水晶玉
四月二十日。
友人の誕生日会を終えた俺は、駅に止めた自転車にまたがり、颯爽と家路を辿っていた。
今日の主賓は大層酔っ払っていたとか、会場であるチェーン居酒屋で危うく年齢確認をされそうになったとか、そんなことを考えながら、街灯が等間隔に照らす狭い路地に差し掛かった。
もう間もなく我が家に到着する、ここは勝手知ったる公道だろう。
ふと、街灯の照らす明かりの下に奇妙なものを見つけた。目前に見えるそれは、人のようだ。
「人……だよな?」
自前であろう机も伺える。その上に肘を置き、椅子に腰掛け、ぼんやりと空虚を見つめているようだった。
机の対面には椅子がポツンと置いてある事から、誰かを相手にする予定なのかもしれない。周囲を観察してみれば、足元には紙袋。一体何が入っているのやら……、と考えながら近づいた。
「何をしてらっしゃるんですか?」
俺が声をかけた理由は好奇心。
「……え、あぁ占いですよ」
随分と低い男性の声だ。
なるほど、机に椅子、そうとくれば占いが当てはまるが……。そこで初めて占い師の顔を視野に入れた。
歳は俺の一回り上だろうか、まだまだ働き盛りの凛とした男で、声に似合う立派な眉毛が大きく出っ張った眉骨で突き出されている。黒いジャケットが占い師を更に渋く仕上げているように見えた。
しかし、看板も出さずにこんな時間に占いとは酔狂な奴もいるもんだ。
「実は私、この仕事今日で最後なんですよ。どうせなら、誰も通らないような道でぼんやりとしてみようと思ったのですが……、お客さんに見つかっちゃいましたね」
俺は悪いことをしたのか、と一瞬頭をよぎる。その為か機嫌を伺うような表情をしてしまったようで、占い師の屈託のない笑顔が俺の不安を払拭した。
ここでようやく跨っていた自転車から降り、興味を向けると、それを合図だと悟った占い師が口を開いた。
「そうだお客さん、しがない占い師にお付き合いくださいませんか?」
「占ってくれるんですか?」
別段俺は何か不安を抱えているわけでもないが、少し付き合ってもいいかもしれない。目の前の占い師は不審であるものの、まぁ話程度ならばと頭をよぎった。
俺の肯定的な態度に気を良くしたであろう占い師は、口火を切った。
「占う占わないの前に……これ見てください。私は、占いをやりたくて占い師をやってたんじゃないんですよ」
占い師が紙袋からなにやらゴソゴソと取り出したものは、濁った水晶玉だった。手のひらにちょうど収まる大きさのそれに、俺は興味を持てなかった。
占い師が水晶玉を持ち出すとは、この上ない当たり前だ。それとも呪いの水晶玉とでも言いだして、占い師たらんと強いられてでもいるのだろうか。
「これ、未来が見えるんです」
「ふふ、占い師の水晶は未来が見える、当然といえば当然ですね」
「そうなんですよ、コイツのおかげで一生食っていく分の金くらいは貯まりましたよ」
何を馬鹿な。
そうかこの占い師、俺にこんな胡散臭いガラス玉を売りつける気かもしれない。今度はあなたの番ですなどと言い出すのだ。だとしたら占い師でもなんでもない、只の悪徳セールスマンだ。金が貯まったと嘘をつき売りつける、見え透いた手立てだ。
いや、しかし金さえ出さなければどうって事はない、少しからかってやるのも一興か……。
「それは凄い!」
少々劇的だったかもしれない。初めに疑うべきだったか?
