ジェシカ その4
いつもブクマ、評価ありがとうございます。完了まであと少しです。
大量の本と共に送られた場所は別邸でもなく、何故かアナベルの実家だった。彼女の実家には両親に妹がいた。兄もいるらしいがすでに別の場所で所帯を持って、クレイン子爵の仕事を手伝っているという。
クレイン子爵家はランバート侯爵家よりは小さめの屋敷であったがわたしが住んでいた別邸よりははるかに大きく、部屋数は十分あり、小綺麗に整えられていた。管理の目がよく届いているのか、塵一つ落ちておらず、曇ったガラス窓もなかった。明るい日差しが差し込んで、白で統一された内装はとても美しかった。
「きゃあ、奇麗な人!」
少し気後れをしながらも馬車から降り、玄関に立つと明るい少女の声が響いた。まだ14歳の妹クローディアはわたしが到着するなり騒ぎ出したのだ。
「は、初めまして」
騒々しさに押されながらも挨拶をする。呆れたような顔をしているのは彼女の母親だ。背筋が伸びて凛とした空気があった。こういう所作は、アナベルに似ているかもとひそかに思う。彼女も黙っていればとても凛とた空気を持った女性だ。
クレイン夫人は娘を窘めるように見つめてから、申し訳ないようにわたしに声を掛けた。
「ごめんなさいね、娘のマナーがなっていなくて」
「いいじゃない。わたしは貴族にならないし」
「そういう問題じゃありません。お前は腐っても子爵令嬢ですよ」
「腐ってもいいんだ」
楽し気な会話に、この家族の間で育てばアナベルのような変わった女になるのだろうと思った。男爵家のギスギスしたものではなく、ランバート侯爵家の威圧するような空気でもなく。
初めて接する暖かさに少し戸惑う。
どうしてアナベルはここにわたしを送ったのだろう。そして、それを許可したエドワードがよくわからない。問題を起こすような愛妾はすぐにでも放り出せばいいのに。
そんな気持ちを持ちながら、二人の会話を聞いていた。
「さあ、お部屋を用意しているわ。ゆっくりしてちょうだい。あなたは家族として扱っていいと聞いているからお客様扱いはしないわね」
クレイン夫人はそう言うとクローディアに部屋を案内させた。クローディアは人懐っこく、話している内容も賑やかだ。思わず自然と笑みが浮かぶ。
「ほら、ここよ。お姉さま」
「ジェシカと呼んで」
「いいの?」
クローディアは驚いたようだがすぐに破顔した。裏表のない娘だった。
「じゃあ、わたしもディアと呼んでね。皆、そう呼ぶから」
人生で初めて、貴族の中で暖かな幸せな家族というものを知った。
この家にいて、何日過ごしただろうか。一日中、送られてきた本を読み、夜にはクレイン子爵家の家族と団欒を囲む。クレイン子爵は夫人よりも少し年嵩であったが、とても落ち着いた空気を持っていた。どこか押しが弱そうなところもあるが、クレイン子爵家が持っている商会が国内外の展開を見せているところから見た目ではないのだろうと思う。
あまりたくさん話さないが、娘のクローディアやクレイン夫人の話をよく聞いていた。わたしの話も聞いてくるのだが、初めは何を話していいのかもわからずにいた。ただ、特に焦らすことなくゆったりと待っていてくれるので、ぽつりぽつりと話してみる。
すると、肯定するように何度か頷いてから、ちょっとしたアドバイスをくれるのだ。それがとても的確で、しかも受け入れやすい内容だったので何となくそうしてみる。
次の夜にそれを話し、またアドバイスを貰って。ちょっとずつ、ちょっとずつ、貴族の考え方、わたしの考え方の偏り、そんなことがはっきりしてきて、不安定だったものがなくなってきていた。こうして知識を与えられ、否定ではない修正を受けて、わたしがいかに自分が貴族として確立されていない部分があるか知っていった。本来ならば男爵家で育てるべき意識なのだろうが、あの家でわたしが与えらえたのは部屋と食事、歴史やマナーといった王立学園に入るための知識だった。それもそうだ。母は平民なのだから、貴族の意識など育つわけもない。
