第48話 練習試合 13対11 その3
「え?」
フィールドにいた選手達の顔が一点に集中する。BチームのSMF(右)を勤めていたセサルの足元。ただボールがあるだけなのだが、何度も繰り返した彼我の無駄に思えたパスが通ったのである。
(このタイミングか。なかなかにシビアすぎる。これがあのベニートに認められた日本人か)
サセルはボールを受けた瞬間に色んな思いが噴出していた。
このFCレグルスに来る前で、ベニートと同じクラブチームでユース選手としてがんばっていたが、ベンチを暖める事や、ベンチ外戦力として試合にはなかなか出る機会がなかった。
アルゼンチンはサッカー大国と言われるだけあって選手層が非常に厚い。
ちょっとサッカーがうまいだけでは、試合に出る事はできないのである。いつも遅くまで練習をしているのに、試合に出る事はできない。
子供の頃、5人兄弟の4番目で一番上の兄とは10歳離れており、親の仕事を手伝って稼ぎ頭としてやっていた。
そのせいで兄弟の中で序列が出来上がっており、4番目の自分に親が何かしてくれるような事はなかったのである。
そんな時、お小遣いがほしくてやり始めたのが、賭けサッカー。
まだ小さいながらも軽いフットワークを生かし、シュートを決めるストライカーというより、中盤で相手をかき回すサイドプレイヤーとして片鱗を見せていた。
子供ながらうまくやれていると、親をどうにか説得し近くのクラブチームに入団させてもらった。
しかし現実はそんなに甘くなく、入団した当初は、親にお金を使わせてしまった事に対する後悔と、まだ自分はサッカーが上手くなるはずだという希望が入り混じった少年特有の不安定なものになっていた。
そんな不安定な状況だったが、同年代のある少年を見て歯を食いしばり、必死で追い着きたくて練習に打ち込んだ。
ただ、初めからこいつには勝てないだろうと、直感はしていた。
ベニート・ミロ。
すばやいドリブル、振り抜きが速くキレのあるシュート、野性的な闘争心。
そのプレイスタイルに同じ歳でありながら憧れてしまったのである。
しかしベニートは昔から、無口でプライベートではあまり仲間達と接しようとしないし、サッカーのことを聞いても自分で何とかしろと言われるだけである。
そっけない態度だったが、逆に王者の貫禄だと思われて人気はうなぎのぼり。
サセルは絶対手の届かない存在だと感じていた。
15歳のある日、近い将来ベニートはユースからトップチームでプレイする事になるだろうと噂が”本格的”に立ち始めていた。
13歳の頃から聞き飽きた、その噂は年齢が上がるにつれて本気度をましていき、ユースメンバーではいつトップに行くのだろうと賭けの対象になるほどだった。
しかし、その期待は思わぬ形で裏切られる。
ベニートが、よくわからないクラブチームに移籍すると発表があったのである。
チームメンバーの顔が、なんともいえない度肝を抜かれた顔をしていたのを今でも覚えている。もちろん自分もその中にいたのだが。
そして、自分達にもそのクラブチームに移籍するか話が来たのである。
すでに親からは今年結果が出なかった時は、サッカーのことを考えてほしいと言われていた。
援助してもらっていて、3番目の兄が大学に行く話になってお金がいるとの事だった。
自分の中でも、ここ何ヶ月も試合に出ておらず潮時を感じていた時に、親からの一言。泣きながら走って気がついたら海岸で叫んでいた。
泣いている事に、まだ諦めきれない、たらたらな未練を海に吐き出した。
サッカーがしたい。
その一心でどこにあるかもわからないクラブチームの移籍に名乗りをあげた。
「俺そこに行きます」
資料を見せてもらって、初めはだまされているのかと思うほど、条件が驚くほどよかった。
公式戦に出てもいないのに練習試合で金がもらえる。サッカーだけに専念できる環境。自分を取り巻く友人たちなどからのプレッシャーはなく、ただひたすら向き合うのはサッカーと自分自身だけ。
サッカー選手としては、まるで夢のような世界だった。
旅立つ前の空港には、誰も見送りはいない。
チケットを手にゲートを潜ろうとした時。
「サセル!!体には気をつけて!!」
母が立っていた。
今まで、甘えた事なんてなかった。記憶にある一番甘えた事はサッカーをさせてほしいと頼んだ時ぐらいだ。
上の兄弟の学費などの面倒と、まだ幼い5番目の弟を母は面倒を見ないといけなかった。
生きていく事に必死なだけの母に近すぎたせいで気づかず、自分は愛されていないのだろうかと、涙した夜もある。
そんな母が今は、自分を心配して手を振っている。
自分だけを見てくれている。
それだけを胸に今このフィールドにいる。
負けるわけには行かない。誰であろうともあの憧れだったベニートにも!
