第52話 ペナルティ
梯橋は不気味に、肩を震わせ小刻みに小さく笑っていた。ジュンの話もほとんど耳に入っていない。周りの解説室にいるスタッフから、不信な目で見られているが、まるで気にした様子はない。
ロスタイム。
ベニートのシュートがゴールネットに突き刺さった瞬間、梯橋は腹を抱え捻じ曲がるように体をくねらせ、大声で笑った。
「ね、ね!!言った通りでしょ!俺が言った通りのシナリオになった!!ぎゃはははは!」
馬鹿笑いを続ける梯橋に、ジュンが何かを言おうとした時、それを制して梯橋の前に立ちに低い声でディレクターが睨みつけながら言う。
「何がそんなに面白いのですか?」
言葉に怒気が含まれている事は周りのスタッフには明らかだった。彼が今まで、ここまで怒りをあらわにした事はない。仕事柄だろうか、彼があまり人に怒った話は聞いた事がなく、常に冷静で接する事を心がけている。その彼の怒りは体からにじみ出ており、今にも掴みかかろうとしているのを必死で自制しているようだった。
しかし、梯橋はそれすらも気づいた様子はなく、いまだにヒィーヒィーと笑いが止まらない。
ディレクターがもう一度言う。
「何がそんなに面白いのかと聞いている!」
ようやく、周りの雰囲気を察したのか梯橋の顔が少し青ざめるが、犬歯を見せながら、余裕を演じディレクターの顔を見る。
「だってこれって演出でしょ?」
「演出?」
「俺を騙してドッキリを仕掛ける為に仕組まれた演出だと言ってるんですよ。いつでもプラカードをもってドッキリって言ってもらっていいですよ。あ、すみません。演出の事ばらしちゃ~まずいんでしたっけ?」
「あなたが何を言っているのか、まったくわかりませんが、非情に不愉快な事をされているのはわかっておられますか?」
「はぁ?だからいつでもプラカードを・・」
「ふざけるな!!お前を騙すために何億というこの施設を借りている思っているのか?周りのスタッフの日当をお前一人騙すだけで出しているだと?貴様何様のつもりだ!!」
梯橋の胸倉を掴もうと、ディレクターが行動に出るが、周りのスタッフに止められる。
何事だ?!と黒い服を着た男たちが解説室に入ってきて、黒い服の男たちはディレクターを2人で止め、梯橋の前に無表情の広崎が立つ。
「着いてきて頂けますか?」
無言で梯橋は立ち上がり、広崎の後ろについて部屋を出る。この階にある塚元がいる執務室へと向かう。
コンコンと広崎が扉をノックし、どうぞと返事がされる。
「失礼します。梯橋様をお連れしました」
広崎が一礼し、顔を上げてからゆっくりと伝える。
部屋の主である塚元の手振りで、広崎が下がり、梯橋に高級ソファに座るように促す。
ソファに梯橋が掛けた所で、コンコンと扉がノックされ、そのまま扉が開けられると、黒のスーツを着た女性が英国風のティーセットを運んでくる。
そのまま梯橋は黙って、手際よく優雅に置かれていくカップに注がれるいい香りの紅茶に目を向けながら、塚元を見ることができない。
しかし、まだドッキリの範囲で自分を驚かせる為の演出が続いている事も否定できないと、楽観的な思考も残っていた。
「まず、あなたが考えるような俗物的な事は何一つないと、先に言っておきます」
塚元は用意された香りたつカップに口をつけ、のどを湿らせてから、現状をすべて把握しているかのようなセリフを言う。梯橋はカップを見ている視線をはずせなくなり、冷静な思考がうまれ、落ち着いた気持ちで状況を考えると、だんだんと顔色が白く変化していく。
「非常に私はあなたに落胆しました。日本サッカー協会から優秀な”コメンテーター”が来ると聞いて、喜ばしく思っていたのですが」
塚元の声色は優しいものだが、セリフ一つ一つからとげを感じ、梯橋の中で反骨心がよみがえる。
(こいつの、言葉はなんでこんなに俺の心をかき乱すんだ。いちいちカンに触る言い方しやがって)
歯を食いしばり、反論するきっかけを探す。
「我々もあなたに払っているお給料があります。それに似合ったプロとしての仕事をしていただかないと、決して金額は安くはないはずですよ」
「お言葉ですが、彼らのサッカーはおかしい」
「おかしい?」
