水晶玉の力 前
「もう未来を見るのは飽きてしまったんですよ、お客さん貰ってくださいよ」
占い師が俺に水晶玉を押し付けようとしている。それは警察官が俺たちの身元を確認し、去っていった後だった。予言通り発見され、一度は警察官の手に触れたマイルドセブンが俺のポケットに再び戻っている。
「本物……なんですよね?」
「二度も当てられて疑うなんて……。そうだ、お客さんがやってみます?」
そう言って占い師は水晶玉を俺に手渡した。それをおずおずと受け取り、半信半疑ながらも覗き込む。
「見たい未来の時間や場所、人を言うんです」
簡単でしょう? 占い師の顔を見れば茶目っ気たっぷりにそう書いてあった。
もしもの話だ。もしもこの水晶玉は未来を見られる道具だとして……。
「……お金ならありませんよ?」
「もう、無料ですよ。あ、それお客さんの物にしちゃって良いですからね」
どうあっても俺に押し付ける気なのか。未来が見えるのならば、見す見す手放す理由がない訳だが。
「……俺の物。じゃあ、この水晶玉を持ち帰って俺はどんな事をしているか映してくれ」
正直ここまで来ればやけくそだった。勿論自称占い師の言葉を鵜呑みにしたわけではないが、無視できない結果が発生したことは事実なのだ。
俺が言い終えると突然水晶玉が白光しだす。まばゆい光は間もなく周囲を侵食し、その光に一瞬俺は視力を失い、目を閉じてしまった。
「くっ」
目の奥でじんじんと痛む感覚をなんとか耐えて瞼を開くと、目の前には水晶を持ち、呆然とする自分の姿が映っていた。
「ん?」
周りは……間違いなく俺の部屋だ、六畳の間取りにガラステーブル、足の低いベッドがある。そしてその上に俺がいる。あの短い黒髪も、少し狭い肩も間違いなく俺の姿だ。
俺の部屋に俺がいて……それを俺が横で見ていて……くそ! ややこしいがこれではっきりした。
どういう理屈にしろ、これは数分後の俺なのだろう。しかしこれは一体何をやっている? まるで水晶玉に言葉を投げかけた時の占い師のような……。
「ははは! 間違いなく本物だ!」
突如、目の前の俺は水晶玉を掲げ喜び勇んでいた。俺ってあんな声してたのか……、体の外側から聞く自分の声は初めて聞くような、それでいて聞きなれた声のような奇妙な感覚に陥らせる。
「そうだ、今俺が横で見てるんだよな? おい、俺。この水晶玉は本物だ、絶対に貰えよ」
俺の視線が俺に向けられるがはっきりと目が合うわけではなかった。しかし、目の前の自分というのもなんとも奇妙だ。鏡に映った俺とは少し顔が違うのはきっと左右が逆だからだろう。
「俺が俺に話しかけている……」
「これの面白いところはな、未来の場面に自分が入り込んでいるんだ。しかし、それは誰にも知覚されない」
知覚されない? こいつは一人で俺がこの場にいると決め込んで独り言をぶつくさ言ってるのか?
「あぁ、そうだ。ぶつくさ言っている」
「知覚されてんじゃねぇか……」
「まぁいいや、話を続けるぞ」
いや、未来の俺だから過去俺が考えた事や言った事がわかっての言葉か? それにしても、わざわざ考えを思いだし返事を口にするなど、俺はそんなに明るい性格だっただろうか。
「未来に入り込んでいる事は本当に誰にも知覚されない。さっきの返事は冗談だ。現に今俺は俺が、つまり横にいるお前が全く見えないし、声も聞こえない。あ、返事は返さなくてもいいぞ」
そう言われると、無性に天邪鬼になってくる。軽快に語り始めた俺に対し、僅かでも気後れしたくない気持ちがふつふつと胸に湧いてきた。
「話を続けてくれ、本当に聞こえていないのか?」
「水晶玉のチュートリアルは俺も数分前に俺にされたんだ、だから俺はその未来を忠実に再現している。俺がぶつくさ言っている理由はそれだ」
俺の質問が本当に聞こえていないのか、はたまた無視を決め込んでいるのか、目の前の俺は水晶玉をベッドに丁寧に置いて、改めて俺に向き直った。
「水晶玉を受け取った俺は、家に着いた後、半ば確認作業の意味も込めて俺の未来を見ていた」
俺が未来を見る理由か……。未来に知りたいことは山ほどあるが、まずは使い方を熟知しなければ始まらない。
「まずは、こいつの使い方を未来の俺に聞くんだ。あの占い師はそういった事も見込んであえて説明をおざなりにする、きっとあいつ自身自分でそうやってきて、水晶玉を使いこなしてたんだろうな」
さすがに自分と同一人物なだけはある、第一候補がぴしゃりと当てはまった。
「そして未来の俺は過去の俺にアドバイスをして、過去の俺は未来を変えていく。今回のアドバイスは、そうだな……水晶玉を何が何でも受け取る事と、俺の説明をよく聞くことだ」
しかし、こいつの口調は心なしか腹が立つな……。普段の俺はもう少し人に対して語尾を和らげていたと思うはずだったが気のせいだったのかもしれない。
