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監獄のクラブチーム  作者: 八尺瓊
1年目
54/77

第53話 オレ上手くなりたいんです!

 監督と選手

 

 Aチーム監督の上杉は、今まで選手塔に着たことがなかった。

 選手塔とは選手村の中にある名前の通り選手達が暮らすマンションのようなビルで、昔受刑者達が収監されていた施設をリフォームしたものだった。ビルは全部で4塔あり、そのうち3塔は選手塔で、残りの1塔は、監督、チームスタッフが住んでおり、監督塔と呼ばれている。

 監督が選手塔に行く事は、禁止されているわけではないのだが、上杉は、監督としての仕事はあくまでもビジネスとして捉えており、プレイベートでここに訪れるのは初めてだった。

 せっかく選手達のそばにいるのだから、もっと交流を持てばいいのにと思われるかもしれないが、人間はどうしても感情的に動く生き物であり、プライベートで選手達と付き合うと、スターティングメンバーを選考する際、能力で見る事ができず、感情的な部分を優先してしまうかもしれないと、今まで選手達との接触を避けてきた。

 武田はこの辺りの感情をコントロールし選手達と折り合いをつけているのが上手く、腹立たしくもある。

 後、もう一つ理由があり、今まで海外生活が長く、個人を優先にした行動が多く、プライベートは本当にサッカーを練習する時間と自分の為だけの時間で他人と接触した覚えがない。

 サッカーの事になれば監督として上手くプランを立て、チーム全体に自分の意思を浸透させる技術はあるのだが、個人として選手と面と向かうとなかなか、うまくコミュニケーションを取れない弱点もある。

 試合が終了して、2時間ほどたっている。

 そろそろクールダウンを終えた選手達がこっちに帰ってきてもいい時間だと着てみたのだが、思いのほか選手達の姿はない。

 とりあえず、今回の用件を済ませるためにある選手の部屋の前まで足を運ぶ。

 ピーンポーン。

 インターフォンを鳴らすが、まったく人がいる気配はない。

 もう一度鳴らしてみるが、返事がないので、このまま自室に帰るか迷うが、今日解決したい用件なので、探す事にする。

 少し歩いてみて捕まえた選手に、話を聞いてみるがお目当ての選手がどこにいるのかわからないとのことだった。

 そのお目当ての選手とは、FWフォワードの花形である。

 上杉はまだ、花形を途中交代させた事に悩んでいた。

 このクラブチームの主旨は、ワールドカップに出れる選手を育成する事にある。疲れている事はわかっていたが、あのまま使い続ける事もできた。

 それは限界の先を知ることができる機会でもある。

 サッカー選手は、限界の先を知り、壁を越えて、また新たな壁を作り、さらにその先へと、何度も繰り返して成長するものだと思っている。

 壁を越える事は容易ではない。必死にもがき、時には挫折してそこから這い上がれない人間もいる。

 だが、このクラブチームにいる選手には、自分がいる。

 俺が這い上がらせてやれるだけの経験とそのための知識を持っている。

 そのために、自分はこのクラブチームに呼ばれたのだと思っている。

 自信があった。

 今まで何度も、弱小クラブチームで伸びる選手に目をつけ、必死に育てて挫折から引き上げ、更なる壁へと連れて行く。選手達からすればいい迷惑だったかもしれないが、そうやって新しい戦力を見つけてこそ、お金のないチームを勝たせるには必要な事だった。

 そういった監督経験が生かせると思ったからこそ、ここにいる。

 しかし、今回の試合で自分は勝ちにこだわった。

 選手の育成より、チームの勝利を優先し、一人の選手の若い芽に栄養を与えなかった事に、後悔が生まれた気持ちだった。

 花形は、ストライカーとしての資質を小さいながらもっている。元2軍としてCFセンターフォワードを日本人ながらに勤め、得点もあげている。

 今はベニートのそばで、ベニートがもつ嗅覚を、花形がどう感じそれを栄養としてストライカーとしての資質にどんな影響を与えているのかわからないが、着実にいい方向に向かっている感覚はある。

