」
「藤沢言ってたじゃん、まだ俺らなんかガキなんだって。何が不幸で幸せなのか決めつけんのも早いし、それは人によっても違うって、今は俺すげえ納得してる。……だから、できるだけ自分にとって幸せそうな選択肢を取っていかねえ?」
……その通りだ。
「俺は彼女いたことないし、よくわかんねえけど。女遊びは清く正しくしろよ。俺は、夜出会う女より昼間出会う女のほうが多分いいと思う」
「はい……」
清く正しくする女遊びってどういう感じだろ……よくわかんねえけど、でも穂高は清く正しく遊びそうだわ……。
「あとさ……、あのサーフショップのタトゥーのお兄さん、藤沢と家族ぐるみでの付き合いなんだよな? こういっちゃ悪いけど、なんか……ヤバくない? ヒップホップのPVでしか見たことねえから違うかもだけど、あの人の周りにいた人達が持ってたあれ、マリファナだと思う。吸ってる煙草みたいなやつの匂いが、煙草じゃねえもん。それとも葉巻なのかな……? とにかく、お前の家族は知ってんの?」
「まだ言ってないんだよね……」
「もしかして、藤沢もやってんのか?」
「やるわけねえじゃん……」
そういう知らないアウトローの世界が、怖いって普通に怯えているただの子どもだよ、俺は。
「……なにへこんでんだよ。俺はあのサーフショップ、二度と行かねえって思ったよ、怖かった。……親しいと言いづらいかもしんねえけど、これは藤沢が我慢するような状況じゃねえと思う。嫌なものは嫌だと親に言えるうちに言うべきじゃねえの」
「……」
そうか。我慢してたのか……俺は。
「っ! 藤沢悪い、つい……また偉そうに言ってごめん」
「謝んなよな。正論だろそれ」
「……」
はああ、と深くため息のような深呼吸をして、穂高の説教を説法だと思うことにした。
事実こいつは俺の背中を今、押してくれたんだ。
ジョーさんのことを誰かに相談しよう。俺の親か、ジュンさんか……。
ブォオオオオオンと俺たちの側で低音のエンジン音が突如響き、その車の開いたドアからはやっぱりあの二人組が出てた。あーくそ、見つかるのが早い。慌てて俺は四つん這いで穂高の近くに向かった。
さっきから穂高を見てると脇腹をずっと手で庇ってるから、多分倒れた時にチャリのどこかで強打してる。くそ、なんとか穂高をそいつらから離して俺の後ろにしようと立ち上がりたいのだけど、膝が笑ってしまってヨロヨロとおぼつかねえ。穂高も一旦地面を腕だけで俺のほうへ後退りしている。結局俺も穂高もそいつらを睨むことしかできなかった。
「クソ坊主。逃げんなって言ったのに逃げたねえ。どうした? すでに傷だらけだね? 立てないのお?」
「俺たちになんか用すか」
びっくりした。穂高が聞いたことねえすっげえ低い声で縄文に話しかけた。
「穂高いいから。お前は逃げろって……」
近づいてきた縄文と穂高の間に急いで入ろうとした時、それよりも先に縄文は屈んで穂高のシャツを鷲掴みにして引っ張り、体を持ち上げた。
「用? ありまくりなんだよクソガキ。アンナが急に別れるなんて言い出したから何かと思えば手ぇ出されたって。こんなガキに!」
穂高は顔色一つ変えない。
……つか、穂高こっわー……! 目が完全に据わってる……こいつ、こんな顔するんだ。うわ、絶対こいつとマジな喧嘩したくねえ。
「あ? じゃああんたみたいな大の大人がこんなクソガキを追いかけまわして恥ずかしくねえのか。彼氏がいることを隠して近づいてきたのはあんたのアンナなんだよ。そういうのは俺らじゃなくてアンナに言え。落ち度はどう見てもアンナ側にある」
「ああ……?! おいガキ、言葉遣い習ってねえのか?」
やめろ穂高、そいつを煽るな……!
「あと二股されるような付き合い方してたあんたにも責任がある」
縄文はまず鼻をヒクつかせ、鼻の穴を大きくしたと思ったら次はフンッ、と鼻で笑った。
「江戸から続く天下の三田組の一員がこんなに優しく接してやってんだから、素直に黙って謝ってお仕置きされておくのが正しい所作だろうがよ」
うっそ?! マ、マジもんの人?!
縄文の後ろに控えている弥生も、そのセリフを待ってましたと言わんばかりにニタニタし始めた。
「なんすか、天下のミタ組って……江戸? いろは火消し組の一派ですか」
「穂高、もうストップ……っ、……!!」
ドスッと嫌な音がした。
俺の目の前で穂高が腹にストレートを食らって、その衝撃で俺の横に吹っ飛ばされてきた。
「……!!」
「げほっ……」
「ベラベラ喋りやがって……。ここでくたばってろ、アキラくん」
そう言って、この男は穂高の顔をガスッ、と踏んだ。
穂高の綺麗な顔が土まみれになって、鼻からドバッと血が流れ始める。
俺の、俺の友達。
俺のせいで……俺の、友達……俺の……、…………。
……。
「おいマサー、俺のケータイどこだっけ、車んなか? アンナに今電話すっから持ってき、ぶほっ!!」
俺は思いっきり縄文の腹に自分の拳を埋めた。
縄文豚は、どでーんと道に転がり倒れた。
「はあっ、はあっ……」
初めて人を殴ってしまった。
手が震える、今になってまた膝も足も震えてきた。でも横で痛そうに鼻を押さえている血だらけの穂高を見ると、また心の底から怒りが湧いてくる。
どう見たって俺の方の分が悪い、サーフパンツ一丁で背中を既に負傷済みのほぼ裸、しかもガキ。相手は肉の塊、首周りには凶器みたいなシルバーアクセサリーがじゃらじゃらしてる。車にマサとかいう弥生が戻ってしまえばバットだって出てくる。最悪車の下敷きにされるかもしれない。それに携帯電話で火消し組、じゃねえ、ヤバい組の仲間を呼ばれるかもしれない!
