第31話 プライド
「どういうことですか?!」
テレビ電話の画面の前に座る、60代ぐらいの男性に、多田川は大きな声を上げる。
この場所には彼と目の前に置かれたテレビ電話の画面しかない。
つい15分前に、施設の係員から電話がかかってきていると話を受け、この個室につれてきてもらった。
係員は、扉の前で待つとの事で、多田川が席に着くと、60代の男性が画面に浮かんできた。
軽く挨拶を交わし、10分後、今の多田川の声が部屋に響く。
ここは防音になっていると話を受けていたので、気にする必要はないが、それでも大きな声を上げてしまった事に、冷静さをなくしているなと感じた多田川は一旦自分を落ち着ける為、ため息を吐く。
「ふむ、君は反対だというのかね?」
「当たり前です。最後の試合を放棄して、日本に帰国だなんて」
「さっきも言ったが、前の2試合を見せてもらった。このままでは我々の威厳に関わる問題だと思うが?」
「威厳?」
前2試合に負け、ここのクラブチームの実態を知って、いまさら慌てて体裁を整えようとする日本サッカー協会のお偉いさんに、コメカミが怒りで痛くなる。
目の前のお偉いさんの考えは、たかが1年未満の出来立てのクラブチームに何ができるかと侮って、意気揚々とこの場に乗り込み、ボコボコにされたら泣いて逃げ帰るというのである。
しかも、最後の試合に出ずに、”完全な敗北”をなくす為に。
胸の奥が熱くならずにはいられなかった。
「お言葉ですが、あなた達が彼らを侮って、我々に情報を流さなかった事も今の原因になっていると思いますが?」
「では情報を流せば君たちは彼らに勝てたと思うのかね?」
多田川の言葉の揚げ足を取って、話を優位に保とうとする事は想像できていたが、これに対する答えは用意できていない。
しかし、この場で答えを返さないと、選手達に申し訳ないように思え自信を持った顔で多田川は答えた。
「もちろんです。我々が負ける可能性はぐっと低くなっていたはずです」
「私にはそう思えないのだがね」
相手は反論されて、自分の非を認めようとしない”大人のプライド”が言葉に含まれているが、前2試合を見ているので、それでも確信をもって否定を吐いている。
多田川のもって行きたい話しは、相手の”非”を認めさせる事ではない。
今、問題なのは、これからの事”相手からどうやって試合をやめさせる事を撤回させるか”である。
自分から進言したのでは、相手の”非”と自分の”我”がうまくすり返られ、話が湾曲して、すべてが自分の責任となりえる可能性が高い。
確かに、自分の中にも”侮っていた事に対する非”はあったが、すべての責任をかぶるのは、馬鹿げている。
目の前のおっさんの都合に合わせて、責任だけかぶるのは多田川にはありえないという気持ちだった。
「今の現代社会、情報は武器です。その武器を提供していただけなかった事はあなた方が彼らをいかに軽視していたかと言うことでしょう?」
この言葉に画面の男性は、少し顔をしかめて、投げやり気味に話を続ける。
「なるほど。それで多田川君はどうしたいのかね?」
「最後まで、やらせて頂きたいと考えています」
「負ける可能性がある試合だが、それで選手達が怪我でもしたらどうするのかね?」
「試合をすれば怪我をするのは、どの試合でも同じです。我々だけが怪我をするリスクを背負うわけではありません。相手チームだってそのリスクはあるのです。それに次の試合で負けたとしても、新しい何かに繋がるモノを彼らが手に入れられるはずです」
「繋がるモノとは?」
「”プライド”です。勝つだけがプライドを手に入れられる方法ではありません。負ける事で得られる悔しさ、もっと上にと言う気持ちから生まれる力、そういった負のファクターから生まれるプライドも又存在し、我々はここで負けていく中で、それらを強く感じています」
「ではそれは次のU-17アジアカップの成果に繋がるファクターになるのかね?」
「それは自信を持っていえます」
「アジアカップで結果が出なかった時は・・・」
「監督を辞退させていただきます。契約もありますが、あなた方のいい分でほぼ決定してもらってもいいです」