 絶望的な状況から、それを覆せるだけの一発をもった選手に、花形はなれると信じている。

 しかし、芽が育つまでにはまだまだ時間がかかる。

 今回の練習試合で、勝った所で選手が成長しなければ意味がない。追い込まれた状況の中から得る経験こそがストライカーを育て、負けてもなお得るものもある。

 1点でも多く点数が入れば勝ち。

 ストライカーの育成はクラブチームとして非常に重要なウェイトを占める。

 こういった理由から、花形の様子を見るために上杉は、彼を探していた。

 中町ではなく、花形に上杉はこのクラブチームで日本人選手として最多ゴール数を記録できると考えている。

 自分とよく似たタイプに見えた。

 負けん気が強く、ベニートと同じCFとして、対等の立場を取ろうとする。他の選手だと、ベニートに最後は任せようとするが、花形にはそれがない。

 迷わず、シュートラインが見えれば自ら決めに行こうとする姿勢。今回は結果が出なかったが、これから楽しみな選手の一人である。

 選手塔を出て、オープン練習場として機能している元3軍グランドに足を運ぶ。

 しかし、そこにも花形の姿はなく、まだクールダウンしている選手達が軽く走っている。

 

 (あれから2時間走っているのか?クールダウンになってないな)

 

 軽めのジョギング程度のスピードで走っているが、練習後で2時間走り続ければ、逆に体も暖まってしまうだろう。

 けれど、注意する気持ちにもなれない。

 本来なら、30分程度でクールダウンを済ませ、体を休めることを推奨するべきなんだろうが、うれしそうに走る選手達の顔を見ると、無理しているようには思えず、そのままにしておくべきだろうと思う。

 

 「しかし、どこにいるんだ?」

 「どうかしましたか?上杉監督?」

 

 後ろから、まだ声変わりが終わっていない、かん高い10代の少年らしい声が聞こえる。

 振り向くと、松葉杖を着きこちらに来る中町がいた。

 

 「こんな所にいて体は大丈夫なのか?」

 「ええ。大丈夫です。ゾーンを無意識に使ってしまったようで、けど使用時間が短かったから、そこまで体に負担はないです」

 「そうか。ところで花形を見なかったか?」

 「はながっちですか?あぁ見ましたよ。複合施設の前で」

 「わかった。有難う。お前も速く部屋に戻れよ。そろそろ寒くなってくる時間だ」

 「監督、冬で寒いのは当たり前ですよ」

 「まぁ、いい好きにしろ」

 

 中町が一礼すると、そのまま杖を着きながら施設を繋ぐ舗装された道を、歩いていく。

 それを見ながら、動かないと気持ちが落ち着かないのだろうと、自分もその場を離れる。

 グランドから10分程度歩くと、中町がいっていた複合施設に到着する。

 この施設は5階建てで、各フロアーに体を鍛える為の施設が存在する。一番上は筋トレを行う施設で、次にプール。そして体育館のようなフローリング施設でフットサルができるようになっており、次はロッククライミング、一番下はバッティングマシーンを改造したサッカー専用のマシーン施設となっている。

 エレベータで一番上から見ていき、3番目の体育館で花形を発見する。

 そこには大粒の汗をかきながら、30mダッシュを繰り返す花形の姿があった

 ここに着て彼の姿を見ていて何本目かのスタート位置からダッシュを開始した時、足がもつれて、前のめりにこける。

 上向きになりながら、大きく肩で息をする花形に声をかける。

 

 「どうした?もう終わりか?」

 「監督?」

 

 少し休んで落ち着いたのか、上半身を起こし、入り口前に立つ上杉を発見する。

 ふらふらと立ち上がり、不思議そうな顔で、頭をかきながら上杉に近づく。

 

 「いつからいたんですか?」

 「さっき着た所だ」

 「恥ずかしい所みられちゃいましたね」

 「大丈夫だ。安心しろ。お前の恥ずかしい姿なんて見飽きている」

 「ちょ!」

 

 冗談を言い合い、お互いに笑顔を見せると、花形が不思議そうにたずねる。

 

 「本当にどうしたんですか?」

 「何がだ?」

 「だって監督って、あまり選手と関わっている所見たことなくて」

 「・・・すまなかった」

 

 花形は上杉に急に謝られて、うん?どういう事という顔を向ける。

 

 「今日の試合。あの場面で交代させた事について俺なりに考えていた。本当は交代させるつもりはなかったのだが、チームの勝ちを優先した結果だ」

 「当然じゃないっすか」

 

