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幽霊の雨が降りしきる

作者: 路明(ロア)

 数年前から、地元では奇妙な現象が確認されるようになった。

 雨の日に、雨ではなく幽霊が降る。

 降り始めはパラパラという音ではなく、幽霊独特の呻き声から始まる。

 降りが強くなるにつれて呻き声は酷くなり、どしゃ降りともなると激しい呪いの言葉があちらこちらから聞こえるといった感じだ。

 そして地域中が、白い服を着た人型の落下物に包まれる。

 始めはもちろんマスコミが随分と取材に来た。

 葉子も会社の昼休みで外に出たところを捕まりインタビューを受けたが、テレビのニュース番組を見たらカットされていたようだ。

 せっかく彼氏の(たつる)に「テレビ映ってるかも」ってインタビューのあと電話したのに。

 ま、いいか、と思う。

 もう、別れたんだ。

 涙がじわりと出た。

 まだ仕事中だ。机の周囲では同僚が行き来している。ここで泣いている訳にはいかないだろうと思うのに、思えば思うほど涙が出た。

 (たつる)は他にも何人もの女性と付き合っていた。中には高校生までいたようだ。

 どういうことなのと詰め寄ったら、「言わなかったっけ」というようなことをヘラヘラと笑いながら言われた。

 結婚してもいいかなと思っていたのに。

 他の騙されている女性達にもこういう男だと知らせて、その女性達と手を組んで復讐してやるんだ。そこまで考えたが、仕事をしながら時間とお金を使って全部の女性を調査し、その女性達を全て説得し、あんな男は諦めて手を組みましょうと持っていく大変さを考えたら、段々と萎えた。

 悔しいし悲しいが、そこまでする執念もエネルギーも葉子にはない。

 このまま淡々と毎日の仕事をして時間が過ぎて行って、「今さら何かしても」って状態になるのかなとPCのマウスを動かしながら思った。

 その前に(たつる)には忘れられているのだろう。

 外から微かな呻き声が聞こえた。

 ああ、また雨かと思う。

 こっそりと自分のスマホを取り出し、ネットの天気予報を覗く。

 今では地元はこの現象をすっかり受け入れ、天気予報には、降水確率ならぬ「降霊確率」という項目が表示される。

 幽霊の降りがあまりにも酷いときは、土砂崩れならぬ幽霊崩れが起きる。

 幽霊に重さはないらしく、地盤が影響を受けることは無いのだが、異常な数の幽霊が折り重なり斜面を流れて行く様子が気味悪く、恐怖感を持つ人や目眩などの体調不良を起こす人が当初は続出したため、役所は幽霊注意報、幽霊警報、幽霊災害警戒情報などをネットに出すことにした。

