3. 王家の呪い
「お嬢様、失礼致します」
控えめなノックと共にドアの外からハリーの声がかかります。
もう少し遅ければ、わたくしはレオニールに抱きしめられていたでしょう。
ふたりの距離を置いて入室の許可をすると軽食とお茶の用意をしたハリーとメイドが入ってきました。
わたくしはすぐに書き物机に向かい、用意しておいた書面を広げてレオニールに見せ、二人でサインを書き込みました。
ハリーに早馬で書面を王宮へ送るようにお願いすると、わたくしにだけわかるように目で語りかけてきます。
(またですか?……今度は何をお考えで?)と、問うているようです。
今回は秘密裏の手紙ではなく正式な書面だと用紙を見ればわかるのに、心配と悪戯心が混ざったような目の色。
「変な事は書いていないわよ。わたくしが殿下の婚約者を辞退する事と、レオニールと結婚して侯爵家を継いで貰う事になったという報告よ」
「!……それはそれは。おめでとうございます」
「あら、婚約者辞退がめでたいの?」
「大変恐れながら、私めにはお嬢様の御相手には王太子殿下よりもレオニール様の方が相応しいと思えますので」
「まぁ、本当に恐ろしい事を言うわね。場合によっては不敬罪よ」
「ああ、老いぼれの戯れ言ですのでどうぞご内密に」
思わず三人でクスリと笑ってしまいました。
「お父様はもう婚約者交代について書かれているでしょうから、こちらを添えていただければ良いかと思ったの」
「流石はお嬢様。承知致しました」
ハリーの目がキラリと光ります。
残念な事に、父がここのところ若干評判を落としているのは事実です。
以前からアマンディーヌの奔放な振る舞いを諌めなかった事と、義母と共に遊び耽っているのが主な原因ですが、婚約者交代を殿下から提案された時の態度も王家の信用を失ったのでしょう。
父の書いた親書だけでは信用されず王家がわたくしへ事実確認をする為に使者を立てるのは明白です。その手間を1つ減らした方が良いと思ったのです。
―――――それでも確認には来るでしょうが。急がねばなりません。
「わたくし、疲れたので休ませて頂くわ。暫く誰もこの部屋には近づけないでくださる?」
皆にそう言ってわたくしは自室に鍵をかけました。すぐさま隠し部屋に入り、蝋燭をつけます。
揺らめく炎に照らされた祭壇は生臭く、おぞましい鉄の匂いがします。
わたくしは慎重にドレスの左腕だけを脱ぎます。左腕に巻いた包帯を取ると、まだ生々しい傷が表れました。
ハンカチを咥え祭壇に置いてあったナイフを取り、ゆっくりと傷口に突き立てます。
「ぐぅっ……」
焼けるような痛みのあとに、傷口から鮮やかな赤い液体が帯となってわたくしの手をつたいます。
わたくしは祭壇の上に書かれた陣に血を垂らしていきます。
「――――――――血が、足らないわ……」
これがわたくしの、あの人に対する復讐の第一歩です。
◇◆◇◆◇◆
「お嬢様、宜しいでしょうか」
ハリーがドアをいつもの控えめなノックで叩きました。ただ、その声には僅かに緊張が含まれています。
「どうぞ」
許可をするとハリーとレオニールが入ってきます。
「お休みのところ、申し訳ありません。奥方様がフロレンスお嬢様にお尋ねになりたいことがあると……」
苦しげなハリーに笑顔で答え、長椅子から立ち上がります。
「わかったわ。行きましょう」
「申し訳ございません。お嬢様はお休みだとお伝えしたのですが、酷く取り乱されたご様子で……」
「いいのよ。今は見ての通り長椅子でうたた寝をしていただけですもの。それにこれ以上あの方達と揉めたくはないわ」
わたくし達はサロンに向かいます。大階段を降りる時にレオニールがわたくしの手を取ってくれました。
そのような気遣いをかつての婚約者であったユベール殿下には一度も頂けなかったことを思い出し、わたくしの心は晴れないままでした。
サロンの扉を開けると、父と義母がわたくしの顔を見て立ち上がりましたがアマンディーヌは座ったままです。こちらを見もせず、力無く俯いています。心なしか震えているようです。
「この女が!! この女が毒を指輪に仕込んだのよ!!」
義母が顔を醜く歪ませ、わたくしを指さして叫びます。
「……毒?なんの事でしょうか?」
突然不躾な、しかも心当たりの無いことを言われて、わたくしはそう答えるしかありませんでした。
「こっちはアマンディーヌが王子から聞いて知ってんのよ! アンタ王宮の図書室で本を読みまくってたそうじゃないの! そこに書いてあった毒を婚約指輪に使ったのね!!」
「……お義母様、仰ることがわかりません」
「じゃあ何故こうなったのよ!!」
再びアマンディーヌに目をやると、左手を抑えながら震えています。顔には脂汗が浮いているようです。
あの婚約指輪をはめた左の薬指が、赤黒く変色し腫れています。
「わたくしは誓って毒など使っておりませんし、所持もしておりませんわ。何でしたらわたくしの部屋に毒物が無いか調べていただいて結構ですし、その指輪を口に含んでも構いません!」
わたくしはきっぱりと答えました。
その勢いに、父の態度が軟化するのがわかりました。流石に義母の言う事を鵜呑みにするのは愚かだと今更気づいたのでしょう。
「それに婚約指輪をわたくしが手ずからアマンディーヌに差し上げたわけではありません。それなのに彼女が今日この指輪を身につけると予想して毒を都合良く仕込めるのですか?……ねえ、ハリー」