「だってそうでしょ!あれは代表クラス、いやワールドカップクラスの選手の動きだ。そんな動きを16~7歳のガキどもにできるわ・・・・」
反論し始めた所から梯橋は塚元の顔いや目をしっかり見て、自分の考えが正しいと、戦う姿勢を見せるが、選手達をガキと言った時点で、その反骨心は失速する。
塚元の目が冷たくなり、瞳の奥の先にある心を覗かれている気分になる。そして、ぶつけられた冷気のような感情、怒気に梯橋の足は震えだす。
「汚らしい言葉で私の商品を汚さないで頂きたい」
商品と口には出しているが、そこには大きな慈しみのようなものが含まれており、それを汚した自分はこのままではすまない気分になる。
震えるのは足だけに留まらず、だんだん体も小刻みに震えだす。
(な、なんでだ!?俺が、こんなおっさんに怯えないといけないなんて)
必死で右手で右足、左手で左足を押さえ、下を向いて塚元の眼力から目をそらし、彼を心の中で侮辱する事で、自分の優位性を高めプライドを呼び起こしていく。
はぁとため息を吐きながら、塚元は、出来の悪い生徒を見るような目で見ながら、梯橋に声をかける。
「彼らがワールドカップクラスですか。そんな簡単な世界ならよかったのですが、私達が普段目にする海外クラブでの試合は、そんなに簡単に見えますか?」
「どういうことですか?」
「海外選手達のサッカーが、レグルスの選手達と同じように見えるのは、そこにいる選手達全員が、ハイレベルな位置にあり、同等レベルの選手同士が戦っているから、簡単に見えるといっているんですよ」
「ん?つまり・・・?」
「レグルスの選手達は、まだ井の中の蛙でしかない。自分達が同等のレベルで、同じ高さにいるせいで、上手くやれていると勘違いしている。来年から外に出て試合をすれば、その違いははっきりしてくるでしょう」
「しかし、ベニート達アルゼンチン人と十分戦えています」
「もちろん、ここにいる日本人選手達が努力で手に入れた物も多くありますが、まだまだ、彼らについていける日本人選手は少ない」
「そんな事を、信じれるわけがない。彼らに直接会って話がしたい!」
梯橋は話の流れを掴み、自分の役目だった情報収集の話を持ち出す。
右手を顔に当て、考えるように目をつぶる塚元は、もう一度ため息をつき、顔を縦に振る。
「わかりました。ただ、今は無理です。次の試合が決まっており、その試合後にインタビューとして選手との面会を許可します。それと、彼らの動きを肌で感じて頂くため、グランドに設置してあります解説室でコメントを当てていただきますので」
塚元の言葉に、わからないように細笑む。
「わかりました」
「後、今回の件で、コメンテーターとしての仕事を放棄した事に対するペナルティとして、給料を2ヶ月分カットいたします」
「わ、わかりました」
非常に痛いペナルティだが、それぐらいですんだ事にほっとする。
ペナルティに対する書面を用意されサインを入れると、挨拶をして梯橋は執務室を後にする。
彼が出て、程なくコンコンと扉を叩く音が聞こえる。塚元は自身の机の書類に手を付けなら返事をし、扉が開かれる。
黒服の男、広崎が一礼をして部屋に入ってくる。
「彼はもうだめだな。次の試合までに色々動くだろう。証拠は押さえておいてくれ」
「わかりました」
「もっと、楽しませてくれると思っていたのだが、拍子抜けだな」
「塚元様のお目も外れる事があるのですね」
「言うじゃないか。興味のない人間に対してはどうでも良くてな。お前も私に興味がもたれなくならないよう、楽しませてくれ」
「仕事はさせていただきますが、その要望にはお答えしかねます」
「わはははっはははは。それで十分だ」
うれしそうに笑うクライアントに一礼して去っていく。
執務室を出て、広崎は腸が煮えくりかえっていた。もちろん塚本にではなく、梯橋に対してである。
実は広崎は、このクラブチームのファンだった。
毎日、練習に明け暮れる少年達を見て、クライアントの依頼以外にも、自身の仕事に対して、きっちりサポートする事を自分に誓っていた。
そんな思いを汚された気分になり、梯橋に対して嫌悪感しかなく、必ず証拠をすべて押さえ、最後にこの気持ちに対する報いを受けさせると誓うのであった。