ジェシカ その3
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クリフォードが結婚していた。今のまま、彼のところに行ってもやはり妾のまま。
「なんでよ、なんでよ!」
むしゃくしゃする気分で、自分の髪を搔き乱した。
どうしてなんだろう。
どこで間違ってしまったんだろう。どうしてわたしは二番目何だろう。
愛していると情熱的に囁いてくれても、それはそれなのか。
不思議なことに涙だけは出なかった。クリフォードに薬を盛った時にはもうエドワードと別れることになることは覚悟していた。うまくいけば、正妻になれる。そちらの方が魅力的だった。
だからこそ、無理に運命の人が間違っていたなどと思い込んだ。クリフォードを追い詰めるように噂を広め、既成事実を作り上げようとした。そうやって自分自身を騙してでも手に入れたかったのだ。正妻という肩書を。
だけど、うまくいかなかった。
エドワードはわたしを責めるよりも薬のせいで真っ青になっているクリフォードを真っ先に心配した。
唯一の味方ともいえる二人を傷つけた。ちゃんとわたしを見てくれていた二人をどうしようもない方法で傷つけたのだ。
これからどうしようかと、思い巡らせた。
男爵家には帰れない。エドワードの別邸に行くことになった時に正妻に戻ってくるなと言われている。彼女はわたしがエドワードといずれは別れるのだと分かっていたようだった。こうも平行線を辿るとは思っていなかったから、最後に顔を合わせた時には特に気にしなかったが。どちらにしろ、男爵家には戻るつもりはなかった。
とりとめのないことを考えながら、ぼんやりしていた。
「ジェシカ様」
そっと声がかけられた。
誰だろう?まだこの屋敷に誰かがいただろうか。
「誰?」
「侍女をしているハンナです」
ああそういえば、この屋敷には交代で通いでやってくる侍女がいた。そのうちの一人だろう。力のない目で彼女を見つめた。彼女は同情的な瞳でこちらを見ている。
「さあ、身を清めましょう。本宅に来るようにと連絡がありました」
「本宅……エドワードが?」
「いいえ。イザベラ様です」
イザベラと聞いて、力が抜けた。
わたしが欲しくて欲しくて仕方がない正妻の位置にいる女。
あれほど一番愛していると言いながらも、彼の中の一番はイザベラなのだ。エドワードが気が付いていないだけで。
ずっと認められなかった。
二人が一緒にいるところをほとんど見たことがない。わたしがイザベラを見る時は必ず横にエドワードがいた。遠目から見たこともあったが、その時は二人きりではなかった。
だから、見ないようにした。本当の二人の関係なんて。
本当はエドワードの言っている意味は分かっていた。イザベラがいなければエドワードが暮らしていけるわけがないのも知っていた。この生活だって、そうだ。
イザベラがエドワードを愛しているから、わたしを容認したことも。
貴族の女ってなんだろう。お金があっても、地位があっても、結婚している愛する人に他の女に目を向けないでということができない。平民ならば浮気だと罵ることができることも、仕方がないと笑う。その上、妾の生活の面倒を当然のようにみる。
本当ならば、エドワードと恋に落ちたわたしを排除したかったはずだ。嬉しそうにわたしについての相談をするエドワードを苦しく見ていたはずだ。
だって、すべてはイザベラが許可しないといけないから。
どれほどの苦しみなのか。
それともそれを飲み込むすべを手にしているのだろうか。
やっぱりわたしは貴族ではなかったのだ。違う、貴族にはなれなかったのだ。
エドワードが運命の人であっても、結ばれる人ではなかっただけだった。
ようやくそれを理解した。
******
本宅に来たのは卒業後に一度だけ。その時にイザベラもいたが、彼女と話した覚えはない。エドワードが嬉しそうに説明をして、そのまま馬車で別宅へ連れていかれた。