 今度は上杉の顔が不思議そうな表情を浮かべる。

 

 「なぜ当然なんだ?」

 「はぁ?だって監督って勝つ事を一番に考えるプレイヤーでしょ?俺達は監督の考えたプランを実現する為のプレイヤー。役割がみんなにあって、監督はそのプレイヤーの仕事をまっとうしただけじゃないですか」

 「恨んでないのか?」

 「恨む?よくわかんないっすけど、そりゃ悔しくはありますけど、俺が監督のプランどおり動けなかった。恨むって事はないですよ」

 「選手としてのわがままは言ってもいいんだぞ」

 「選手としてのわがまま?」

 「チームが勝つためだけじゃなく、選手個人としてどこまでやれるか試してみたいということも悪いことじゃない」

 「そりゃそうっすけど、けど今はまだそんな選手じゃないと思ってます。もっとすげー選手になったら、わがままバンバン言わせてもらいますよ。そのために俺もっとうまくなりたいんです!」

 

 ニヤっと笑う花形にどこか救われた気持ちになった上杉は、花形の首をロックし、これからもっと厳しい練習メニューを組んでやるというのであった。

 

 ----------------------------------

 

 重林とゴールキーパー

 

 ドン。

 ドン。

 ボス。

 色んな音が聞こえるフロアー。複合施設1階にあるバッティングマシーンをサッカーボール専用に改造したマシーン施設。

 そこにはAチームGKゴールキーパー重林が立っていた。

 腕には無数のあざがあり、試合終了後、2時間みっちりここで汗を流していた。

 飛んでくるボールは、ストレートのみ。角度の調節はランダムで行われて飛んでくる。

 しかし、時速150~170キロまで設定でき、重林が設定したのはMAX170キロ。

 5号球のサッカーボールが170キロで飛んでくる迫力はなかなかのものであるが、重林はどんな角度飛んでくるボールに触れてはいる。

 たまに体に思いっきり当たってあざが出来てしまうが、それでも気にしない。痛い事は痛いのだが、慣れてしまっていた。毎日ここで170キロのボールを受け続けている。

 日ごろの練習の成果が出たのだろうか、今日の試合、ボールはよく見えていた。

 しかし、点数は取られてしまった。悔しくて仕方なかった。

 元チームメイトの中町から2点取られてしまい、ふがいない自分に腹が立つ。

 前半戦は自陣のほうが、2人も多く選手がいたにも関わらず、点を取られてしまった。ディフェンス陣を統括する能力、キーパーとしての資質。

 両方が足りていないせいだと、心が自分を許してくれない。

 試合が終わり気がついたら、ここに来ていた。

 時間なんて関係なく、ひたすらボールを受け続けている。

 とっくに疲れはピークを過ぎ、頭がぼぉーとする。

 しかし、それでも心が許してくれない。

 一瞬気を抜いた瞬間、顔面に綺麗にボールがヒットし、そのまま後ろに倒れ込む。

 意識がブラックアウトした。

 

 「サッカーをやってみませんか?」

 

 緑のスーツに怪しいサングラス。小柄の40代後半のおじさんが声をかけてきた。初めは正直、頭のおかしい人だと思ってしまったが、名刺を差し出され、いちようどこかの会社の人だとわかる。

 身元がわかった所で、怪しさが消えるわけでもなく、結構ですと断りを入れる。

 自分は今、野球に夢中でチャラいイメージのあるサッカーなんてやる気にすらなれない。

 高校で春の大会前の予選試合の事だった。

 7対3で負けてしまい、意気消沈で帰るところに急に声をかけられ、何をいっているんだ?馬鹿なのかと思った。

 サッカーなんて、中学校のクラブではいじめグループの人間が多く存在する、なんともいえない魔の巣窟だった。

 後輩をパシリに使い、女子マネージャーはいじめグループのリーダー格の少年と強引につき合わされ、女子サッカーも男子がそんなんだから、いじめグループに間接的に関わりあいをもった集団になっていた。

 本当に最悪のイメージしかない。

 野球部は、そんなサッカー部にグランドの3分の2をもっていかれ、小さく練習をしていた。時にはグランドの所有権で揉めた事もある。

 キャプテンだった俺は、学校側を何とか味方に、話あいの場を作ったが、実績があるサッカー部のほうが優位に話が進み、結果4分の3もグランドを取られてしまった。そんな状況で、部員数はどんどん減っていき最後には5人となって廃部。

