第六話 魔法をかけて
私は、黒い髪に黒い瞳を持つ。みんな地味でも茶髪くらいで、黒髪というのだけでも珍しいこの星で、私は黒髪黒目に生まれたんだ。
その色の持つ意味は、悪魔。根強く染み付いた迷信、偏見。
私はこれまでそれを理由に、どれだけ傷ついてきたことか。
幼稚園。
私の友達は少なかった。みんな外で目一杯遊んでいる中で、私は教室でひとり、女の子をクレヨンで描き続けた。私の絵をみんなに見てもらおうとしたこともあるけれど、全部破られた。でも、私は、当時の私は、その理由がわからなかった。ただ頑張って描いた絵を破り捨てられるたび、大声を上げて泣いた。
小学校、低学年。
毎日、いじめられた。ものを隠されたり、仲間外れにされたりなんて可愛いもの。毎日毎日痛い怖いを通り越してどうでも良くなってしまうほど殴られた。蹴り飛ばされ、はさみがあれば服や皮膚を切り刻まれ、調理実習の包丁があれば私の肉を切られ、体育の鉄棒があれば一段高い場所から蹴り落とされた。
何回怪我をして入院したかなど、もう覚えていない。
小学校、中学年。
三年生の始業式、私はとある男の子に出会った。その子はとても世間知らずだから、私にだって分け隔てなく接してくれた。その日の休み時間、彼はいつも通りに殴られた私をかばって、守ってくれた。他人も自分も傷つける勇気のない私の代わりに、私を殴った子を殴ってくれた。
その彼の名前こそ、時計卯夜。
あの子の華奢な手には似合わない力強さは、死ぬ勇気も逃げる勇気も立ち向かう勇気もない私を守る、私の勇者になってくれた。
小学校、高学年。
あの子の弱いところも少しずつ知っていった。私とあの子は、親友になっていた。お互いの心の支えになって、そしてたぶん私があの子に初恋したのもこの頃だ。もちろん告白する勇気もなかったのだけど……。
あの子が歌をネットに上げ始めて、私はあの子のために絵を描くようになった。二人で色んな物を作り出すのはとても楽しいのだ。
そして、中学校。
あの子とやっと抱き合う勇気が生まれて、以来ずっとべったりだ。離れたくなくて、時に迷惑をかけることだってある。それなのにあの子は私の想いに気づく様子がない。鈍感だなと思いながら、あの子の温もりにいつも手を伸ばすのだ。
部活は別だけど、一年、二年とクラスは一緒だった。周りはなんていうか、さっさと結婚しろ的な目を向けてくるけど、あの子は気づく様子がない。
ただ、あの子がいてくれたおかげでもう差別されることもほとんどなくなったし、学校では暴力を振るわれることもなくなったし、昔は想像もできなかったくらいたくさんの友達ができた。
あの子のことが、好きだ。本当に大好きだ。悪魔なんて呼ばれる私に偏見を抱かないで、ありのままを見てくれる。傷ついた私を癒やしてくれる、砂漠のオアシス、いや、宇宙の真空世界の酸素くらい、有難い存在だった。
だからこそ、もっと、強くなりたい。あの子に守ってもらわなくてもちゃんと幸せになれるくらい、強くなりたい。
自分の部屋のベッドとも、病院のベッドとも違うふわふわした布団に包まれて、信楽は目を覚ました。
目を開けば白。どっちを見ても白。こんな場所、覚えている限りじゃあのお店の地下室しかない。そう考えて、何で、と思えば。
ひょこん、と卯夜がベッドサイドから顔を出した。ちょうど死角に居たらしい。顔は赤いし目もちょっと赤い。これは絶対泣いてたな、と思いつつ、信楽は身体を起こしてみる。
「し、ぃ……っ、」
「……卯夜、君……」
普段はきりりとした顔が、泣きそうに、ふにゃふにゃに歪む。すごく可愛い、と信楽は思った。
けど、そういえばどうしてこんな場所にいるんだっけ、と思って、思い出した。
二発の銃声、流れ出る熱いもの。これまでだって何回も銃で撃たれたけど、心臓付近は初めてだったので、『あ、これ死ぬやつだ』と思いつつも、苦しくて意識が朦朧として、何も言えなかった。もう撃たれるのさえ慣れっこだったからなんとなく分かった。……だけど、だけど、傷が痛まない。いつも撃たれて目を覚ましたときはほとんど体が動かなかったのに……。
「魔法をかけて、くれたの?」
「……ん」
卯夜はかすかに頷く。信楽の手を取って、頬にすりつけていた。卯夜の涙だろう、肌の体温とも違う温かい感触が伝わってくる。たぶんすっごく心配してくれたんだろう。
やがて卯夜は信楽の手を離して、押し倒すような勢いで抱きついた。ぼふ、と布団に埋もり、声を押し殺しながら、しかし涙をぼろぼろとたっぷり流して泣いている。信楽はそっと、卯夜の背中に手を回して、優しく抱きしめた。