そんな穏やかな日々が過ぎていった。昼間は大量に送り込まれていた本を素直に読んでいた。他にやることもないのもあるが、アナベルが厳選したと言った本は正直言って面白かった。
どれもこれも恋愛小説で、身分違いの熱愛物からすれ違った末の悲劇など、様々だ。どうやらアナベルはロマンス系の小説が好きなようで最後はどれもこれも『幸せになりました。おしまい』と締めくくれそうなものばかりだ。
彼女が何を期待してわたしにこれを読ませているのか、なんとなくわかっていた。全然わたしとは違う状況の話からどきりとするほどよく似たものまであったから。
そして、わたしの何がいけないのか、徐々に理解していった。男性にしたらバカにするような夢物語だろうが、貴族の生活や考え方に欠けるわたしには細かい生活風景が書かれているのでとても参考になった。
特に夜会。
わたしはエドワードの愛情がわたしに向いていることを周囲に示したくて一緒に行きたかったが、あの夜会こそ貴族夫人、令嬢の戦場だと知った。言葉一つ、裏に潜む悪意や真意が面白くもあり、恐ろしくもあった。
王立学園で行われていた夜会でも数回、エスコートされたがすぐに帰されてしまっていた理由もわかった。エドワードはわたしを悪意から守っていたのだ。きっと優雅に笑いながら、扇の陰では嗤っていたのだろう。ダンス一つできない愛妾なんて、と。あのような愛妾、必要ないのではとまで、言われていたに違いない。
そして、その評判はエドワードだけでなく、イザベラにも返ってくる。大したことのない愛妾でご苦労が絶えないわね、と。将来の正妻としてそれは看過できないことばだったはずだ。だからこそ、イザベラはよく苦言を呈していたのだ。エドワードの側にいたいのであれば、努力しろと。
こうして物語であるはずの本を読み、自分が辿ってきた道を振り返ってみたら笑いしか出ない。運命の出会いが全てを解決することなどないのだ。出会いこそ運命であるが、そこから辿るのは普通の道だ。特にわたしなど、貴族としての基本がまったくできていないのだから、間違いないく茨の道だ。
出会いだけが本当に特別。
「ねえ、ジェシカお姉さま」
「なあに、ディア」
小説を捲りながら、クローディアが尋ねてきた。クローディアもアナベルの蔵書を読んでいるようだが、なんか難しい顔をしている。
「運命って何?」
「え?」
クローディアはわたしの方を見ずに本に目を落としている。どうやら本の話の様だ。
「ぱって目が合って、この人だ!って思うような出会いのことなの?」
とくんと胸が鳴った。
そうだ、わたしはエドワードを運命の人だと思った。それはたった一度目が合っただけだった。
「そうね」
「ジェシカお姉さまは経験した?」
「ええ、今でも愛しているわ」
するりと言葉が出た。エドワードがもうわたしの事を愛していないだろうけど、わたしはまだ愛しているようだ。できればあの時に戻って、この出会いを大切にし直したかった。
「ふうん。じゃあわたしも経験するのかな?アナベルお姉さまも年中言っていたし」
「アナベル、も?」
アナベルの名前が出て、どきりとした。クリフォードのことだろうか?自分の仕出かした愚かな行動が急に恥ずかしくなった。いくら知らなかったとはいえ、愛している人が他の女にキスされて気分がいいわけがない。
「今の旦那様じゃないわよ。幼馴染のお兄さまよ。死んじゃったけど」
「そう、なんだ」
「アナベルお姉さま、いつも言っていたの。わたしたちは運命で結ばれているって」
クローディアが少し大人っぽい顔をして、じっとわたしを見つめた。
「でも、わたし、運命なんていらないと思うの。だって皆幸せじゃないじゃない」
なんだか胸の奥が詰まったような重さを感じた。
ジェシカ、大いに反省中。