 ほかに野球ができる所を探して、地域の振興会に参加したりした。

 野球が好きで、祖父も俺が練習で潰したバットなどを惜しみなく買ってくれたりして、支え続けてくれた。

 高校に入り、すぐに野球部に入部。

 玉拾いから始まると思いきや、11人と部員数も少なく先輩達を差し置いてレギュラー入りしてしまう。

 昔からキャッチャーとして、やってきており試合運びのリードはまあまあ出来ると思っている。

 しかし、部員数も少なく、闘争心がまったくない部活は期待していた野球人生とは程遠かった。

 練習試合は、どこかの会社の社員と行う草野球。対外で違う高校とやる事は少なく、今回公式戦で初めて、他校とやったのだが、結果は見ての通りである。

 ため息しか出てこない状況の中、夕日が赤く染まった帰り道、緑のスーツのおっさんの登場はなかなかインパクトはあったが、その話の内容は心引かれるものじゃない。これで、スポーツに力を入れている高校からのスカウトだったらよかったんだが、そんなに人生甘くないらしい。

 とりあえず、名刺をもらって家に帰り、親に変なおっさんに絡まれたことを話しておく。

 次の日学校帰りに、またおっさんに会う。

 

 「やぁ。考えてくれたかな?」

 「はぁ?考えるもなにも、断ったじゃないですか?あんまりしつこいと警察呼びますよ」

 

 これで引き下がるだろうと、思ったのだが、まったくそんな気配もなくフレンドリーに話かけてくるおっさんに拍子ぬけしてしまう。

 確かにスカウトをやっているような人間は、これぐらい図太くないといけないのかもしれないが、話を聞いているうちに根負けしてきて、最後には親と話しをしてみればと言ってしまった。

 

 「おお~~いいのかい?じゃあ一緒に話を聞いておいてね」

 「別に聞くだけならいいですけど」

 

 家に帰り、おっさんを両親と引き合わせる。

 目が痛くなるような緑のスーツとその存在の怪しさに母さんは引いていたが、タブレットと資料を持ち込み、おっさんのセールストークは冴え渡る。

 初めに食いつき始めたのは、さっきまで引いていた母さんだった。

 

 「あの~、本当に高校資格と、次の大学資格を取れて授業料は無料なんでしょうか?」

 「ええ。もちろんです。あまり大きな声ではいえませんが、あの有名企業グループの会長が出資しているクラブチームですので、安心してください」

 「しかし、どうして大成たいせいをそのサッカーのクラブチームに?」

 「はい!足腰の強さにほれました!」

 

 目を輝かせて、おっさんの語るべた褒めの俺に対する賛辞を両親はうれしそうに聞いており、完全におっさんのペースで話は進んでいく。

 外堀を埋めきったと感じたおっさんは次に本丸つまり俺に攻め込んでくる。

 

 「お父さん、お母さんは納得してくれたようだけど、どうだろうか?」

 「けどサッカーってチャラいですよね?」

 「確かに中学とかではそういうイメージもあるようだけど、本物のサッカーは違うよ」

 「本物?」

 「野球は確かに、日本国内ではメジャーだが、サッカーは世界にメジャーだ。世界に通用する選手達がチャラいわけないじゃないか」

 

 この時、あまりサッカーの事をよく知らない俺が持っているイメージはおっさんの言った通りだった。

 う~んと納得させられた部分があり、今まで悩む余地なんてないと思っていたが、この時初めて野球とサッカーを天秤にかける。

 もちろん野球に大きく天秤は傾いている。

 しかし、現状でいくとこのままではプロになれそうにない。

 やるからにはやっぱりプロを目指し、本気で取り組みたいと思っている。

 しかし、今日負けたことで春の大会はもう終わってしまった。

 夏までにいまのチームが強くなるなんて想像できない。

 悩んでいる俺を見て、絶妙のタイミングでおっさんは俺の、天秤を大きく傾ける事に成功する。

 

 「日の丸を背負ってみる気はないかい?」

 「ひ、日の丸?!」

 

