東京深樹区 ~Greening apocalypse~
20XX年。
人類の大量消費文化と開発による自然破壊の勢いは留まるところを知らず、とうとう地球そのものが限界を迎え始めた。
しかし、それと同時に不可思議な現象が起こる。
人類の自然破壊に対抗するように、世界中の植物が異常成長を開始したのだ。
樹木、野草、花類問わず、あらゆる植物は進化し、環境変化に強くなり、その分布をみるみるうちに広げ、人間が生活している都市圏も容赦なく侵食。
これにより無数の街が樹海のように変貌し、交通をはじめとする都市機構が麻痺した。
さらに、巨大化した植物の一部は独力で動き出し、なんと街の人間たちを襲い始めた。
それだけでなく、異常進化した植物を食性とする虫類および野生動物も変異、そして凶暴化。
樹海に変貌した都市群。
突然変異により怪物と化した植物や動物、虫類たち。
世界中がたった数日で大パニックに陥った。
この現象は「カウンターグリーニング」と名付けられ、世界各国が対策を余儀なくされた。
増えすぎた植物や凶暴化生物を駆除しようと、あらゆる国、あらゆる地域で戦闘が行われたが、どれだけ伐採しても緑は広がり続ける一方で、凶暴化生物たちの増加も止まらない。
カウンターグリーニング発生から数年が経過。
世界人口は最盛期の一割ほどにまで減少。
もはやこの星で緑に覆われていない大地は無い。
人類は、植物によって、この星の覇者の座から引きずり降ろされた。
そして三十年後。
残された人類たちは、この緑に覆われた地球で生き残るため、それぞれのコミュニティーを形成。
人間が食べても問題ない果実を区別し、特殊な植物からバイオ燃料を獲得する技術を編み出し、怪我や病気を治す薬草を発見した。
人類を衰退させた変異植物の助けを借りて、生存者たちはつつましく生き延びていた。
東京湾に浮かぶ一隻の空母。
これもまた、世界中に点在する生存者たちの生活圏の一つ。
植物と敵性生物に侵略されない生活圏を求めた結果、彼らは海上を安住の地とした。
この空母には多数の兵士が在籍しており、緑に覆われた東京から資源を回収することを役割としている。
特に、東京都区部……いわゆる東京23区エリアは、現在では貴重な資源が多く獲得できる東京都屈指の穴場であり、この軍艦を人類の生活圏として運営するのに欠かせない区域だ。
しかし同時に、異常進化した植物があちこちに生い茂っている23区は、もはや一種の巨大迷宮と化しており、一度侵入したが最後、ただ脱出することさえ苦労する。
そして、この23区に生息している敵性生物も凶悪揃いであり、再起不能にされてしまった負傷者は後を絶たない。
新兵単独での生存率は二割以下とまで評されるほど。
普段のストレスを忘れて遊び回りたい。
ただ明日を生き延びたい。
日々、人間の欲望を受け止めているという点では、この街は今も昔も変わらない。
そんな東京23区を、この空母に暮らす人々は敬愛と畏怖を込め、そして23区のうちの一つである新宿区になぞらえて「東京深樹区」と呼称していた。
その深樹区の内部、渋谷エリアにて。
高校生くらいの少女が一人、鬱蒼とした森のような街中を走っていた。
少女の髪はぼさっとした、しかしどこか艶のある黒のロング。
身長は163センチほど。
気だるげな表情で、ダウナーな雰囲気を全身から醸し出している。
この少女は黒のタクティカルベストと厚い黒のズボンで身を包み、顔以外に肌の露出は一切ない。両肘と両膝にはプロテクターを装着。分厚い軍用ブーツを履き、さらには20式5.56mm小銃を装備した、完全武装の出で立ちである。
