第26話 ユースとの試合 2軍編 その3
2軍選手達が控え室に入ると、急にざわめきが起こる。
中町が入り口に入ろうとした時、急に膝を付き青白い顔で懸命に意識を保とうとしていた。
「大丈夫か中町?!」
皆口が駆け寄ると、体を小刻みに震わせ必死でそれを抑えている。
上杉も駆け寄り、中町の症状を確認しようと肩に手を置く瞬間に声をかけられる。
「待て、今は触るな」
入り口を出た廊下から声が聞こえそちらのほうを向くと、3軍の監督、武田が立っていた。
「ゾーンを使って、体が悲鳴を上げているんだ。出来ればタンカーを用意して保健室に連れて行ったほうがいい」
「わかった」
武田の指示で、上杉は控え室ある連絡用の電話の受話器を取り、タンカーを用意させる。
救急班がすぐにやってきて、中町を載せたタンカーが保健室に向かう。
「俺が着いていってやるから、お前は中町の変わりになる控え選手の選別でもしていろ。状態は後で連絡してやる」
言葉は汚いが、上杉は今はその言葉に甘えて、選手達を落ち着けるように務める。
本来交代の予定はなかったが、中町の急な体調不良により、彼の変わりを花形が勤める事になった。
上杉は元2軍ですぐにチームとして機能する選手を起用した。
彼以外を選ぶことも少しは頭をよぎったが、武田がどう選手育成をしているのか、自分との比較を感じるいい機会だと思った。
保健室に向かった中町と武田は、例の女医?の診断を受けて、鎮痛剤を投与してから今日一日は絶対安静という話になった。
ベットに横になった中町は何か悔しさがこみ上げているのか、肩を震わせて武田がいる逆のほうを向いて泣いていた。
「中町、お前が何を悲しんでいるのか俺にはわからんのだが」
大体わかってはいたのだが、中町の気持ちを察してはいたがあえてわからないと、武田は口にした。
「ぼ、ぼくはこの試合最後まで出るべきでした。でないと誰も僕を評価してくれないし、2軍で選手交代をしたのは僕だけです」
「そうか。正直俺はうれしかったぜ」
「え?」
中町は武田から意外な言葉をかけられて、武田のほうを向く。
顔が涙でぐしゃぐしゃになっていたが、気にした様子もなく、武田の次の言葉に期待していた。
「ゾーンって言葉を知っているか?」
「ゾーンですか?始めて聞きます。」
「アスリートの間で、究極の集中力、究極の自己暗示とも言われている状態だ」
武田の言葉をかみ締めるように聞き入りながら、次の言葉を待つ。
「まあ、ゾーンって奴がタダの集中力じゃない事はお前が体験したはずだ。自分では自覚はないだろうが、フィジカル能力が飛躍的に上がり、そのフィジカルと集中力が一緒になることで、まるで周りが止まったように見えたり、誰もいない真っ白な世界が見えたりする。」
「じゃあ、僕はそれを体験したから、こうなってしまったのですか?」
「そうだ。人間常に運動する際に理性によるリミッターをつけて行動している。しかし、体を鍛えていく過程で、体に合わせてリミッターも少しずつ開放していけるようになるんだが、それでもリミッターの全開放までには行くことができない」
「前に催眠術で10円玉を折り曲げている女性がいたのを見たことがあります。たしかアレも精神リミッターを開放したと言っていました」
「実際俺もアレは見たが、やったことがないのでそこまではわからん。けどゾーンはそういうモノだと思えばいい。そして無理やりはずされたリミッターを開放した体は自分が思っている以上の運動を行い、付いていけなくなる。現在のお前のような状態だ。むしろ45分間、動けていた事に驚きだ」
「前半出ている時はまったく体の状態が気にならなかったんです」
「ゾーンを使っていた時間が短かったおかげと、俺に鍛えられていたおかげだな」
「ふふ、いててて」
武田の言葉につい笑いが出てしまうが、体がその笑い声に反応してギシギシと音を立てるように痛い。
「ちなみにお前が体験したゾーンは俺が見る所、5%ほどだ」
「5%ですか?”究極”なんですよね?」
「ぶちゃけさ、100%開放した時点で多分人間は死ぬ。まあ、それも100%開放できる奴はこの世にいないんだがな。絶対に脳がそれを拒否する。人間は精神異常をきたさない限り、自殺はできないようになっている」
「たった5%で、僕はこの状態というわけですか?」
「たった5%といったが、まずゾーンに入れる人間がどれだけいるかだ?」
「え?」
武田の言葉に意外感を覚えて、疑問の声が上がる。
「どんなに鍛えようが、どんなに年を重ねようが、天分の才がなければゾーンに入る事ができない。レギュラーチームの小田監督も、上杉ですらゾーンは体験したことがないんだとよ」
「その言い方だと武田監督はあるんですね」
「俺を誰だと思ってるんだ。あるに決まってるだろう」
(決まってるんだ)
思わず笑ってしまいそうになるが、さっきの体のきしみを思い出すとなんとか笑いをこらえる。
「前に話をしたことがあると思うが、俺はチームでかなり浮いた存在だった。練習は一緒にやるんだが、つまはじきモノでさ、それでも結果を上げて監督が俺を使わざる得ない状況を作ってやったのさ。ゾーンを使ってな」
「じゃあ、武田監督は常にゾーンが使えるのですか?」
「今はムリだが、当時あることをして精神統一をすると2%ほどだがゾーンを開放できるようになっていた」
「あることですか?」
「試合前に自室でシャワーを浴びるんだよ」
「はい?」
「滝行ってあるだろ?あれをまねして精神を集中していくんだ」
「それだけでゾーンに入れるんですか?」
「始めはなかなか難しかったけどな。継続は力なりっていうじゃないか。それに俺思い込み激しいし」
武田の話を聞いていて、この人、人間か?と疑いたくなる。
中町自身どうやってゾーンに入ったのかまったく判らない。
試合前何か思い込んでいたように思えるのだが、何を思い悩んでいたのか忘れてしまっていた。
チームのみんなに結果を見せ付けると意気込んでいたことが原因なのか?