 ここのところ梅雨に入ったようなので、軽い呻き声くらいはしょっちゅう聞こえてくる。

 葉子も周囲の人達も、今では慣れてあまり外も見なくなった。

 幽霊雨の現象が起こり始めた頃は、呻き声が聞こえるたびに社内の全員が窓の外を見上げて嫌な顔をしたりしたが、今ではそんなこともない。

 むしろ外を見れば、逆さまに落ちてくる幽霊と目が合ったりして、不快な思いをするのだ。外など見ない方がいいと学習した部分もあるといえる。

 (たつる)からラインが届いていた。

 「今日飲みに行かない?」とぬけぬけと書いてある。

 いろんな女性にバレては、シレッとこんな風に何事もなくライン送ったりして来たんだろうなと思った。 

 中には、心を入れ換えて自分とだけ真面目に付き合ってくれる気になったのね、なんて勘違いして更に遊ばれる女性もいたのかもしれない。

 そうはなるものですか。

 葉子はラインのアプリをグッと指で押すと、ツツッと動かした。アンインストールの表示の傍に持って来て、一瞬止まる。

 グッと眉根を寄せてアプリを見据えてから、思い切ってアンインストールした。

 ふうっと息を吐く。

 思ったよりスッキリした。もっと早くこうすれば良かった。




 夕方遅くの退社時には、幽霊雨は酷くなっていた。

 会社を出て近くの駅前の繁華街にさしかかった頃には、一気に視界が白く霞むくらいの降りになる。

 突然、スマホから不安を煽る電子音が鳴った。災害時のエリアメールだ。

 「幽霊崩れ災害に関する警戒レベル三を十八時に発令しました」とある。

 葉子は空を見上げた。

 凄い勢いで幽霊は降り続けていた。

 ごぼごぼという苦しそうな音に気付き周囲を見やると、道の側溝を塞ぐ金属製の網に幽霊が詰まり、呻いている。

 押し合いへし合いしながら白い服の人型が歪んで吸い込まれる様子は、シュールだ。

 地下道にも幽霊が流れ込んでいるようだった。

 どこぞの木綿の妖怪のようにひゅるひゅると地下道への階段を流されていくぺしゃんこに歪んだ人型。

 このままだと、地下道には幽霊が溢れていくのだろうか。

 とりあえず地下に行く用事はなくて良かったと思う。

 広い繁華街の道の前方も、白く霞んで目的地の駅が見えない。

 早めに駅に行こうと思った。電車に乗ってしまえば、あとは何とかなるだろう。あまり根拠はないが、そう思う。

 路上にもそろそろ水溜まりならぬ幽霊溜まりができ、パンプスを履いた足首に時おり幽霊の髪や指先が、すっと触れた。

 そのたびに「きも……」とは思う。

 しかし下手に下を向いて触れられた部分を確認すれば、幽霊と目が合って更に気味の悪い思いをするのだ。

 葉子は、足元を見ないようにして駅へと進んだ。

「葉子、こっちこっち」

 黒い傘を差した人物と擦れ違う。

 そちらを振り向く。

 (たつる)がいた。

 前日に何があったのか、すっかり記憶を喪失したのかと思うほど爽やかに笑いかけやがった。

 葉子は暫く睨み付けたあと、無視して先を進んだ。

 未練はちょっと残るけど、付き合い続けていい相手ではない。

 相手が(くず)でも情熱的に恋に賭けるという方でもない。

 ごく普通の恋愛をして、ごく普通の結婚がしたい。

 悔しいしモヤモヤするけど、ここはもう忘れた方が自分のためだと自分に言い聞かせた。

「こっちこっち。店、そっちじゃないよ」

 樹はグッと葉子の腕を掴んだ。

「何ですか、あなた。警察呼びますよ!」

 そう声を上げ葉子は手を振り払う。ここはもう、知らない人で通そうと判断した。

「付き合ってる同士でそれって」

 樹が苦笑いする。あくまで関係がまだ続いているという(てい)で話すつもりらしい。

「人違いです」

 思い切り睨み付け葉子はそう言った。

 樹を、すっと避けて駅へと向かう。

「いやいや、ちょっと待って」

 樹が追いかけてきて馴れ馴れしく腕を掴んだ。

「離してよ! 何人もの人と付き合ってる人なんて関係続けたい訳ないでしょ!」

 再び葉子は樹の手を振り払った。

「ああそれ……」

 苦笑しながら樹はそう呟く。

「誤解だって。全部ただの女友達でさ」

「アパートにご飯作りに来る女友達に、洗面所に歯ブラシ置いて行く女友達?! いい加減にしてよ。変だ変だとは思ってたの」

 そう。以前から、おかしいとは思っていたのだ。

 ご飯を作りに来た彼女とは、ちょうど彼女が帰る間際にアパートの通路ですれ違った。

 実家のお姉さんだと説明された。今にして思えば、彼女の側にも同じ説明をしたのだろう。

 歯ブラシを置いて行ったのは、男性の友達だと説明された。

 「泊まりに来る男友達がいるの? やだぁBLみたい」などと阿呆な冗談を言っていた自分が怨めしい。

 その他、玄関で気付いた香水の残り香は、宗教の勧誘に来た西洋人女性の香水がきつかったと説明された。

 部屋にあった女性用の下着は、アダルトグッズの店が勝手に試供品をポストに入れて行ったと言った。

 ベッドに落ちていた長い髪に至っては、「ここ実は事故物件でさ」などと説明されて、本気で樹の身を案じて引っ越しを勧めたりした。

 こうして並べると、騙されていた自分が本当に馬鹿すぎる。

 幸い、お金の被害まではまだなかったし、妊娠した気配もない。

 きっぱり忘れるべきだと思った。