彼女の名は葛城美麗。
年齢は十八歳。
葛城は空母で生まれ育ち、幼いころから兵士としての訓練を受けた。
すでに深樹区に三年間出入りしており、まだ大きな怪我もしていない期待の若者だ。
彼女が背負っているバックパックには、この渋谷エリアで収穫した植物資源がたくさん詰め込まれている。
そんな葛城を後ろから追いかけるのは、薄緑の体毛を持つ大型の狼だ。
数は六匹。
「ガウッ!」
「バウ! バウ!」
一見すると普通の狼だが、顎が普通の狼の二倍ほど大きく開く。
咬合力も凄まじく、その裂けるのではないかと思うほどの大口で噛みつかれたら、人間の手足など一撃で食いちぎられてしまう。
「この開けた場所で相手してたら、あっという間に囲まれて連中のエサね」
逃げる葛城の進路上に、凶暴な食人花の群生地が。
流石の彼女と言えど、あの中に飛び込むのは自殺行為だ。
一瞬で骨まで食らい尽くされてしまうだろう。
「あんなの、この間までここには生えてなかったんだけど」
進路を変更した葛城は、前方の小さなオフィスビルの入り口に駆け込む。
狼たちも葛城を追ってきた。
獲物を追い詰める瞬間はもうすぐだと期待を抱きながら。
ビルのエントランスに入った瞬間、葛城は反転。
片膝を床につき、狼たちに小銃の銃口を向ける。
「ここならアンタたちは入り口から一匹ずつ順番に入って来るしかない。私が囲まれる心配はないってこと」
そして十数秒後。
葛城によって射殺された狼の死体の山ができあがっていた。
この狼たちの毛皮は防寒具の材料になり、肉も食用に適している。
しかし今日はこれらの資源を回収する時間的余裕が無い。
「渋谷エリアの生物たちが想定より活動的ね。今日はすぐに脱出しないとマズい。はぁ、貴重なタンパク質なんだけど。でも、ちょっとだけなら……」
そうつぶやき、ナイフを取り出す葛城。
彼女は割と食い意地が張っている。
ふと、頭上に気配を感じた。
すぐに葛城は真上を見上げる。
天井に布団くらいの大きさの毛虫が張り付いていた。
「うわ、キモ……」
その毛虫が、いきなり真下の葛城めがけて落下してきた。
「あっぶな……!」
葛城は背中から後ろへ飛び込んで回避し、後転して片膝立ちの体勢に。
小銃は再装填が必要。
ホルスターからハンドガンを抜き、目の前の巨大毛虫に弾丸を撃ち込む。
しかし巨大毛虫は非常に肉厚。
その分厚い身体は9ミリパラペラム弾も簡単には通さない。
巨大毛虫の反撃。
葛城に向かって、その身体に生えている白い毛を飛ばしてきた。
巨大毛虫から放たれた毛は、瞬時に硬化して針のような硬さになる。
しかも、掠っただけで肉を腐らせる猛毒入りだ。
葛城は左へ逃げて、飛んできた白毛を回避。
鋭い白毛はコンクリートの内壁に浅く突き刺さった。
「今度はこっちの番よ」
葛城はバックパックから一つの薬瓶を取り出すと、その中の液体を巨大毛虫にぶっかける。
これは深樹区で採集した毒草から抽出、調合した対虫毒液だ。
毒液をかけられた巨大毛虫はのたうち回り、数秒後、絶命した。
「まだ残暑が続くもんね。アンタも水分補給しなきゃ」
その後、葛城はビルを脱出。
敵性生物との遭遇を避けつつ東へ向かう。
やがて彼女は渋谷エリアと港エリアの境目へとやって来た。
背の高い雑草が生い茂る高速道路の高架下を抜け、港エリアへ。
葛城はスマートフォンで地図の画像を開き、自分の現在位置を確かめる。
「ええと、いま私はここにいるはずだから、まっすぐ行けば竹芝埠頭に到着……するよね?」
ややずぼらな性格の彼女は、地図を見るのが少し苦手である。
