天才父子と私の普通のごはん 2
旦那様が仕事に行くと、屋敷の中は少しだけ静かになる。
魔道具がピーピーと音を立てている。
洗濯が終わったようだ。
洗濯物を取り出していると、通いの侍女エミリーが出勤してきた。
「奥様、おはようございます。洗濯物を干してまいりますね」
「エミリーありがとう、お願いするわ」
彼女はおさげを揺らしながら、洗濯物の入った籠を抱えた。
このお屋敷は旦那様が陛下から賜ったもので、とても広い。
けれど、使用人は夫婦である執事長と侍女長、そして彼らの一人娘である侍女が一人しかいない。
これだけの広さのお屋敷を管理するには、人数が少なすぎるかもしれないが……旦那様は、外部からあまり人を入れたがらない。
けれど、特に困ることもない。私は自分のことは自分でできるし、彼らはとても親切で有能だ。
私には魔力がまったくないので、魔法を使って家事をすることができない。けれど、その問題も旦那様のおかげで解決している。
旦那様が開発した魔道具が、ほとんどの家事を肩代わりしてくれるので私がすることはお料理くらいしかないのだ。
――幼い頃には、魔力が少しはあったらしいが……いつの間になくなってしまったのか、自分でもわからない。
旦那様は過保護なほど優しく、私はロイとともに、のんびりと幸せに過ごしていた。
「お母さま〜!」
エントランスホールの階段の上からロイが手を振っている。
彼の隣にいるのは大きな白銀の毛並みの犬だ。
私と旦那様が結婚する少し前からこの屋敷に住んでいる大型犬。
名前はイスト。本当の名前はヴェリーキドゥーフ……なんだったかしら。
《ヴェリーキ・ドゥーフ・イストーニカ!》
「そうそう、イストーニカ……あら、また喋ったの?」
白銀の犬は不思議な存在だ。
たまにこうやって、話しかけてくる。
ロイとも喋っているけれど、執事長や侍女にはその声は聞こえないらしい。
あとイストの声が聞こえるのは旦那様だけ……不思議なことだ。
「みてみて〜!!」
ロイはイストの背中に飛び乗った。
そして、止める間もなく、ロイを乗せたイストが階段を駆け降りてくる。
最後にロイはイストから飛び降りると、私に抱きついてきた。
かろうじて抱き止めることができたが……。
「危ないでしょう?」
「大丈夫だよ。イストがいるもの」
「――まったく、あなたときたら」
魔術に関してはいわゆる神童であるロイだが、ほかの部分は普通の子どもとなんら変わりない。
むしろ、やんちゃで年より幼い部分があるくらいだ。
「それにしても、不思議だよね〜」
「何が不思議なの?」
「イストって、お父さまの言うことは聞かないのに、どうしてお母さまの言うことは聞くんだろう?」
《わ……わふ! わふ!》
「それは決まっているでしょう」
急に犬っぽく鳴き始めたイスト。
確かに時々人間のように喋ることがあるし、普通の犬とは毛色が違う。
でも、イストはやっぱり普通の犬なのだ。
その証拠に、スープを取ったあとの、お肉が少しだけついた骨をうれしそうにかじるし、散歩では黄色い蝶々を追いかけるし、水たまりを見つけたら必ず入って泥だらけになる。
「ごはんを準備して、散歩をして、ブラッシングしてあげるのはいつも私だもの。私に懐くに決まっているわ」
「でも……イストは」
《わふ!! わふん!!》
イストが再び吠え出すと同時に、来客を告げるベルが鳴った。
「あら、アーノルド先生がいらしたみたいよ」
「あっ、宿題がまだ終わっていなかったんだ!」
「あらあら……」
ロイは自分の部屋に行くために階段を駆け上がっていった。
彼は天才ではあるが、宿題は長期休みの最終日にするタイプのようだ。
私は小さなため息をつくと、アーノルド先生を出迎えるためにドアへと向かうのだった。