ハリーへそう声をかけると、彼が前に進み出ました。
「先程もお伝え致しましたが、アマンディーヌ様は本日フロレンスお嬢様が居ない間にお嬢様の衣装室に入り、勝手に婚約指輪を持ち出されたのです」
「本当か、ハリー」
父はハリーに問いますが、その声には疑いの色は混じっていません。
最初にハリーが暴露した時のアマンディーヌの態度で真実だとわかっているのでしょう。
「私がアマンディーヌ様のおそばにいながら、お止めできなかった事をお詫びします。あの時アマンディーヌ様は私をクビにすると仰せになりました。それでも身体を張って止めていれば、このような事にはならなかったでしょう」
父が深い溜め息をつきました。
「いや……いい。ハリー、お前は良くやってくれている。フロレンス、疑ってすまなかったが、お前は何もしていないんだな?」
「お父様……あの……」
わたくしの歯切れの悪い言葉に、義母が再び噛みつくように叫びます。
「ほら! やっぱり毒を仕掛けたんでしょう!!」
「違います。ただ……先程のわたくしの発言で、王家に拘りすぎる、とお父様が仰っていたので……」
「なんだ。フロレンス、言ってみろ」
父に促され、わたくしはぽつりぽつりと呟きます。
「わたくしは確かに王宮図書室で様々な文献を読みました。……その中には毒物以外の内容も記されています。……たとえば古に伝わる王家の呪い等です」
「呪いだと!?」
「王家の指輪を、それにふさわしくないものがはめるとその指は腐り落ちる……と」
その言葉を聞いた義母と義妹は揃って顔を蒼白とさせました。
「アマンディーヌが王家にふさわしくないというの!?」
「……というよりも、その婚約指輪はわたくしが王家より賜った物でした。わたくし以外の方が無理に指輪を身につければどうなるのか、お考えにはなりませんでしたか?」
義母はアマンディーヌに駆け寄り、指輪に手をかけました。
「早く外しなさい!」
「だからさっきから言ってるじゃない!!外れないのよ!! 痛い!!」
涙目で怒鳴るアマンディーヌ。義母は恐ろしい形相でハリーに言いつけます。
「指輪を壊せばいいわ! 何か道具を持ってきなさい!!」
それを聞いたわたくしはレオニールや父と素早く目を合わせます。
たとえ呪いの指輪だったとしても王家から賜った指輪を壊したりしたらただではすまないでしょう。父もわたくしと同じ考えなのではないでしょうか。
ただ、アマンディーヌの指がかかっている時に指輪を壊すなと口にするのは憚られました。
「伯父上、フロレンスは元々気分が優れなかったんです。もう部屋に連れていってもいいでしょうか?」
「……ああ、そうだな。部屋へ戻れ」
「お父様、失礼致します」
自室に戻ったわたくしは、レオニールとふたりきりとなり手を握られました。
「フロレンス……お願いだから、本当のことを言ってくれないか?」
「何をですか……? わたくしは今まで嘘など口にしていませんわ」
「じゃあ、これから僕が訊く事にも嘘はつかないで欲しい。……アマンディーヌに毒以外の何を使った?」
「!!……」
レオニールの目をみればわかります。このひとは、アマンディーヌではなく、わたくしを心配して訊いているのだと。
「僕は愚かだったよ。この間君が『アマンディーヌがはじめの内、貴方にどんな手紙を送ったの?』と訊いてきた時に、喜んで手紙を見せてしまった。アマンディーヌが嫌いだったのもあるけど……僕は、君がやきもちを妬いてくれたのかと思っていたんだ」
「ああ…レオニール、ごめんなさい。わたくしは貴方を利用したわ……」
ふたたび、深い後悔と罪悪感がわたくしを襲いました。レオニールはしっかりと、でも優しい目でわたくしをずっと見つめてくれています。
「さっきの事だってそうだ。僕は君の言葉に振り回されて愚かにも有頂天になり、その時は気づけなかった。でも君は事前に婚約者交代と僕たちの婚姻報告の書面まで準備していた。こうなる事がわかっていたからだ」
「……」
「もし君が嘘をついていないなら……ユベール殿下の事を想っていなかったのなら、アマンディーヌに復讐する必要はない筈だ」
レオニールは自身を愚かといいますがそれは間違いです。過去、わたくしの祖父や曽祖父は賢臣の誉れを度々獲てきたと聞いています。そのドルイユ侯爵家の血を彼は立派に受け継いでいるのです。
「君が想っていたのは……あの御方なんだね?」
ついに真実を突き止められ、わたくしはゆっくりと頷き、そのまま視線を下に落としました。
「じゃあアマンディーヌは関係ないだろう? 君は本当は誰に復讐しようとしているんだ?」
――――――それも見抜かれているなんて。
アマンディーヌの事は、わたくしの復讐の布石。
わたくしはずるいから、練習台にアマンディーヌと婚約指輪を利用したのです。
本命は、今朝一番に秘密裏に出すようハリーにお願いした手紙。
レオニールから見せて貰ったアマンディーヌの手紙の書き方と筆跡を真似て、いかにも義妹が書いたかのように「もう少しだけ待って。フロレンスは今日にでも諦める。私達の愛を込めて」と書いた手紙に指輪を入れたのです。
正直賭けではありますが、あの短絡的なユベール殿下なら指輪をはめてくれるとふんでいます。
丸一日わたくしの血に浸した、呪いの指輪を。
次回完結です。
フロレンスは多分口に出している台詞では、嘘はひとつもついていません。
事実誤認をさせるような事や、曖昧な事は言ってます。