雨宿り
一つ、二つ、五つ……九つ………
黒、赤、花柄にチェック……
傘の花が開いてゆく。
時折、雨粒が窓ガラスに当たっては、線を描いて滑り降りてゆく。
始めはゆっくりと次第に仲間を集めて速度を速めて。
三階の喫茶店の窓越しに眺める景色は、まるで映画を見ているように現実離れして見える。
雨が降ると急に増える傘の数を、いつもなんだか不思議に思っていた。
「雨が降る前って、手に傘を持っている人はほとんどいないのに、雨が降り出すとなんで増えるんだろう?」
以前、あの人にそう呟いた。
「そんなこと、考えたことないや」
あの日、別段話すことも無く、窓の外を徐々に増えていく傘を二人して眺めていた。
ただそうしている時間がいとおしくって。
ふと、友人のすすり泣く声に、目線を窓の外から店内に戻した。
薄暗いオレンジ色した光の中に、コーヒーの香りがゆったりと霞のように漂っている。
古ぼけた鳩時計からは、地底から響いてくる低い音とともに幽霊でも出てきそうだった。
「以前、彼に付き合って言われたことあるの。 でも、その時は断ったの。 こんなことになるなら」
ハンカチで鼻を押えているわりには、ハッキリとした言葉が流れてくる。
そこにいた、ほとんどの仲間達も目を潤ませている。
ここに入ったのは、大学時代サークルの仲間だった男性の葬儀帰り、急に降り出した雨のためだった。
「あたし、彼に、悪いことしちゃった」
店内は、外の暑さとは反対にキンキンに冷えきっていた。
彼女の姿を見つめる私の心と同じ。
「そんなことないって」
涙でグシュグシュになった彼女を、横に座っていた一人が、肩に手をやりながら慰める。
まるで、悲劇のヒロイン気取りね。
別の男と付き合っているくせに。
わたしは、ミルクティーに浮かんだ、すでに消え入りそうな氷をかき混ぜながら、さめた気持ちで眺めていた。
人が亡くなっても、私は泣かない。
庭に遊びに来ていた野良の子猫が道端で硬くなっていた日、縁日で買ったみどり亀が死んでいた朝も、涙は止めることが出来なかった。
なのに、人が亡くなっても涙が溢れることはない。
別にこらえているわけでもないのに。
小学校の頃、友達が亡くなった日も、祖父の葬儀でも、涙はこぼれることがなかった。
たぶん、両親が亡くなったとしても泣かないと思っていた。
そして、もう彼がいないという今も、私の目に光るものはない。
以前、彼に聞いたことがある。
「誰かが死んだ時に涙を流すのは、なんに対して泣いてるの? その人の死に対して、それとも会えなくなる悲しさ。 泣かない人って、やっぱ、薄情にみえるかな?」
「人それぞれだろうけど、泣くとか泣かないとかそんなのどうでもいいと思うよ。 涙なんて物理的なものではなくって、ようは心の問題だろ。 もし、魂なんてものが存在するなら亡くなった人には、すべてお見通しってわけだし」
彼のよく響く声が、私を心地よくさせる。
「人にどう思われるかなんて関係ないでしょ」
彼は、そういう生き方をしてきた。
「そうだね。でも」
あなたにだけは、よく思われたい。
そんな言葉を飲み込んだ。
それは、私の心の奥底に押し込んだ思いだから。
ほんの少し穴を開けたら、どっと溢れ出して止められなくなってしまうから。
人が涙するのには、いろいろな意味があるのだろう。 その人に何もしてあげられなかった、助けられなかった、という後悔からかもしれない。
涙にはストレスのホルモンだかが流れ出ているらしい。
だから、人は涙を流す事によって、ストレスが減少するという。
って言うことは、涙を流せるうちは楽なのかもしれない。
もし、今、ここに彼の魂が存在するのなら見えているのだろうか私の心が。
……九つ、八つ……五つ………傘が消えてゆく。
さっきまで、おお泣きしていた彼女も今では、別の話題で盛り上がっている。
……ひとつ。
最後の雨の花が消えた。