ふと手を見るとわずかに震えていた。ぎゅっと手を握りしめて震えを抑える。今更、罵られることを怖いと思っているのだろうか。侮蔑の目を向けられるのが辛いと思っているのだろうか。
自分自身のことなのによくわからない。
「どうぞ」
馬車の扉が開き、御者の手を借りて降りた。降りた先に見えたのは、クリフォードと楽しげに笑う女性だ。
頭が真っ白になった後、かっと熱くなった。一目見て彼女がクリフォードの妻だと理解した。
「お嬢様?!」
突然走り出したわたしに御者が呼び止めるが、それを無視して捕まらない様に全力で走る。先にわたしに気が付いたのは女の方だった。驚いたようにこちらを見ている。その反応に後ろを向いていたクリフォードが振り返った。
「ジェシカ」
ぽつりと呟くクリフォードの言葉など無視して、女に手を伸ばした。自分でも何をしたいのかわからないが、どうしても、わたしを無視して幸せに笑うなんて許せなかった。幸せな笑顔をわたしという存在で曇らせたかった。何も残らなかったわたしが唯一残せるものは醜い傷だけなのだから。
伸ばした手は女に捕まれた。ぱしんと勢いを止めるように当たった手から小気味のいい音がしたあとに、ふわりと包み込まれた。
「あなたがジェシカさんね」
「は?」
とても柔らかく話しかけられた。想像外の反応に呆けてしまう。
「是非ともお話がしたかったの。お茶でもいかが?」
この女、頭、大丈夫?
******
気まずい雰囲気というのはこういうことなのだろうか。
連れていかれた部屋で長椅子に座るようにと促され、向かいにはクリフォードとその妻であるアナベル。アナベルは侍女がお茶を整えるのを待ってから話し始めた。
「初めまして。わたし、アナベルです」
「ジェシカよ」
不貞腐れたように告げると、クリフォードが不愉快だったのか、わずかに眉を寄せた。何も言ってこないのは、あらかじめアナベルに何かを言い含められているようだった。無表情にただ大人しく座っている。
「正妻になりたいと聞いているのだけど、何故かしら?」
単刀直入に気かれて、途方に暮れた。このように真っすぐに聞いてきた人はいなかった。エドワードでもクリフォードでも困った顔をして、それはできないとしか言わないから。じっとアナベルの顔を見つめ、理由を説明してやる。
「正妻だと愛されなくなったって捨てられないでしょう?」
「捨てられないためだけに?」
驚いたのか、アナベルが目を丸くしている。
「だって、どれほど愛していると言われても正妻が追い出せば妾なんて……」
目を伏せた。いつも窶れている母のマリーが思い浮かぶ。ごめんなさい、といつも言っていた。愛していると抱きしめても、先に死んでしまった。
「追い出されたら問題があるの?」
「追い出されたら食べていけないわ。お腹がすくのは辛いわ」
アナベルの疑問に、つい素直に応えてしまった。
日に日に弱っていく母に何とかして食べ物を手に入れた。性格が悪いとか少し可愛いからってと同じように日々の食事に困っていた少女たちになじられたことがあったが、そんなのこと、どうでもよかった。だって、そうしないとお腹がすくのだ。食べなくては生きてはいけない。
「薬を盛って襲い掛かったと聞いているけど、クリフォード様を愛しているわけではないのね?」
「何を言っているの?愛しているのはエドワードよ。だけど、愛だけじゃ正妻になれなかった。クリフォードを選んだのは正妻になれると思ったから」
そう、愛しているのはエドワードだけ。運命だと思った人だ。だけど、その運命はわたしの願いを叶えない。
「ジェシカさん、小説を読むのはお好き?」
「小説?」
突然話が飛んで、ついていけなかった。ぽかんとした顔をして目の前にいる女を見つめた。彼女はちょっと悩むようにして首を傾けている。
「そう、字を読むのは大丈夫かしら?」
「ええ。難しい本は読めないけれど」
「十分よ。わたしの本をお貸しするわ。是非とも参考にして」
なんだかよくわからない女だった。
ジェシカ、反省会はじめます