「お前が嫌なら、全部の女と別れるからさ」

 樹はそう言った。言葉は殊勝だが、口元はにやついている。

 女なんて簡単に(たら)し込める、そう思っているだろう。

「ただの女友達と別れるって、変じゃないの。速攻で矛盾したこと言わないでよね」

「いやお前も、人違いって言う割にちゃんと話通じてるし」

 論破したつもりがすぐに返され、葉子はますます腹が立った。

「ともかく、もう別れたの。近付かないで」

 葉子は背中を向けた。

 ふと気が付くと、路上に随分と幽霊が溜まっている。

 道路の一部は、浅い川のようになって幽霊が流れていた。

 先を急ごうかと思ったが、前方の交差点の辺りで車が渋滞気味になっている。もしかするとあの辺りは、この足元の周辺よりも幽霊の流れる量が多いのか。

 幽霊に物理的な影響力は無いとはいえ、視界不良で事故になった例がいくつかあったと聞いた。

 幽霊の降りは、ますます酷くなっていた。歩いていてもあまり遠くの方が見えない。

 周辺を歩いていた人が、少しずつ最寄りの建物の中に入って行く。

 気味が悪いというのもあるが、あまりに酷い視界不良だと、外にいたらどんな事故に会うか分からないからだ。

 ますます幽霊の降りは激しくなり、周辺から聞こえる呻き声や呪いの言葉は大きくなった。

 すぐ傍にあった側溝からは、ごふごふと(せき)のような音がし、幽霊が溢れている。

 溢れた幽霊が足首に(まと)わりつく。ぬるりともフワリともつかない気持ちの悪い感触に、葉子は「きゃっ!」と悲鳴を上げた。

 馬鹿な男に関わってる場合じゃない。

 葉子は咄嗟に手近な貸しビルの非常階段に昇った。

 四階か五階辺りに開いた扉が見える。あそこから中に入れるだろう。

 苛々(いらいら)を足にぶつけるように、葉子はわざと大きな靴音を立て金属製の安っぽい階段を昇った。

「いや待って、葉子」

 ヘラヘラと笑いながら樹が追いかけて来る。

「なに来てんの、あっち行って!」

 葉子はそう怒鳴りつけた。

「いやいや、他に避難するとこないしさあ」

「いったん降りて、他の建物行けばいいでしょ!」

「道路、幽霊の洪水になってるよ、もう」

 樹は下を見た。

 ついさっきまでいた歩道は、足首まで浸かりそうな幽霊の洪水になっている。

「世界中の死人が集まってんのかねえ。何でこの地域にだけ」

「知らない」

 葉子はつかつかと階段を昇り続けた。

「今まで地球上で死んだ人全部が集まったら、こんな数かな? これじゃ利かない?」

「知らないって」

 三階くらいの位置だろうか。葉子は踊り場の数を確認した。

「なあ、今回だけは勘弁しない? 葉子」

「どちら様ですか? 馴れ馴れしく呼ばないで」

 つかつかと葉子は階段を昇り続けた。

「人を信じられない人って悲しくない?」

「信用できない人ほどそれ言うって、よく分かった」

 苛々(いらいら)と葉子は言った。

 四階の踊り場に着く。

 開いている扉はこの上かと葉子は見上げた。五階だったのねと思う。

 馬鹿な男は無視して、つかつかと上がる。安っぽい金属の階段は、パンプスが滑りがちで少し危なさを感じたが、子供でもあるまいし気をつけていれば平気だと思った。

「葉子、ちゃん?」

「うるさいよ」

 五階の踊り場。

 扉は相変わらず少し開いたままだった。

 誰かが来て閉めようとしたら、大声を上げて待ってくれるよう頼むつもりだったが、どうやら大丈夫だったみたいだ。

 中をそっと覗き込む。

 ビルの階段があった。人の姿はなく、扉の枠の上には非常階段の誘導灯が付いている。

 入っても大丈夫よねと思った。貸しビルだから、元々いろんな人が出入りしてるでしょうし。 

 足を踏み出そうとした。

 その時だった。

 扉のすぐ上の天井から、どろっと人が逆さまに落ちて来た。

 死んだ直後の人のような、表情のなく見開かれた目と半開きの青い口元。目が合った。

「きゃ……!」

 葉子は思わず後退った。そのまま非常階段の手摺(てすり)を乗り越え、下に落ちる。


 雨漏りならぬ、幽霊漏り……。

 地面に落下しながら、そんなことを考えた。




 今日も地元には、幽霊雨が降っている。

 途切れることのない呻き声を上げながら、町を白く霞ませていた。

 葉子は、幽霊の姿で雲を突き抜け地面に逆さまに落ちていた。

 そのうち地面に叩きつけられ、どろりと流れ、路上を流れて空に昇りまた同じことを繰り返す。

 死の直前に樹と揉めていたせいなのか、葉子は高確率で樹の上に落ちることが多かった。

 相変わらずこの男は、何人もの女性に上手いことを言って付き合っていた。

 最近は、「本気で結婚を考えていた恋人に目の前で死なれた」と言って女性の同情を買ったりしている。

 あの時、助けてくれる気もなかった癖に。

 ただひとこと「葉子?」とだけ言って落ちるのを見ていた癖に。

 

 怨めしい。


 雲を突き抜け、住んでいた街の上空に来る。

 傘を差して空を見上げる樹の頭上に、まっ逆さまに葉子は落ちて行った。

 目が合う。

 その瞬間葉子は、あらん限りの呪いの言葉を浴びせてやった。



 終





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