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優しい嘘の籠の中で

掲載日:2026/02/13

「クリスティーヌ様、レオンハルト王子がいらっしゃいました。お庭の東屋でお待ちですよ」

「ほんと!? すぐ行くわ!」


 庭園の片隅にある礼拝堂で祈りを捧げていた私は侍女の言葉を聞いて顔を上げ、大急ぎで東屋に向かう。


 聖女なのだからおしとやかにしないといけないと思っていても、早く会いたい気持ちをどうしても抑えられなかった。

 だって一週間ぶりなんだもの!


「レオンハルト様、来てくださったのね!」


 春の花が色とりどりに咲く様子が一番綺麗に見える東屋にレオンハルト様はいた。


息を切らせて駆け寄る私に、レオンハルト様はふわりと笑みを浮かべて立ち上がった。春の柔らかな日差しに金髪がきらきら輝いて、物語の王子様みたい。本物のかっこよくて優しい王子様なんだけどね。


「ごきげんよう、クリスティーヌ様。お風邪を召されていたと聞きましたが、もうすっかりよくなられたようですね」


 レオンハルト様はくすくすと笑いながら、私の乱れた髪を整えてくれる。


「ええ。ほんのちょっと熱が出るくらいだったもの。たくさん寝たからもう大丈夫よ。さあさあ、お座りになって」


 私たちが隣り合って座ると侍女たちがお茶を準備する。目の前には赤くきらきら輝くいちごのケーキ!

 

「今日はクリスティーヌ様がお元気になられたお祝いに、お好きないちごのケーキを持ってきましたよ。視察のお土産のクッキーもありますからね」


 たくさん召し上がってくださいね、とレオンハルト様はにっこり笑った。私も美味しそうないちごのケーキににっこりだ。


 お礼を言ってケーキを一口食べるとふわふわのスポンジと甘いクリーム、甘酸っぱいいちごの味が口いっぱいに広がる。おいしさに思わずほっぺたが緩んだ。レオンハルト様も隣でにこにこしてる。


「とってもおいしい! レオンハルト様もたくさん召し上がってね」


 ふたりでケーキやクッキー、紅茶を味わいながらレオンハルト様が視察先であった楽しいお話を聞かせてくれる。視察で1週間も会えなかったから話したいことがたくさんあった。


 レオンハルト様のお話が一段落した後で、私は聖女の仕事の報告をした。


「あのね、もうすっかり元気になったから、今日からお祈りも再開したのよ。刺繍は2日前に再開したから、もうすぐハンカチが1枚できるわ」

「お祈りも刺繍も大事ですが、無理はしないでくださいね。あなたはここにいるだけで充分なんですから」


 レオンハルト様は心配そうに眉を下げた。私はにっこり笑って首を横に振る。


「心配してくれてありがとう。でも大丈夫よ。私がいっぱいお祈りしたり、刺繍したら、その分みんな幸せになれるんでしょう? 私がんばりたいの」


 聖女の私がいるだけでこの国は平和になるらしく、私は産まれてすぐからずっとこのお城に住んでいる。


 いるだけでいいとは言われているけど、礼拝堂で神様にお祈りすることでもっと国は豊かになるし、私が祈りを込めて刺繍したハンカチやスカーフは持っている人に幸せをもたらすらしい。


 そう聞いたら頑張らなきゃって思うよね。レオンハルト様はこんなに優しくしてくれるんだもの。レオンハルト様に喜んでもらいたい。


「そうだわ! ねぇ、また新しくハンカチをお贈りしてもいいかしら? 1年前よりずいぶん上手になったのよ」


 1年ほど前にレオンハルト様に贈ったハンカチは練習作で、幸運を運ぶと言われている小鳥をモチーフにしたものだった。今考えると王子様に練習作を渡すのは良くなかったかもしれない。もっと練習してから渡すべきだった。


「ふふふ、このハンカチはクリスティーヌ様の初めての作品だと自慢して回っているのですが」


 レオンハルト様はいたずらっ子のような顔をして懐からハンカチを取り出した。なんで持ってるの!? 今見ると線がガタガタで本当に恥ずかしい。


「もう! それを持ち歩くのはやめてちょうだい! 次はレオンハルト様のお好きな図案で作りますから!」


 恥ずかしさから思わず睨むと、レオンハルト様は楽しそうに笑った。


「好きな図案か。そうですね……。イニシャルを入れていただけますか? あと、クリスティーヌ様の瞳と髪の色の糸で刺してくれると嬉しいな」


 レオンハルト様は蕩けるような目で私を見つめて微笑んでいる。私は自分の顔が赤くなったのが分かってうつむいた。


「わ、私の目と髪って、レオンハルト様と一緒の色じゃない……! 紫と黄色を使えばいいのね」

「ふふふ、照れてるんですか、可愛いなぁ。同じ色じゃないですよ」


 レオンハルト様は私の髪を一房手に取りながら甘い声で囁いてくる。


「……ほら、よく見て。クリスティーヌ様の方が瞳も髪も柔らかい色ですし、透き通っていて綺麗だ。僕はあなたの色の方が好きですよ」


 もうどうしようもなく恥ずかしくて、私はうつむいたまま一言も話せなくなってしまった。レオンハルト様はくすくす笑いながら私の髪を撫でている。


「可愛いあなたをいつまでも見ていたいんですけど、そろそろ行かなくては。ハンカチ、楽しみにしていますね」


 最後に額にキスを落として、レオンハルト様は帰っていった。

 

