ジェシカ その2
どうしてわたしはこんなところにいるのだろうか。
卒業して1年。
豪奢な部屋はわたし好みに整えられているし、美味しい暖かなお茶を用意する侍女もいる。そして、護衛として週の半分やってくるのはクリフォードだ。
だけど、ここは豪華な鳥かごだ。わたしを外に出さないための。わたしはこんな場所にいたいわけじゃない。エドワードの隣に立って、素敵なドレスを着て、宝石で着飾って皆の前に出たいのだ。皆に、エドワードに愛されているのだと知らしめたいのだ。
「どうして……」
なのに、エドワードが用意したのはこの小さな箱庭のような別邸だった。王都からも少し離れているし、誰もわたしの元へは訪れない。友達も知人もいないのだから、当たり前と言えば当たり前だった。
学園にいる時にはいつも沢山の人たちがいたし、エドワードの周りには人が入れ代わり立ち代わり集まっていたから、すべて自分の知人だと錯覚していた。こうして集団から離れてしまえばわたしはちっぽけで、知っている人間なんて5本の指ほどもいない。しかもその中で親しいと言えば、エドワードとクリフォードくらいだ。
「エドワードはどうして来てくれないの?」
独り言に近い呟きに、クリフォードがやや呆れたように答えた。
「今、領地への視察で留守にしている」
「別に領地への視察なんてしなくったていいじゃない!」
「領地が栄えなければ、君は今のような生活はできない」
そんな答えが欲しいわけじゃない。
わたしは癇癪を起した。
「領地なんて知らない!エドワードは王子さまでしょう!働かなくったって、お金なんて入ってくるじゃない」
わたしは知っている。王族など働かずにお茶会や夜会ばかりしているのを。だから、エドワードだって働かなくてもいいはずだ。
「エドワードはすでに王族ではない。侯爵家に婿に入ったんだ」
「は?」
思っていないことを言われて呆けた。クリフォードはため息をついて、淡々と告げてくる。
「一か月前だ。臣籍降下した」
「何よ、それ?聞いていない」
「聞いていないはずはない。エドワードは言ったはずだ。イザベラ嬢と結婚すると。これ以上は延ばせないと」
確かにそれは聞いた。そして、わたしはいつものように愛しているのなら結婚しないで、わたしを正妃にしてと言ったのだ。エドワードは何か説明していたが、取り乱したわたしはあまり聞いていなかった。
「わたしはどうなるの?」
力なく聞けば、クリフォードはまっすぐに見つめてきた。
「エドワードは別に君を放り出すつもりはない。ここでずっと不自由なく暮らせるはずだ」
「そう……」
クリフォードはもっと何か言いたそうだったが、わたしはそのまま彼を無視した。ぼんやりと奇麗に整えられた庭に目を向けた。
運命の出会いだと舞い上がっていた。
素敵な王子さまと結婚して、正妃になって幸せになれると思っていた。
だけど、やっぱり王子さまとは結婚できなかった。
妾の子は妾にしかなれないのだろうか。
悔しさに涙がにじんだ。
******
きっとエドワードは運命の人ではなかったのだ。
わたしは初めての恋に浮かれてしまって、運命の人を間違えたのだ。
だから、よく考えた。今度こそ間違えない。残念なことにエドワードに初めてを上げてしまったけど、そこは許してもらおう。運命の人を間違えたわたしが悪いんだけども。
わたしはエドワードに養われているけど、エドワードの何にでもない。もしかしたら愛妾にもなっていないのかもしれない。そう思えば気も楽だ。
どうしても誰か愛する人の正妻になりたい。
じっと今日もやってきたクリフォードを観察する。いつもは華やかなエドワードの陰に隠れてしまって目立たないが、彼も伯爵家の跡取りだ。
しかも一人息子。
今はわからないが、在学中に婚約者はいなかった。
「クリフォード、あなたって結婚はどうするの?」