「水晶玉の使い道はたった一つ。危険回避と美味い汁を吸うことだ」
なるほど未来を知ればトラブルを避けられる上に、諸々の答えを当てることができる。
例えば明日車に轢かれる事になっていたとしたら。それを回避できるならば越したことはない。
「ここからは俺がさっき聞いた情報だ。予期せぬトラブルにも巻き込まれる事もあるだろうが、その時間軸にいる未来の俺がそれを回避するためのアドバイスをまたしてくれる、らしいぞ。だから見るべき対象のほとんどは自分自身になる」
わざわざ見たい物を指定せずとも、未来の俺に聞くことで全てまかなう訳だな。
何よりも自分に裏切られない為に自分を裏切らず、律儀に未来の話を語る事が基盤になる。
「時間軸か、本当にそんな物があったとは……」
少し考えをまとめよう。
目の前の俺は未来の俺。そして、俺は数分後に同じ説明をしなければならない、なぜなら占い師は詳しいことを話さない。
進むべき未来を指し示すために、俺は定期的にぶつくさと俺が居ることを想定して話さなければならない。正直少し面倒だ。
「初めの説明はこれくらいにしとけと、俺は俺に言われた。じゃあ最後に……便宜上過去って指すけど、過去への戻り方だ」
そうだ。
俺がいま居るのは未来であり、過去の俺は先ほどの占い師のように水晶玉を見つめているかもしれない。
「水晶玉、俺を戻せ。こう言うんだ」
目の前の俺はそう言い終えると、台詞が尽きたのだろう、無表情で黙り込んでしまった。となれば、もうここに居る必要もない。
「水晶玉、俺を戻せ」
もはや何の疑いもなかった。なんせ俺が俺に説明をしたのだ、これ以上ない説得力だろう。
辺りが白く染まり始め、気が付けば俺は水晶を持って占い師の前に居た。当然、辺りは街灯以外明かりもなく、夜道となっている。
「ちなみに、こちらの時間では一瞬の事なので、お客さんの体感時間とは異なります」
占い師はまるで俺が説明を受けてきたのが判っているかのように、部屋にいた俺の話の続きを話した。
「貰います、返せと言われても返しませんよ」
俺は水晶玉を我が子のように抱きかかえる。決定だ、これはなんと言われようと俺のものだ。
さっきまで紛い物だと決め付けていた俺はどこに行ったのか、気付けば水晶玉に魅了され始めている。
占い師はにんまりと笑い、
「はい。どうも私には性に合わないようなので」
と言った。
性に合わないのならなぜ占い師になってまで使っていたのか、目の前の笑顔にそこまで詮索ができずにいた。
占い師に背を向け、水晶玉を胸に抱える。
小さい頃おもちゃを買い与えて貰った時のような久しくなかった高揚感を胸に自宅へと急いだ。
今までで一番長い帰路を終え、自宅に着き、部屋に戻った俺は、水晶玉を使い未来の俺に話を聞くことにした。
「なんせ右も左もわからない。こいつの効果共々確認しなければならない」
ゆっくりと水晶玉を手に持ち、ベッドに腰掛ける。
しかし、いつの俺がいいのか……。明日の俺か? いや、今日と明日では殆ど何も変わらないだろう。そうすると、一ヶ月か。水晶玉の扱いにとうに慣れ、使いこなしていると思われる。
「水晶玉、一ヶ月後のこの時間、俺の部屋を見せてくれ」
手に持った水晶玉が光りだし、一瞬目を閉じると部屋には俺がいた。先程とは違い、景色は俺の部屋から俺の部屋だ。だが移動したのだと視覚が訴える。
なんせ俺の隣には未来の俺であろう人物が腰掛けているのだから。
「俺はこの一ヶ月。この水晶玉の力を検証してきた。結果判明したことを横にいるであろう俺に伝える」
目の前の俺が直ぐに口を開いた。この時間に来ることが分かっていたのだろう。しかし律儀なものだ、本当に俺は報告を行うらしい。
「まず、俺は未来の映像の中で何ができるのかと疑問に思った」
へぇ、映像と表現したか。
その映像とやらの中では今のところ俺の声を聞ける。そう考えているのが判っているのだろう、目の前の俺はベッドに腰掛けながら話を続けた。
「俺が未来から知覚されないのは検証済みだ。では、今着けている床に足は触れているか?」
その疑問に対し、俺は足元に目を向けた。俺は床に……触れていなかった。正確にはどこにも触れていない、あえて挙げるとすれば床上数センチの空中であり、座っていたと思っていたベッドからも体が浮いている。
「足は床に触れていないだろう。次に、そうだな……扉を開けようとしてみてくれ」
本当に未来の俺は俺が見えていないのか? と疑問に思うが、とにかく部屋の扉に向かう。妙な浮遊感を足元から受け取りながら、俺は空中を歩行していった。
そのまま、右手をノブへ伸ばす。が、触れようとした瞬間、強力な磁力で押し返されるように右手は空をかいた。
「なんだ?」
何度か触ろうと試みても、近づけるだけで叶わない。床といいノブといい、何が起こっている?