 彼の姿が見えなくなったのを確認してから、私は冷めた紅茶を一息に飲んで熱くなった体を冷やす。 


「刺繍、がんばろう……! ねぇアンナ、レオンハルト様が驚くような刺繍にしたいわ。一緒に図案を考えてくれる?」

「えぇ、もちろんです。頑張りましょうね」


 傍に控えていた侍女のアンナに声をかけると、アンナは嬉しそうな笑顔で答えてくれた。

  


 私は産まれてすぐに聖女の証だという痣が左胸の上に現れて、それからずっとこのお城で大事に守られて生活している。


 安全のために自分の部屋と礼拝堂、その間にあるお庭しか出歩いちゃいけなかったり、毎日お医者さんの健康診断があったり、なんだか過保護に思うけれど、私が寂しくないようにって優しいレオンハルト様が毎日訪ねてきてくれるからつらくない。


 でも、レオンハルト様は時々疲れたお顔をしている時があって少し心配。お忙しいのに毎日来てくれなくても大丈夫と言っても、会いたいから来てるんだとレオンハルト様は譲らない。うーん、刺繍に込める祈りは健康とか安眠にしようかしら……?


 最近私もなんだか眠たいことが多いし、自分にもお揃いのハンカチ作っちゃおうかしら。自分の祈りが効果あるのか分からないけれど。


 レオンハルト様とおそろい! と考えるとわくわくしてきた。頑張っていいものを作りましょう!



*******



「アイリス様のこれまでの診察の結果と過去の症例を照らし合わせた結果をお持ちしました」


 楽しいお茶会の後、執務室に戻った僕のもとに重苦しい雰囲気をまとった侍医がやってきた。

 そっと一息ついてから彼が差し出した資料を確認していく。そこには彼女の余命の予測結果が載っていた。 


「アイリスに残された時間は、約半年……」

「……おそらく、来年を迎えるのは厳しいかと」 

「そう、か」


 アイリスは僕の妹だ。愛してやまない可愛い妹。

 だが、アイリスは今、記憶の錯乱を起こしていて、自分は聖女クリスティーヌ、兄である僕はその恋人のレオンハルト王子だと思い込んでいる。


 これは彼女のお気に入りの物語の登場人物だ。彼女にせがまれて何度も何度も一緒になりきって遊んだ、あの物語の。



 アイリスが記憶の錯乱を起こしたきっかけは1年半前の事件だ。


 アイリスはあの日まで、このウィンフォード伯爵家で両親からたくさんの愛情を受けてすくすくと育っていた。僕自身も年の離れた妹が本当に可愛くて仕方なかった。


 絵に描いたような幸せな一家だったと思う。

 1年半前のあの日、あの時までは。

 

 アイリスが7歳になったばかりのあの日、我がウィンフォード伯爵家の領地を突然魔獣の群れが襲撃した。


 両親とアイリスは領都郊外にある湖畔で過ごしていたところを不幸にも襲われ、アイリスだけが奇跡的に生き残った。


 護衛たちも含め全滅していた中、アイリスだけが小さな木の洞の中で生きているのを捜索に来た騎士が発見したのだ。その時は、アイリスは意識を失ってはいたものの大きな怪我はないと思われていた。


 しかし、領主城に帰って彼女を着替えさせていた侍女が左胸に "まどろみの花" と呼ばれる呪いの痣を見つけた。さらに、目覚めたアイリスはショックからか記憶に混乱が生じていた。


 魔獣の襲撃と領主夫妻の突然死の対応に追われていた使用人たちは、これを受けてさらなるパニックに陥ったという。

 



 魔獣の襲撃から3日後、王都のパブリックスクールに通っていた僕に両親の死と妹の状況を知らせる伝令が届いた。


 青天の霹靂に大慌てで領地に戻った僕を迎えたのは、領主夫妻の突然死の対応でやつれた使用人たちと、状況を理解していない、まるでごっこ遊びの最中かのような様子の妹だった。

 

 それ以来、僕は若き領主として荒らされた領地の立て直しを進めながら、最愛の妹に幸せな夢を見せ続けている。




 アイリスが受けた "まどろみの花" という呪い。

 黒い花のような痣が体に浮き出るのが特徴のこの呪いは、徐々にその者の生気を奪い3年以内に死に至らしめる。


 魔術師たちが長きにわたって解呪の方法を研究し続けているが、未だに解呪方法が解明できていない死の呪いだ。唯一の救いは、苦しむことなく少しずつ眠る時間が長くなっていき、やがて永遠の眠りにつくということ。

