プロローグ
空から墜ちる稲光が、崩壊した建造物のシルエットを黒々と浮かび上がらせる。
辺りに散乱する焼け焦げた土壁の残骸と、切り裂かれた無数の肉片が、この場で起こった惨事を無言のままに物語っていた。
瓦礫の山の中で、形を保っているものが二つある。
一つは円筒型の小さな水槽。
もう一つは煤に塗れ汚れた白衣を纏っている初老の男だった。
その男は目の前の瓦礫をかき分け、無造作に転がる水槽を抱え上げた。
罅の入った水槽の側面から、ぬらぬらと光る黄緑色の液体が漏れだしている。
彼は慌てて中身がすべて漏れてしまわないよう、水槽を傾けた。
粘性のある液体が揺らぎ、その中に浮かぶ小さく歪な丸い物体が、波に合わせてゆらりと揺れる。
彼は涙に濡れる目で、愛おしそうにその物体を見つめた。
まるで初めて授かった我が子を見ているように、否、それ以上の、狂おしいほどの愛を込めて、彼は水槽をゆっくりと撫でる。
彼は水槽を抱きしめ立ち上がると、一転して憎しみを込めた瞳で天空を見上げた。
ごうと唸る風に乗って、痛い程に全身を叩きつける雨の中、男は叫ぶ。
「神よ! 例えお前が私を認めなくとも、私は己の意志を貫き通す!
私の道を阻むと言うならば好きにするが良い。だが私は、この願いを成就させるまでは諦めぬぞ!」
雷雨は激しさを増し、男の志を薙ぎ倒そうとする。
稲光に浮き上がる男のシルエットは細く、神の意思でその身は簡単に折れてしまいそうだ。
しかし、その男は決して倒れることはなかった。
やがて彼は水槽を抱きしめたまま、何処へと姿を消す。
後に残されたのは、破壊された建物の残骸と、かつて人間だった無数の肉片。
そしてその下でじっと息を潜めていた、小さな少年だけだった。