といいながら、多田川はあれ?やばい事を口走っていると思っているのだが、もう口に出してしまったので、後悔を顔に出さないように必死で顔を作っていた。
「そこまで言うのだ。わかった。この件はなかった事とし、次の試合に備えてくれたまえ」
画面が切れると、多田川はやられたという気持ちだった。
ようは、表に出る国際試合アジアカップで負けた時の言い訳を裏で作っておきたかったのだ。
結果が出ず、責任の所在になった時に監督である多田川だけに押し付けて、辞任してもらう事で世間の体裁を作り上げる。
そのシナリオを作られてしまったわけだ。
しかも、今回の負け試合が続いた状態でのU-17メンバーの精神面も考慮し、アジアカップで高確率で負ける事を前提に相手は考えている。
すべてがうっとうしい。
相手は自分達では責任を取ろうとしない。
簡単に切れる所に責任を押し付けて、トカゲの尻尾切りを行う。
腐っている。
しかし、その腐った組織に自分もいることが非常に悔しい。
武田、上杉のやっている事は、その腐った組織への反攻。
ずっと先を考えると、ここのクラブチームの選手はかなり厳しい立場になるだろう。
(俺がそれを考えても仕方ない事だ)
多田川は席を立ち、部屋を出る。
扉の前で待っていた係員に先導されて自室に戻る。
今日はこの後、13時からチーム練習を行い、最後の調整に入らないといけない。
まだ、スタメンをどうするか決めかねている。
昨日試合終了後の、個人練習を見ている限り、試合後だというのに全員がすごく肩の力が抜けいい動きをしていた。
昨日の試合ではまだ自分達が格上だという気持ちがあったようだったが、負けた後からチャレンジャーとして目が燃えていた。
本来彼らの動きは、そこから生まれるチャレンジ精神が力である。
自分達が格上と思った時点で、相手を侮り途端に動きが悪くなる。
レギュラーチームとの試合だが、期待感はある。
これまでのように一方的な試合展開にはならないだろう。
一番の懸念点はやはり、ベニートか。
彼は別格だ。
アルゼンチンユース代表として活躍。
しかしここにいるということは、その立場を蹴ってここにいるはず。
次に、小田がレギュラーチームを率いているという事。
8年前ワールドカップ監督選びで、日本代表の監督に選出されていたという話が連日テレビで報道されていた。
ただ世界レベルの監督としての実績がまだ未知数だった小田はこの選考から外れる。
しかし、その後、ドイツなどでチームを優勝に導いては転々とし、4年前のワールドカップで今度こそ監督にって話が出たが、自らその選出を辞退している。
理由は不明。
2年前から姿を消し、現在はこのよくわからないクラブチームの監督として、自分の前に立ちはだかっている。
4年前のワールドカップ前、小田がどこかのテレビで一度インタビューに答えていた事を思い出す。
「日本にワールドカップトロフィをもたらすのが私の仕事です」
このとき、日本代表監督でも何でもなかった小田の発言は日本サッカー協会に対するアピールだと言われていた。
しかし、代表監督を辞退しこの発言は一体なんだったのかと疑問視されていた。
プレイヤー時代も多くのなぞ発言をしており、彼を理解できる人間はどれほどいるのだろうか?
多田川にもまったくつかめない人物である。
「こんな所で監督をやらずとも、他のクラブチームで引く手あまただろうに」
多田川から愚痴に近い言葉が漏れる。
実際、小田は監督としては異例の契約金で監督をしていると聞いたことがある。
安いのである。
彼のプランを十分に理解し、実行できるクラブチームであれば、どんな過酷な環境であれ、その依頼を受けるという話だった。
彼の要求を満たせるのが、上位リーグのチームだけだったせいで、下位のクラブチームに所属する事はなかったが。
今は海外から日本代表監督を選んでいるが、いずれ日本人が代表監督として、選ばれる事になれば、必ず小田の名前が挙がるだろう。
彼が辞退したとしても周りが、求めるはずだ。
「俺もそんな監督になってみたいものだ」
日本サッカー協会の、おっさんと責任の押し付け合いをするより、そんな不当な力にも負けない世間が後押ししてくれるような、監督を目指したい。
そのためにも、次の試合勝たなければ。