でもどうしても絶対許せない……。
……怒りで震える……!
起き上がろうとしている縄文に圧し掛かり、そいつの首から刃物みたいなシルバーの羽根アクセサリーをブチッと引きちぎった。
「この……ガキッ……」
「しゃべんじゃねえよ縄文土偶。俺がアキラだよ初めましてこんにちは!!」
車から携帯電話を持って来た弥生の「えっ、コージさんっ?!」という慌てた声を意識のどっかで聴きながら、モチーフの羽根を指の間にいっぱい挟みナックルにして、縄文の鼻めがけて再びストレートでぶち込む。
「ぅぶぼえっ」
「土偶の分際で……! 穂高になにしてんだよ!!」
もう一発、可能な限り力を込めて拳をぶつけた。更に一発、二発、やばい、羽根のモチーフがばっくり指と指の間に刺さった。けど三発目。
自分の手もたくさん切ったけど、こいつは顔中を深く切って穂高の倍は血だらけだ。しばらく縄文は起き上がれないと思う。
息が上がったまま振り返ったら、穂高が目を真ん丸にして俺を見続け静止していた。
とにかく急いで穂高のもとに戻る。
「はあっ……、はあっはぁっ……! ほっ、穂高!! おい穂高、大丈夫?!」
「こほっ、けほ。ああ、平気。みぞおち入ってない。鼻血出てるけど、これは仕方ねえ……鼻腔周辺は毛細血管が密集しているし粘膜が弱えから」
「今はお前の学者知識はいーから! 穂高、ごめんな、立てるか? ここからあっちにまっすぐ二分くらい走れば交番がある。そこまで行ける?」
「っ、藤沢後ろっ……!!」
「うらぁらぁっ!!」
言われて後ろに振り向いたらすぐそこに弥生のマサが金属バットを振りかざしていた。本気でやばい、今俺がこれを避けたら穂高に当たる、どうしたらいい?! と、手に握ったままだった縄文コージの羽根とチェーンに気付き、咄嗟にそれを弥生の顔めがけてぶん投げた。キン、キン、とバットにいくつか当たったり、チェーンがマサの腕にヒットしたり、とにかく、バットのスピードが大分落ちてマサがよろけた。その隙に俺は、今出せるありったけで渾身のパンチをマサの顔にめり込ませる。
「ぐぼっ……」
弥生マサはバットをカラン、と落として顔を抱え始めた。
「ぃいいいっってぇええ……!!」
思わず変な声を出してしまった。だって、手がちょー痛えよー!! さっき弥生がよろけてくれて良かった、背が高いからパンチする場所に迷っていたんだ。ああもう、こいつガリだから骨や歯がゴリっと当たって、俺の手、関節大丈夫かな?!
と手を見ていたら突然横から影が出てきて、顔を張り手でパンッ、と叩かれた。
一瞬の出来事で視界に閃光が散って、次は何も見えなくなって頭も真っ白になっていたら、唸り声と共に俺の腹に縄文の太い腿が高速で入って来た。
息が出来なくなって何が起こったのか分からなかったけど、とにかく芝生に倒れて真っ先にしたことは腹を抱えてうずくまることだけだった。息できない、やばいっ息しないと……! と五回くらい思ったその瞬間にぶわああああ、と酸素が入って来た。
ああ、良かった、まだ俺生きてる。
「はあ、はあ、はあ、はあ、……っ、はあ……、っ……!」
呼吸を整えてる最中に見上げれば、再びフラフラと俺の側に歩いてくる顔面流れる血だらけの縄文男。そいつの足が上がり、俺に振り下ろされようとしていた。
駄目だ、避ける力が全然出ねえ、ああ、俺こんなとこで死にたくねえ! どうしたらいい、どうしたら……!
その時すごい風圧でスウィングする音がして、見るとズドンッ……と縄文の腹に金属バットがヒットしていた。
ぐぉおお、と悶えながら、また縄文はどでーんと道に転がり落ちていく。
「はあ、はあ、はあ……! げほ、……ふじ、さっ……、生きてるっ……?」
バットをぽて、と芝生に落として、着ているシャツで穂高が鼻血を拭きながら俺のほうを向いた。
「生きてます……」
穂高は目を据わらせて真顔でバットを腹にぶち込めるんだな。
うん、こいつとの喧嘩はハードにならないように、今後もソフトで留めよう。
「……穂高、腹が紫になってる」
「え? ……うあ、本当だ。……いや、でも藤沢は俺よりすげえぞ……、背中も手も血だらけだし、はあ、はあ、鼻血も出てるし、頬腫れて口切ってる。はあ、はあ……拭く?」
そう言って穂高はTシャツを痛がりながらもなんとか脱いで、俺に投げてよこした。サンキュ……と言いながら俺もとにかくそれで顔を拭いた。言われて初めて自分の口の中が血だらけになっていて変な味がすることに気づいた。いやでも、腹のほうが痛い。
「腹痛え……、はあ、はあ、こいつら……、また、はあ、起き上がってくるかな……俺、手が切り傷だらけでもうやばい、殴れない」
「そしたら、はあ、俺が、……藤沢の代わりにまたバットでぶちのめす」
「……」
「……」
穂高も俺も、しばらく何もしゃべらずにただ息を整えていた。
次話の更新は11月13日(火)朝7時の予定です。