とある次期当主の、休日の午前は忙しい。貴族関係の訪問者は大概午前中――よほど長話になることがわかっている場合じゃなければ十時から十二時までの間に来るし、それまでの時間は中学卒業までにこの世界のありとあらゆる学問を修めるためにひたすら知識や情報を頭のなかに詰め込まなきゃいけないし、何より病弱な身体を少しでも強くするための鍛錬は朝が早い。小五相当まで文字通り薬漬けになっていた深窓のお坊ちゃまにとってはかなりハードな朝である。
とはいえ、わがままを言っているわけにもいかない。中学卒業まで頑張ればあとは大抵の時間帯はある程度自由な生活が待っているのだ。しかしそれは中学卒業まで頑張れば、という条件付きである。その未来に向かうためにも、才能だけではなく、努力は欠かせない。
そして、その彼の目の前には、おしゃれ用のよそ行きである甘ロリドレスの女性が座っていた。普段は粗野なのか、お上品な挙措にはどこか慣れていないような雰囲気を感じる。目の前の相手が相手なのでどこか怯えているようでもあった。
「で、例の監視の件、どうだい?」
「は、はい。『彼』は無事に魔法と接触しました。『彼女』に対する使用に関しての出力は予想以上です。おそらく、こちらの見立てより『彼』は強大でしょう」
女性の報告を聞きながら、少年は足を組んで優雅に紅茶を口に運ぶ。甘ったるく大量の砂糖で味付けされたそれが紅茶と呼べるのかどうかは、彼の使用人や知り合いの間でも意見が別れるところだが、彼自身は気にする様子はない。そもそも彼の味覚は甘味に鈍感なのか単純に甘党なのか、基本的に甘ったるいものしか口にしないのだ。
「まあ、見立てより強大だったとして疑問はないさ。アレはたぶん、神だのなんだのと同列に語られるべきものだろうからね」
少年がそう言うと、報告が終わったということで女性が立ち上がる。この星では珍しい黒いロングヘアだったのだが、茶色に染められたその髪は、服装に合わせてくるくると巻かれていた。赤髪赤目の少年は優雅に立ち上がり、使用人を呼ぶと彼女を送らせる。
「そうそう、あの子に関しては直接の接触はしすぎない方がいい。嗅ぎつけられたら困るし、敵対してしまえばまず勝てないだろう。いざとなればこちらから手を回すけれど、あまり面倒事は引き起こさないでね」
「かしこまりました。――東元寺醂様」
少年――醂は、気をつけてね、と言うと彼女を見送り、自室に戻る。次の訪問者は、現在の普段着で会える相手ではない。正装すべき相手に敬意を示すために着替えるのだった。
貴族世界の面倒さにため息をつきながら、今日も少年は世界の裏側も操る。
「もう帰るのかい?もう少しゆっくりしていってもいいのに」
「いや、これ以上はさすがに迷惑かけすぎかな、って」
卯夜と信楽は見取に頭を下げた。昨日、卯夜は一昨日から結構見取に迷惑をかけている。これ以上面倒をかけるわけにはいかなかった。見取は残念そうな表情をするが、面倒をかけているだけでなく卯夜は卯夜で家事も溜め込んでいることになるのでぶっちゃけ早いところ帰りたかった。
「まあ、連絡さえくれればいつ来てくれてもかまわないから。相談なり魔法道具の調達なり、いつでも来るといいさ」
「ん。――、一昨日はいきなり押しかけて悪かった。昨日も、事情が事情とはいえ急にベッド貸せなんて言っちゃったし」
「どっちも不可抗力じゃないか。しょうがないさ、世界は時に、特定人物にのみ厄介事をめちゃくちゃに押し付ける」
見取の赤と黒の瞳が遠い何処かを見つめる。完全な黒髪黒目である信楽とは違い片目は赤という名の普通であるとはいえ、彼女もまた信楽同様悪魔がどうのみたいなことを言われてきたのかもしれない。それが、特定人物にのみの厄介事、のひとつだと彼女は思っているのかもしれない。そしてそれは、魔法というものを持ってしまった卯夜も同じだろう。
しかし、こんな言い方をしてしまうと卯夜の善意を踏みにじるようだが、信楽は悪魔と呼ばれる黒髪黒目であるからこそ何も知らない卯夜の助力を得て、あるいは必要以上にも守ってもらえるようになった。卯夜は、魔法を手に入れたことで傷ついた信楽を瞬時に癒やして、ただの人間であれば救えなかった命をすくい上げることが出来た。見取もそんな感じで、何かを手に入れたかもしれない。
厄介事は厄介なだけじゃないかもしれない。そう思いながら、卯夜と信楽は二人で見取の店を出て帰路についた。
一区切りつきました。次回から第一章です(若干訂正しました)