「私はもう未来を見ることに飽きてしまいました。どうでしょう、お客さん。これ差し上げますよ」
ほう、売るのではない、と。
無料で押し付けて、なんだかんだと言いながら金を取る気なのだろう、やれちょっと調子が悪いから直すだの、自分に幾らか払えば見えるようになるだの、ただのガラス玉が金を生むガラス玉に早変わりだ。
「いやいや、そんな凄いもの受け取れませんよ」
「あ、お客さん、もしかして信じてないでしょう?」
どこの世界に未来が見える水晶玉を信じる人間がいるのだろう。不思議そうに俺を見つめる占い師は、あぁと何かに気付き水晶玉を机に置いた。
「実際に使ってみましょうか?」
「バレちゃいました? じゃあいっちょやってみて下さい」
未来が見える? 馬鹿馬鹿しい。誰にでも当てはまるような御託を並べて、私には見えましたと言うに決まっている。
「はい。水晶玉に見たい事を言うんです」
いよいよ本格的に茶番が始まったようだ。水晶玉に言う? このただのガラス玉にか? ここまで来ると呆れるのを通り越して可愛くも感じてくる。
「じゃあ……そうだ」
俺はポケットを弄り、五百円玉を取り出した。
実はこの五百円玉、巧妙に作られた手品用の偽物だ。持ってみればわかるが、非常に軽い素材で出来ており、終いには両面とも表の絵柄が描かれている。今日の誕生日会でちょっとした見世物の為に使ったコインだ。
そしてポケットにはもう一枚偽物の五百円玉が入っており、それは両面とも裏が描かれている。つまり、二枚で一組、すり替えながら使い、本来なら確実に絵柄を当てる為のものだ。
「コインを投げて裏か表か、ちょっと当ててみてください」
俺は当然コインをすり替えるつもりだ。
「良いですよ。水晶玉さん、今からコインを投げるんで、裏か表か教えてください」
占い師は大真面目な顔で水晶玉に話しかけている。その隙にポケットのコインを手に握り、どちらにもすり替えられるよう準備をした。
「どっちですか?」
「……お客さん、コインを二枚持ってますね。それ手品用のコインでしょう。投げた後にコインをすり替えてる未来が見えました」
随分な呆れ顔の占い師は、俺の小賢しい考えを冷めた言い草で指摘する。
まさか見られたか……? 占い師は確実に水晶に気を取られていたように見えたが、その実俺をよく観察していたのだろう。
よし。
「確かに俺はコインを二枚持ってますけど、別にすり替えるつもりはありませんよ」
この占い師が見たと言う未来はこれで既に起こりえない訳だ。実際は俺の動きを良く観察して見抜いたに過ぎないと思うが、それを言ってしまっては面白くない。
あくまでも、水晶玉が紛い物だと証明しなければならないのだ。存在しない未来を見たと言うなら、それは未来ではなく妄想に過ぎない。
「当然です、私が見た未来を自ら変えたのですから。未来は変えられるのですよ。本来ではあり得なかった指摘をしましてね」
まだ言うか、この自称占い師は……。いっその事、受け取ってしまおうかとも思うが、負けた気がしてならない。
「俺にはにわかには信じられませんねぇ。どうです? もう一回違うことを当てるというのは」
確実に占い師が当てられないであろう、そして滑稽な姿を晒すであろう事柄を考えてみる。
実に簡単なことだ、この変化の無さそうな暗い道で起こりうることを予言させれば良い。この道は夜になれば車も通らなくなるような所だ、それこそ何も起こらないと言ってしまえば良いのだが、それでは的中に値しないとわかる。幼稚園児でも思いつくのだ、確率論を指摘してしまえばいい。
「今から五分以内にこの道で何が起こりますかね?」
「わかりました。水晶玉さん、今からこの道で何が起こりますか?」
今度も馬鹿丁寧に水晶玉に話しかける占い師、直ぐに顔を上げるとにんまりと笑った。
「ちょうど二十秒後に、そこの角から自転車に乗った警察官が現れます。その人は私たちに対してこう言うのです。こんな夜遅くに占いですか? この辺じゃ見かけないですねって」
「へぇ……」
夜に巡回をしている警察官か……通るかもしれないが、随分と細かく指摘してきたな。まさか仕込みがいるのか? ならばどうやって合図を送っている? そんな素振りは見かけなかったぞ。
「そして、怪しい我々は職務質問を受け、あなたはポケットからマイルドセブンを見つけられてしまいます。大丈夫、笑って見逃してくれますよ」
「な!?」
さも当然のように言う占い師は、俺の驚き顔に大層満足気だ。ようやっと俺の態度が変わった事が余程嬉しいと見える。
しかし、俺が煙草を持ってる事まで……銘柄も合っている……。ポケットに仕舞いこんでいるのだから確実に判らないはず……! まさか本当に……?
「こんな夜遅くに占いですか? この辺じゃ見かけないですね」
聞き覚えの新しい台詞にふと横を見れば、警察官がちょうど自転車のライトを俺たちに向けていた。