「『カウンターグリーニング』が起こる前はもっと高性能なマップアプリが誰でも使えたらしいけど、今となってはおとぎ話よね……。なんて言ったっけ、たしかグー……」
その時、葛城以外の何者かが草をかき分ける音が聞こえた。
彼女はすぐに足を止め、周囲を見回し、耳を澄ませる。
周囲には何もいない。
だが彼女の直感が告げている。
近くに何かがいる。敵意を持った何者かが。
「……後ろ!」
すぐさま右へ跳ぶ葛城。
巨大な蛇が、彼女の背後から噛みついてきた。
すでにその場に葛城はおらず、大蛇の牙は空を食む。
この大蛇は全身が苔むしており、おまけに様々な植物が付着している。
さながらジャングルで狙撃手が装備する擬態服を着込んでいるような、緑の大蛇だ。
「周りを見回しても見つからないわけね。めんどくさい奴」
再び大蛇が草むらに身を隠すが、擬態のタネが割れた以上、もう葛城の目は大蛇を見逃さない。彼女の周囲を這いまわる大蛇の胴体を狙って小銃の引き金を引く。
しかし大蛇の身体は頑丈な鱗に覆われており、おまけに苔や植物がクッションとなって弾丸を通さない。
「銃じゃ火力不足か……」
「シャアアアアッ!!」
大蛇が蛇行しながら、勢いよく葛城めがけて噛みついてきた。
襲い来る巨大な牙を、葛城は屈んで下を潜り抜けるように回避する。
「仕方ない、貴重品だけど……!」
そう言って葛城が取り出したのは焼夷手榴弾。
炎は、この深樹区において多数の敵性生物に有効とされる、人類最大の武器である。
安全ピンを抜いて、大蛇の胴体に焼夷手榴弾を投げつける。
そして、爆発。
まき散らされた摂氏2000℃の炎が大蛇の身体を包み込む。
「ギャアアアッ!!」
植物に包まれているのもあって、大蛇の身体はよく燃える。
だが、大蛇は力を振りしぼり、大口を開けて葛城に飛び掛かってきた。
その大きく開いた口の中に、葛城は二発目の焼夷手榴弾を投げ込んだ。
「ほら、私の手作りよ!」
大蛇が焼夷手榴弾を吞み込んだ。
それでも大蛇の飛び掛かりの勢いは止まらない。
葛城は左へローリングし、大蛇の牙を回避する。
その直後、大蛇の腹の中で手榴弾が爆発。
くぐもった爆発音が響き、大蛇の口から大量の炎が噴き上がる。
「グギャアアアアッ!?」
大きくのけぞる大蛇。
右へ左へ長大な身体が揺れて、やがてぐったりと草むらの中に倒れた。
「仮にも十代の女子の手料理を食べといて、ぶっ倒れるって失礼じゃない?」
大蛇との戦闘終了後、葛城は港エリアを横断。
港エリアの東の端、竹芝埠頭にやって来た。
空はもう夕焼け色に染まっている。
ここには葛城が空母と深樹区の行き来に使っているエンジン付きの小型ボートが停泊している。
葛城はボートに乗り込むと荷物を降ろし、エンジンを起動させて、陸地から離れた。
沖合を通過する葛城のボート。
ここまで来たら、海中から敵性生物が現れることもほとんどない。
葛城はボートを操縦しながら後ろを振り返り、夕焼け色の深樹区を眺める。
今日もあの街で多くの危険と遭遇した。
どこまでも自分を追いかけてきた狼の群れ。
その狼の群れを始末し、安堵した隙を突いてきた巨大毛虫。
極めつけは、あの緑の大蛇の襲撃。
それら全てに対して機転を利かせ、撃退した。
その瞬間を思い返すと、葛城は興奮が止まらなかった。
彼女は強敵や困難と対峙し、それらを突破するスリルに魅せられている。
「我ながら筋金入りの破綻者よね。皆にとって、あの街は多くの命を食らった恐怖の象徴。私だけが深樹区を楽しんでる。明日はどこに遊びに行こうかな」
夕日の陽光を浴びながら、葛城のボートは海上を往く。
彼女が持ち帰った資源で、今日も人類は生をつなぐ。