ある日、気になって聞いてみた。
「俺の?」
「そう。いつもこんなところに来ているから気になって」
「結婚は両親が決めるはずだ」
「婚約者はいなかったの?」
クリフォードは突然聞かれたことに次の言葉が出ないようだ。探るようにこちらを見てくる。
「何故、俺の事を?」
「気になっただけ。よく考えたら、エドワードのことばかりであなたのことを何も知らないなと思って」
そう誤魔化す。今日はこれ以上は聞けないだろうなと思い、話題を変えた。
「ねえ、たまには外にお買い物に行きたいわ」
「買い物」
「ええ。何が欲しいわけではないの。ただ歩いてみて回りたいだけよ。ここに閉じこもっていると気分が落ち込んでくるの」
閉じ込められているから、と言外に含めてみる。どう反応するか、クリフォードを眺めていた。
「……明日まで待ってくれ。エドワードに聞いてくる」
クリフォードは少し考えるとそういった。わたしは満面の笑みを浮かべてお礼を言う。
「我儘を聞いてくれて、ありがとう」
お礼を言えば、彼は驚いたように目を見開いた。
失礼ね、お礼ぐらいは言うわよ。下心いっぱいだけど。
「明日が楽しみだわ」
******
恐ろしいほど順調だった。わたしはワクワクしながら、街を歩く。もちろん一緒にいるのは護衛としてついてくるクリフォードだ。いかにも恋人かのようにふるまった。腕を組まれたクリフォードは嫌そうな顔をしている。
「もっと楽しそうに歩いてよ?」
「では手を離してくれ」
「いやよ。一人だと寂しいもの」
クリフォードにはエドワードへの当てつけに見えるように振舞った。こんな風にして出かけてもう半年だ。そろそろ王都にも噂が届くころだろう。買い物をすると見せかけて、クリフォードと噂になる様にありもしない話をちょっとづつ真実のように漏らしていったのだ。商人なんて噂を広げるにはちょうどいいはず。
そして、一度噂になってしまえば、クリフォードは醜聞から逃げられない。どんな噂に化けたのか、知りたいけどここにいる限りはわからない。だから、せっせと醜聞になるような噂を落としていくのだ。
「今日はエドワードが来るはずだ」
「へえ、珍しい。最近全然きてくれなかったのに」
嫉妬してくれたらいいんだけど、と呟いて見せた。クリフォードは呆れたようにわたしを見る。
「俺を巻き込むな。大体、俺を当て馬にしてもエドワードには効かない」
「そうかしら?でも、エドワードは今夜来てくれるんでしょう?」
うふふと笑う。
さあ、今夜が勝負だわ。
「クリフォード」
名前を呼んでも、彼は起きない。
「クリフォード、寝ちゃったの?」
彼はぐったりと長椅子に体を預けて反応はない。先ほど振舞ったお茶に入れた睡眠薬がよく効いているようだ。
「評判どおりの効き目ね。あとは、服を脱がせてこの媚薬を」
彼の着ている服を脱がせていく。クリフォードは体が大きく重いので脱がすのも大変だが、別に全裸である必要はない。シャツの前ボタンをだらしがなく外し、ベルトも外す。ズボンの前を寛げた。そして、媚薬を彼の裸の胸に落としてすり込んだ。しばらくすると、肌が熱を盛ったように赤くなった。
「ちょっと足りないかしら?」
もう少し媚薬を足して、さらにすり込んだ。眠っているはずの彼の息が荒くなった。満足できる反応を見せたので、自分自身もドレスの胸を開き、裾をまくり上げ彼の体に乗り上げた。ゆっくりと彼の唇に自分の唇を押し当ててみる。エドワードと違って少し唇が薄かった。
「そろそろかしら」
玄関に音が響いてくる。いかにもというような雰囲気を持たせるために、彼の胸に手を這わせた。そして濃厚なキスをする。
「ジェシカ……?」
扉が開いた。もう一度、クリフォードの唇をなめてから、顔を上げる。
「何をして……」
呆然としたエドワードを見て成功したことを確信した。