 声が裏返る。

 何を言っているんだおっさんと正直思った。

 野球ではプロは意識した事はあったが、日本を背負う代表を意識した事はない。テレビで中継されるのは主にリーグ戦であり、日本代表戦はどちらかと言えば夜中にやっていて、目にする機会が少ない。盛り上がりは見せるのだが、なんだろう当たり前のように勝ってしまうからだろうか、シナリオが決められたショーを見ているようである。

 あまりマスコミが騒ぎすぎて、そう感じるだけなのかもしれない。しかし、たまに見るサッカー日本代表は違う。

 負けるのである。

 例え格下の相手とマスコミが言っていても、親善試合では勝っていても、ワールドカップ予選、負ける事もある。

 本気度というのだろうか?あの感覚は野球にはない。

 予選で負ければ、それまでの一発勝負。ひりついた空気の中で選手達はどう思っているのだろうか?負ければものすごいバッシング。海外で活躍する選手ですら、ゴールを決められないのである。

 そして思う。あの選手を使うから、監督は一体何をしているんだって。みんな、自分が監督になったつもりで、ネットの掲示板には多くの批判書き込みがあり、日本代表になることのメリットってなんなんだと思ったりする。

 そんな世界に入って日の丸を背負う?

 笑いがこみ上げてくる。

 やってみたい。本気の世界で戦ってみたい。

 バッシングされるかもしれない。いやどんな小さな事でもバッシングしてくる奴なんているだろう。それでもいい。

 今、自分が試される場所に行きたい。

 夢を見てしまった。青いユニフォーム。日の丸が描かれたシャツを着てピッチに立っている自分。

 そして、その扉の鍵を持ってきてくれたおっさん。

 話は終わったと、席を立ち資料だけが置かれて、後日連絡を待っているとの事だった。

 近所に住む祖父の家に、夕飯を食べ終わってから話をしにいく。

 

 「どうした?」

 「じいちゃん、あのさ」

 

 続きを言おうとするが、今まで野球をするのに支援してくれた祖父に申し訳なくなり、顔を下げてしまう。

 

 「お前がどんな世界に行こうとも、まっすぐ前を向けばええ。決めたんじゃろ、胸を張らんかい!」

 

 まだ何も話していないのに、祖父にはすべてわかったような顔で頷かれてしまった。

 

 「俺必ず日本代表となれる選手になって帰ってくる!」

 

 といって出発の日家族全員に手を振って、今がある。

 しかし、現状はどうだろうか?

 練習試合で、元2軍のGK御津島を抑えて、試合に出たのに点を入れられ、ふがいない自分が許せない。

 もっとうまくなりたい。

 気がつくと倒れたはずなのに、立ち上がっており周りにはボールが転がっている。

 

 「え?」

 

 すでにマシーンは止まっており、30球は転がっている。

 

 「これ全部俺が止めたの?」

 

 まったく記憶にない。自動で体が反応していたようだった。

 笑わずにはいられなかった。もうどうしようもなくサッカーが好きな自分がいる事に。

 

 ----------------------------------

 

 兄貴と俺

 

 試合が終わり、兄貴を探したが部屋にもいない。

 汗臭い自分が兄貴に対して失礼に当たると、自室に戻り、部屋のシャワーを使って汗を流す。

 自国では考えられない勢いよく出るシャワーに以前は驚かされたものだったが、最近は慣れてきて、この水圧の心地よさに満足している。

 頭から洗っていくために猫背になる。その背中には盛り上がる上質の筋肉。

 普段、小柄なのであまり気にされた事はないが、自分の体は意外と気に入っている。上半身は鍛え抜かれて、まるで肉弾戦を得意とするインファイターのようなボクサーの体をしており、特に背筋が鍛え抜かれてボコボコしている。

 下半身も水泳選手のような逆三角ではなく、太ももも陸上選手のような太く筋肉の繊維が密集している。

 小柄な自分がサッカーをしていくには、まずは体からだと、ユース時代より、ずっと筋トレをしてきて、その筋肉の鎧のせいで身長が伸びない可能性もトレーナーから指摘された事もある。