「うぉおおおおおおおおお!!!」
猛然とドリブルで駆け上がっていくサセルを止めに入るディフェンダー。
柔らかいタッチと瞬間的なボールコントロールで抜きさる。
今ならドリブルテクニックだけならベニートにすら負ける気はしない。次に立ちはだかるディフェンダーの股をボールが抜いていく。
25Mほどだろうか、一瞬ゴールラインが見える。ここでシュートを撃てば狙える。シュート体勢に入ったサセルにスライディングで詰め寄る新たなディフェンダーをシュート体勢はフェイントで交わし、ゴールラインまで一気に駆け上がる。
またゴール付近、味方と、敵が入り混じりゴールキーパーがこっちに近づいているのを見て、グランダーのスルーパス。
ボールを受けたのはゴール中央で待っていた中町だった。
後は無人のゴールに突き刺さるボールを眺めているだけ。
オフサイドはなくゴールコールが宣言される。
「よっしゃーーーーーー!!」
1アシスト。
サセルは久々のゴールに絡むシーンを演出できて雄たけびを上げる。
抱きついてくる中町を受け、本当に喜びを分かち合う。
日本人だからとかアルゼンチン人だからとはいう、蟠りはそこにはない。ただただうれしさを、体を使って表現しないと頭がどうにかなりそうだった。
センターラインからリスタート。
ベニートから花形にボールが渡され、後ろにボールを回した時にはすでに、彼我、Bチームのメンバー全員が押し上げてきていた。
花形からボールを受けたシジネイだったが、受けた瞬間には彼我につめられており、彼我の気迫のスライディングでボールを奪われる。
すばやく起き上がった彼我は、また開いている無人のスペースを狙ってボールを出す。
そこには、さっきまで無人だったスペースのはずなのにサセルの姿が。
Aチームは慌てて守備を整えるが、サセルから上手くリターンを受けた彼我が、今度は左の開いているスペースにスルーパスを流す。
走りこんできた箕河が何とか足を伸ばしてギリギリでボールを受ける。
(サセルだけにかっこいい所、もっていかれるかよ!)
少しバランスを崩したせいで体を戻す際、その一瞬でディフェンダーに詰め寄られる。ボールの競り合いになり、AチームのDMF(左)セルディアにボールを奪われてしまう。
前線にセルディアがボールを蹴り込み、アビラに渡る直前、BチームのDMFアーロンに掠め取られてしまう。
悔しそうに顔をゆがませるアビラを置いて駆け上がっていき、彼我にパス。
彼我に詰め寄ろうとする2人のディフェンダーをあざ笑うかのように、ワンタッチで鋭いパスを流し、ボールをサセルに渡す。
もちろん、ギリギリのパスを受けているサセルとしても余裕はないが、顔はニヤニヤが止まらない。
(アドレナリンが止まらない!こんなに楽しいサッカーは始めてだ!!)
加速していくBチームの動きにAチームはギアがなかなか上がらない。
それでもどうにか45分、残りはロスタイムだけとなっていた。
猛攻を仕掛けるBチームに対して、Aチームは後手に回り守備だけで精一杯の状況。ベニートですら守備に回り、ボールを奪えば前線に走り、また奪われて守備とハードワークを続けている。
ロスタイムの表示は3分。
現在、ボールを持っているのは彼我。サセルをチラッと見る。手を上げてボールを要求している。
ボールをサセルに蹴ろうとした瞬間、ベニートが大声を上げる。
「それはダミーだ!!!狙いはそっちじゃない!!!」
珍しくベニートが試合中大声を上げるが、すでにAチームのディフェンス陣の意識は散々かき回されたサセルにいっている。
開いた前のスペースに彼我のスルーパスが送り込まれる。
BチームのOMF大河が待っていた。
「ご苦労!」
えらそうな口ぶりを吐きながら笑いが止まらない。
ほぼディフェンスが前にいない状態で、こっちは3人。
ゴールを決めて当たり前の状況の中、武者震いと共に、目の前からものすごい情報圧が押し寄せてくる。
Aチームゴールキーパー重林からである。離れた場所にいるはずなのに、目の前に立たれて睨まれているような、ものすごいプレッシャーを感じる。
思わず生唾を飲み込みながら、飲まれるな!と活を心に入れ、ドリブルで駆け上がっていく。
正面に一人、AチームのCB(中)片磐が、中町のマークにCB(右)下市が着いている。
フリーなのは右で待っているアルバート。しかし、大河がパスしたのは中町だった。
ボールを受けたと思った瞬間、中町が消える。
マークしていた下市は、何が起こったのか理解できない。
(中町の体が、俺の体をすり抜けた!?)
誰の目にもそう見えた。
すぅ~とまるで幽霊が、壁を抜けていくように中町の体がすり抜けたように見えたのだ。
「まずい!」
ベニートは何かに気がついたようだったが、自分がいる位置からではもう間に合わない。
重林が中町と1対1になり構えを取る。中町がボールを振りぬきシュートを放つ。強烈なシュートだったが、まっすぐこっちに向かってくるボールに警戒した様子もなく、取れると核心していた。
(取った!)
しかしボールはゴールの中に吸い込まれていた。
ボールは重林が構えた両手にインパクトを伝える瞬間、消えてなくなり下からバン!という音が聞こえると、今度は後ろから音が聞こえてきた。
「「ドライブシュート」」
何人かが口を揃えて、言葉に出す。
ただあんな落差のあるドライブシュートは漫画でぐらいでしか見たことがない。
ベニートがボールをセンターサークルに運び終えると、誰もがまだ試合が続いている事を自覚する。
リスタートと同時に笛が吹かれて、前半戦終了。
0対2でBチームが先制して試合を折り返す事になった。