 

 僕の今の一番の願いは、アイリスが魔獣に襲撃された時のことを思い出さないまま、幸せなままに生涯を終えることだ。


 そのためには他人を演じ続けることなど苦にならない。もう二度と愛しい妹が「リュシアンお兄様」と懐っこい声で呼んでくれなくても。




 アイリスとは毎日お茶か食事を共にするようにしているが、新しいハンカチを作ると宣言して以降、毎日進捗を報告してくれる。


 ぴったりの色の刺繍糸が見つかっただとか、図案をアンナと一緒に考えてみたけどなんだかしっくりこないだとか、毎日楽しそうにキラキラした目で話してくれる。僕の一番幸せな時間だ。

 

 そして、1ヶ月ほど経ったある日。

 その日の食事中アイリスはなかなか僕と目を合わせず、そわそわしていて落ち着かない様子だった。


 食後の紅茶が運ばれてきたあとにアイリスは侍女のアンナに目をやって頷き、それからおずおずと僕と目を合わせ、恥ずかしそうに口を開いた。

 

「あ、あのね。やっとハンカチが完成したの。その……がんばったし、よくできたと思うんだけど、なんだか急に恥ずかしくなってしまって……」


 もじもじするアイリスを微笑ましく見ながら、僕はアンナが運んできたハンカチを受け取る。


「毎日お話をうかがって、とても楽しみにしてたんです。ありがとうございます」


 受け取ったハンカチは、花で飾られたLの文字の周りを幸運の黄色い小鳥やラベンダー、ジャスミンなどの花で囲った美しい刺繍が施されていた。リクエストした髪と瞳の色の部分をよく見ると、2色混ぜて刺されているように見える。


「1年でとても腕が上がりましたね。……あれ? 紫も黄色も、もしかして2色混ぜていますか?」

「えっと、その……レオンハルト様は私の髪と目の色の糸っておっしゃっていたけれど、私はレオンハルト様の色もとても素敵だと思うから、2色混ぜて刺してみたの。どうかしら……」


 赤い顔でもじもじと恥じらうのがあまりにも可愛らしくて、思わず立ち上がり側に寄って抱きしめた。


「いつでもずっと一緒にいられるようでとても嬉しい。ありがとう。一生大事にしますね」


 アイリスをぎゅうっと抱きしめる。思わずあふれそうになった涙を彼女に悟られないように。


「えへへ、喜んでもらえてうれしいわ。でも、これからもたくさん作りますから、気にせずたくさん使って?」


 一生大事にだなんてレオンハルト様は大げさなんだから、とアイリスは腕の中で笑った。


 

*******



 僕はこの数日、大半の時間をアイリスの眠るベッドの傍らで過ごしていた。アイリスはほとんどの時間を眠っていて、時々目を覚ましてはまたすぐに眠りに落ちるのを繰り返している。


 ふと窓の外を見ると、赤く色づいた葉がひらひらと空を舞っていた。無性に切なくなり涙が浮かんできたが、首を振って気持ちを切り替える。最後まで僕は優しいレオンハルト王子のままでいないと。


 その時、アイリスが眉根を寄せて小さく唸った。白く細い手をそっと握ると彼女はゆっくり目を開く。


「あれ……? レオン……ハルトさま……?」

「ああ、クリスティーヌ様。お目覚めですか」


アイリスは僕と目が合うと一瞬嬉しそうな笑みを浮かべたが、すぐに申し訳なさそうに目を伏せた。


「ごめんなさい。なんだか最近すごく眠くて……全然起きられないの」


 涙を浮かべたアイリスの頭を優しく撫でながら僕は優しく語りかけた。どうか、どうか、穏やかに。何も真実に気付かないまま眠れるように。


「いいんですよ。それはクリスティーヌ様がたくさん祈って聖女の力をたくさん使ったせいですからね。今はゆっくり休んで」

「そうなの? それならよかった」


 アイリスはふわりと微笑んだが、また目がとろりとしてきて、まどろみ始める。


「ねぇ、たくさん寝て、また元気になったら、一緒にお茶しましょうね。私、レオンハルト様とお茶するの大好きなの」

「もちろん。クリスティーヌ様の好きないちごのケーキもチョコレートのクッキーもたくさん用意しましょう」

「ふふふ、約束だからね」


 その言葉を最後に、アイリスは眠りについた。

 深い、深い、天の国へと昇る眠りに。


 幸せそうな微笑みを浮かべて眠るアイリスの頬に、今まで必死にこらえていた涙がいくつも落ちた。


「アイリス……。アイリス……。 どうか天の国でお母様やお父様と一緒に僕を見守っていておくれ。お兄様はこの地を元に戻して……いや、もっともっと豊かにして、それからそちらに向かうから……その時はまた、リュシアンお兄様すごいって褒めておくれよ……」


 重たい雲の合間から一筋の柔らかな光が、アイリスを迎えるかのように部屋に差し込んでいた。

 

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