「推論だが、俺は未来そのものにとって反発するような何かで構成されている。だから、床に立てず、物にも触れられない。密閉されたガラスケースに囲まれ水中にいる、と言えばイメージが湧くかもしれない」
成る程、一定距離以上は近づけず触れることもできないわけだな。
「そうか、検証ご苦労だ」
聞こえていないと思うが労いの言葉をかける。
「ちなみに、俺はこの説明を未来の俺から受けなかった。だから自分で発見した後、確かめるしかなかった。つまり、どういう意味かわかるよな?」
目の前の俺は、俺がこの映像を見ている事を知っている。という事は目の前の俺も未来の自分をこの時間に見に来たわけだ。
ところが、当時の未来の俺は説明をしなかった。つまり……。
「未来の俺はその事を知らなかった……?」
「多分、俺の事だろうからそろそろ答えに行き着いた筈だ。さて、この一ヶ月間、俺は水晶玉に関するいくつかのルールを発見した。その為、俺が受けた説明とは異なる情報をいま伝えている」
「……ん?」
待て。
ならばその情報を得た未来の俺が、目の前の俺に既に情報を渡す手順になっている、こいつが発見するルールなど無い筈だ。なぜ未来の俺は目の前の俺に伝えることができなかったんだ。
「疑問だろう、時間軸がズレても未来は続いているんだ、ならばその未来の俺が情報を俺に渡すのが自然だが……ここで俺は仮説を立てた」
目の前の俺はひと呼吸置き、今回も俺の目を捉えようとするが、少々ずれ込んで、俺の耳を見つめている。
「一、俺が寝返った。二、伝えてはならない情報がある。三、そもそもこの伝言ゲームが完璧ではない 四、水晶玉の力が時間軸によって異なる」
理想なら未来の俺から、末端である二度目に水晶玉を使う俺にあらゆる情報が集まるべきだ。
ところが、中継を当時担っていた目の前の俺に情報が伝わらなかった。そして俺たち二人が情報漏洩の被害者、と考えるのは不自然だろう。
「可能性が高いとすれば……三」
「確かにな……」
それは、情報が最善でない場合、露骨に表面化する。
仮にAという俺がBという俺に情報を渡したとしよう。Bはそれに従い行動する、しかし、結果が芳しくなかった。そのことを踏まえ、BはCに対し、Aから受け取った情報を改変して提示する。Cは改変された未来で更に問題に直面し、また変わった形で情報を伝える結果となり……。
「つまり未来には必ず予期せぬ事態が起こる……決して怠った訳ではない」
俺の考える時間を設けていたのだろう、俺の独り言の後、絶妙なタイミングで語りだす。
「未来の俺達は常に最善の情報を渡してきているだろう。しかし、それでも新たに発生した問題が起こる。それが今回のような、物に触れられない現象が伝えられない事態が生まれる」
大きな問題では無いにしろ、情報が得られなかった事自体が重要だ。よく判らん物ほど怖いものはない。
「ちなみに、俺が受けた説明は大まかにこうだ。水晶玉で見られる未来は永劫、その上どんな場所時間でも構わない。但し、俺の性格からいって、地球の寿命の先や自分と関わらないであろう事柄を見ることは労力の無駄だ。そして水晶玉を手にした俺は、例外なく一度自分の将来を見るらしい」
Aが見た将来をBに伝えることで、Bの将来はまた別物になる可能性が生まれる。そうして増えた将来をいくつも蓄え、俺が俺に伝えているのか。
「何人もの俺が未来視により未来を改変した結果……俺が見た未来は……そうだな、六年後に開発される大手携帯電話会社の最新技術がいい例だな。その結果日本で数が少ない携帯電話会社のパワーバランスが完全に崩れる」
しかし、その情報は今この瞬間多少なりとも別物に変わり、俺が辿る未来ではなくなった可能性がある訳だ。当然そうでない可能性もある。
「ところが、俺の見た未来と、情報を渡している俺の未来は違う」
目の前の俺は、差異はあれど自分のみに訪れる未来を持っている。それは全ての俺に当てはまる事であり、自分で覗き込むしか知る由がない。
「どこがどう違うかは、実際に自分で確かめなければわからない。つまりやるべき事は、俺から情報を得た後、それがどう変わったか確認すること。その流れで、自分の未来を好みで覗けば良い」
これが伝言ゲームの穴と呼ぶべき面倒事か。
こんな簡単なことに、目の前の俺が初めて気づいたのか? 何人もの未来の俺がそうして来たというのに。
「机の上に大まかなタイムスケジュールを書いたメモがある。参考程度に見といてくれ」
俺はその言葉に頷き、机に向かい、メモに目をやる。メモには本当に大まかな事のみが書いた覚えのない俺の筆跡で記されていた。
携帯電話会社の株の高騰、消費税の増加、宝くじの番号、バイト先での振る舞い、将来の就職先等、どう見ても金銭が絡んだ事柄しかない。我ながら随分がめつい面を知ってしまった。
「一応覚えておくか」
俺が細かい数字を何とかして覚え込もうと努力している横で、未来の俺は話の続きを始めた。