出会い
滝川エイジが監禁場所から保護された、というニュースがテレビで流れた時点から、一年と二ケ月ほど前、すなわち四人がディナーに訪れたのと同じ頃、その事件は始まった…。
吉原尚美は、何通目かの招待状を、滝川エイジ宛で所属芸能事務所に送っていた。
今回は、「しし座流星群を観測しながら楽しむディナー」であった。
料金は前回同様、普段ならディナーに一泊朝食付きで三万六千円(税別)のところを、ほぼ半額の二万円丁度(税込み)(ただし招待ハガキ持参の一名様限り)のサービスとした。本当は滝川エイジだけは特別に、無料でご招待したい所なのだが、それでは怪しまれると思い、わざと一般の客と同じ値段に設定したのだ。
前回は、マネージャーから電話がかかってきて、出来れば招待状を利用して四名の予約にしたいと言われた。お金の事は、四名とも正規の値段でもかまわないという事だった。
…あの時は、マネージャーから「滝川エイジ」と関係者三名という事を強調され、有名人も利用する店という話題性を匂わせられたが、「申し訳ありませんが、予約は満席となりました」と言って、丁重にお断りしたのだった。
…だって、二人っきりじゃなかったら、つまらないじゃない…、尚美は心の中で独り言を言った。
しかし、実は本物の滝川エイジと直接対面することへの覚悟、というか気構えがまだできておらず、ちょっと怖気づいたことが、断った理由だったのだ。だが、尚美自身、まだそのことを、ハッキリとは自覚していなかった。
四人での来店といえども、実物の滝川エイジに会えるチャンスだったのだから、あの予約を受ければよかったかも…。もし気に入ってもらえたら、再度、今度は一人で個人的に来てもらえるきっかけを得られたかもしれない。それに四人のうちの一人という事で会ったほうが、自然に振る舞えたかもしれない。早計な事をしてしまった…。千載一遇のチャンスを逃してしまった…。尚美は後悔し、ため息をついた。
…やっぱり、夢は夢の中だけにしといた方がいいのかも…、想像の世界だけに留めて楽しむ方が性に合っているんだわ。実際に会ったら、きっと私、凍り付いてしまうわ…。お断りしたのは正解だった…、と尚美は自分自身を納得させた。
ところが、それからしばらく経ったある日のこと、「オーベルジュ・シェル・エトワール」の固定電話が鳴った。
尚美が電話に出た。聞き覚えのある男性の声がした。
「もしもし、あの、僕、野呂と言うものなんですが、宿泊予約出来ますでしょうか。実は、そちらから招待状が届いていて…。」
まさか!尚美の胸の鼓動が速くなった。
「ご予約は、何名様でしょうか。」尚美は呼吸困難に陥り、かすれた声で聞いた。
「僕一人だけなんですけど…。」尚美の胸の鼓動が加速した。
「お一人様でも、もちろん大丈夫ですよ。ご予定はいつでしょうか。」
「急ですみませんが、三日後、十一月十二日なんですが…。」
「はい。その日でしたら丁度空いておりますので、ご予約可能です。」(本当は、三カ月先まで予約は埋まっていたのだが、なんとかしよう!)
「では、十二日、ちょっと遅くなるかもしれませんが夜うかがいます。よろしくお願いします。」エイジが言った。
「はい、お待ちしております。田舎道ですので、夜分お気を付けてお出で下さい。」尚美が応じた。
エイジは電話を切った。
尚美の胸の鼓動は、過去最高速度に高鳴っていた。
ついに三日後、自分が今まで夢に思い描いていた日がやって来る!
ああ、どうしよう‼…でも、神様!この幸運に感謝します…!
十一月十二日の夜になった。晩秋とはいえ、無風で比較的暖かい夜だった。まるで尚美を応援するかのように、きれいな星空の夜だった。
午後九時半を過ぎた頃、シルバーのセダンが一台、「オーベルジュ・シェル・エトワール」の門を入ってきて、駐車場の一角に停まった。降りてきたのは、派手なチェックのシャツの上に濃いグレーのジャケットを着た滝川エイジだった。
「野呂様ですね。お待ちしておりました。私はここのオーナーの吉原と申します。」美しい女性が館から出てきて、挨拶した。
「あ、はい。よろしくお願いします。」滝川エイジは、ぎこちなく挨拶した。テレビで見るよりも、少年っぽさが残っている感じがした。
「どうぞ、こちらへ。」
二人は玄関を入り、ロビーに立った。
「すぐ、お食事になさいますか。それとも、お部屋にご案内いたしましょうか。」
「あ、じゃあ、とりあえず少し部屋で休ませてください。」
「承知いたしました。では、こちらへどうぞ。」
尚美は、エイジを大きな窓から満天の星空が見渡せる、とっておきの部屋に案内した。
「うわあ、素敵な部屋ですね!」エイジが歓喜の声をあげた。
「喜んでいただけました?よかった…。」
「もう、最高ですよ。ありがとうございます、吉原さん。」
「お食事は何時にご用意しましょうか。お腹が空いておられるのなら、今から三十分後、そうでなければ、一時間後でいかがでしょうか。」
「じゃあ、お腹空いてるんで三十分後にお願いします。」
「では、お食事の準備ができましたら、お知らせに上がります。それまでごゆっくりなさってください。」
エイジは、部屋の正面にある大きな窓からの風景を暫く眺めたあと、大きなキングサイズのベッドに大の字になって寝ころんだ。すると、天井にも大きな天窓があるのに気が付いた。
「ここからも、空が見えるんだ…。」エイジはうっとりしながら空を眺めた。
尚美は食材を「つむじロッジ」に配達する業者と契約し、「つむじロッジ」と同じ日に配達を頼んでいた。タイミングの良い事に、昨日が配達日だった。尚美はその業者に今日の為に、特別良い品質のものを注文していた。
そして昨日、配達された品を受け取ってすぐ下準備を始めた。そのおかげで、今夜の準備は完璧に整っていた。
ワインは、いつかこの日がやってくるのを夢見て、前に東京まで出かけた時に、有名店で厳選したものを買っておいた。それがまさか、本当に飲まれる日がやって来るとは!
肉は、A5ランクの黒毛和牛と、上質のラムのリブを用意した。
魚も今朝獲れた新鮮なものを、届けてもらった。
パンも、この辺で一番美味しいと尚美自身が評価しているベーカリーに注文して、焼き立てのバゲットを、夕方配達してもらった。
スープも、前菜も、サラダもそれぞれ二種類用意した。
メイン料理も、肉と魚、両方火を入れる準備が出来ている。
デザートも冷たいものと、温かいものの二種類が用意してある。
後は、食べる直前の調理をするだけであった。
三十分を過ぎた頃、尚美はエイジの部屋のドアをノックした。
「野呂様、お食事の準備が整いました。」
返事がなかった。尚美は再度、ドアをノックした。
「野呂様、お食事はいかがなさいましょうか。」
薄いアンダーシャツ姿のエイジが、シャンプー後の髪をタオルで拭きながら、ドアを開けた。
開けた勢いで、尚美のすぐ目の前に、エイジの細いが逞しい胸筋が迫ってきて、ぶつかりそうになった。
「あ、すみません。すぐ行きます。」エイジが言った。
シャンプーの香りに混じって、若々しい春のような香りがした…。
「あ、いえ、急ぎませんので、ご都合のいい時にダイニングルームにお越しください。」尚美はお辞儀して、そそくさと階下へ降りて言った。
尚美はドキドキしていた。もう、何が何だかわからないくらいだった….。