いや、それは違うような気がする。
それなら、もっと早くゾーンを体験していてもおかしくない。
レギュラーチームとの試合のほうが今よりもっと集中していた気がする。
じゃあ、武田のいうような精神統一をしたのかといえばそれも違う。
どちらかといえば”思い悩んだ事”が原因だと思う。
何か引っかかりはあるんだが、なかなか思い出せないままで、武田の話は続いていた。
「でだ、俺の才能が爆発してしまってだ。チームに貢献できたわけだが、なぜ2%でゾーンの開放を留めていたかわかるか?」
「体の負担ですか?」
「そうだ。俺も始めゾーンを開放したとき5%以上開放してしまって、前半に3点入れて30分には途中交代していた。もう体がばらばらになるような感覚で病院に直行。もう少しで筋肉が断裂してしまって、サッカー生活が送れなくなるところだった。しかし、一度ゾーンを味わってしまうと、中毒に近い状態になる。またあの感覚を、まだ上があるのか?など色々試してみた。」
「武田監督うれしそうですね」
「そりゃな、俺の気持ちをわかってくれる奴がようやく現れたんだ。色々教えてやりたい。がお前は2軍の選手だ。俺はまじ悔しい。お前を育てる役目は俺じゃなく上杉なんだよな。だがまってな、すぐに俺が2軍に上がってだなお前を鍛えてやるさ」
まるで子供が新しいおもちゃを手に入れたように笑う武田を見て、中町は少しほっとする。
自分が必要とされないんじゃないかと心配していたから。
話がひと段落した時に、タイミングよく後ろから女性の声がかかる。
「たけちゃん。そろそろ、患者さんを寝かせてあげないと」
「おっとそうだった。興奮して色々話してしまったな。ま、何でも聞きに来い。俺の持ってる知識を叩き込んでやるぜ」
保健室を出て行く武田に、お礼をいい、中町はそのまま目を閉じる。
武田はこの事を、すでにグランドに出て待っていた上杉に伝える。
「そうか、やはりアレはゾーンだったか」
「間違いないな。俺の時と症状が似ている。しかし中町が次にゾーンを使えるかはわからん」
「どういうことだ?」
「ゾーン使用者には2種類いてる。あいつには心配させたくなくて言わなかったが。俺みたいな”ゾーンをものにしてやろう”というタイプと”恐怖を覚えて”しまうタイプだ」
「恐怖か・・・。」
「だってそうだろ?体が壊れていくんだ。コントロールができないと選手生命が急激に削られていく。しかしそれでもあいつにもいったが中毒を起こしてどうしても使いたくなる。優秀な選手が20代前半で何人かそれで選手生命を絶っている」
「恐怖の中に快楽が待っているのか」
「そういうオカルティックなのってさ外人好きだろ?」
「それはお前の偏見だ」
「そうか?」
「しかし恐怖が体を支配するとゾーンを使えなくなってしまうのか?」
「可能性はある。体が壊れていく恐怖は想像する以上に深刻だ」
「後は中町次第と言うことか」
ゾーンの話が一旦切れ、武田は別の話を振る。
「後半戦、U-17もそろそろエンジンかかってくるぜ。前半の最後はいい動きだった。俺らとやった時はまだ体がここの環境になじんでいなかっただけだ。腐ってもあいつらは”日本代表”だ」
「腐ってもって、彼らは腐っていないさ。今日は彼らは4点取られていても目に絶望は感じていない。何か秘策があるのだろう。しかし、秘策をもっていたとしても絶望を再度私達が植えつけるさ」
「期待しているぜ」