 それでも日課にしている腹筋、腕立て、スクワット500回を2セットはやらずにはいれない。

 初めは、10回程度しか出来なかったが、だんだん回数を増やしていくうちに今の回数になったのだが、トレーナーからは回数ではなく、筋肉を大きくする部分を意識する事が大切だと言われ、むしろ回数を多くすると、無意識にリミットが働き、体が自動的に楽な動きをするので無駄な運動をしている事になると教えられた。

 しかし、自分は無駄でもいいから、とにかく動きたい衝動が体を動かしていた。

 その原因は兄貴である。

 本当は合理的な鍛え方をしたほうがいいのは判っているが、それだけでは足りない気がする。

 無駄にあがく事も時には必要な気がして、自分なりを貫いている。

 今日はそれがいい方面に出たのではと思う。彼我が自分に付いてこれない場面があった。

 まだまだ彼我に兄貴を取られるわけにはいかない。

 兄貴の隣は自分が今まで守ってきた場所であり、ポッと出の日本人に負けるわけにはいかないのだ。

 兄貴との関わりを直接もったのはある事件がきっかけだった。

 同じユースクラブに所属しており、すでにレギュラーだった兄貴に対して、俺はベンチ外だった。

 正直、兄貴は雲の上の存在すぎて、嫌悪感があった。

 他の選手と関わる事がなくもくもくと練習を続け、それでも結果を出している事、高飛車にならず取り巻きを作らない孤高の存在に、惹かれている自分がいる事も認めている。

 この時は気がつかなかったが、好きすぎて意識するあまり嫌悪感に変わったのではと今の自分なら分析できる。

 ある日、練習が終わった帰りに前から金属を首や腕にぶらさげている、不良連中に、小柄な自分は獲物として絡まれてしまい、自慢の足を使って逃げるが、うまく誘導され、気がつくと逃げ場のない路地に移動させられていた。

 ナイフを取り出し金を要求してくる長身の男の、後ろから声がかかる。

 兄貴だった。

 男たちは初め、兄貴を睨みつけていたが、あのベニートだと気がつくと態度を変え、サインを要求し始める。

 このアルゼンチンという国はサッカー選手は英雄的な扱いを受けている。

 その中でも有力選手である兄貴は、テレビや雑誌でもユース選手として異例と言えるほど取り上げられており、この地域で知らない奴はいない。

 ため息をつきながらサインに応じ、アビラは自分の連れだが連れていっていいかというと、すぐに首を縦に振り、サインをもらった事で機嫌よく去っていく男たち。

 助けてもらった事にお礼を言うと、チームメイトだからと答えられ、急に涙が湧き出てくる。

 まさか兄貴がベンチ外の自分を知っている事に驚き、感動してあふれ出てくる。

 しかも、涙が収まるまで待ってくれて、初めて一緒にご飯を食べた。はっきり言ってその時何を話ししたのか覚えていない。すごい勢いで話かけていた気はするんだが、兄貴は特にいやな顔もせず、俺の話を聞いてくれていた。

 その日完全に打ち解けたと思ったのだが、次の日にはいつもどおりの兄貴に戻っており、もっと自分から彼に認められる存在にならないと誓う。

 そこから血のにじむような練習をして、レギュラーを獲得し、兄貴にむげにされながらもどこまででも着いていく決心をした。

 兄貴がこのクラブチームに来る事をいち早く知った自分もすぐに申請を行って、移籍する事になんのためらいもなかった。

 そんな兄貴が、彼我だけには心を許している。

 はっきり言って”げきおこぷんぷんまる”である。

 兄貴いわく、これが日本のスタンダードな怒り方らしい。まったくもって兄貴には関心する。短期間で日本語をマスターし、その文化にも深く精通している。

 俺も見習わなくては。

 兄貴という呼び名も、彼から教えてもらった。

 尊敬する人物を呼ぶ時にアニキーー!と呼ぶと。

 そうして初めて覚えた日本語がアニキだった。

 今では漢字も書ける。

 日本には書道という文化があり、俺も一筆書いてみた。

 もちろん”兄貴”である。

 大きく書かれた兄貴の文字が天井に貼り付けてあり、起きるとまず初めに挨拶をする。

 部屋の壁一面に張られた兄貴の等身大ポスター。そのポスターに今日も兄貴と絡めますようにと祈りをささげる。

 もっと俺はサッカーを上手くならないといけない。

 兄貴のそばにい続けるために。

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