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異世界でくらい言わせてもらう  作者: Nakajima
亜人との邂逅
2/6

1 『生れでるもの』

……突如、鮮烈な光が刺す。


 暗く寂しい、何も感じない場所から引き上げられるような、落下したような、そんな訳の分からない感覚は睡眠状態からの覚醒とも似て非なる感覚だ。ボーッとしていた意識と思考も鮮明になった。


 閉じていた視界、瞼の裏側が赤く染まる。へたりこんでしまってから徐々に失われた手や足、地面に接していた尻の感覚も急に戻ってくる。硬い地面に尻餅をついている体制を体の様々な器官で感じる事ができる。


 瞼を閉じていても伝わってくる強い光に目が眩み、それを手の甲で擦るようにしながら目を開ける。


 暗闇に慣れた目に光が飛び込んでくる衝撃。しかし、それを一瞬で凌駕する驚きが襲う。普通なら声をあげてしまうであろう光景にも仁は声を出さない。ポカンと口を開けて唖然としてしまう。


 見知らぬ場所に居た。


 校舎裏の倉庫にいたはずだ。意識が戻った途端に知らない場所で目を覚ます、という訳の分からない状態に混乱してしまう。目の前に広がる光景がもし、天井であったのら理解は出来る。倒れていた仁を発見した誰が病院や保健室などに運び込んで寝かされていたのだろう。


 しかし、これは理解が出来ない。


 目の前に広がるのは、大通り。


 とは言ってもコンクリートで出来た鼠色の綺麗な道ではなく、大きめの石を綺麗に並べて舗装された道。その奥に見える建物の材質は木材や石材。立派な造りの建物ではあるが、およそ日本で見られるような物ではなく少しばかり文明の劣ったヨーロッパ風。商店街のようなその通りを見ただけでもここが日本でない事は一目瞭然だ。その景色に先程、開いてしまった口はまだ塞がっていない。


――此処はどこなのだろうか?


 先程から、それしか考えてないのだが答えは全く出そうにない。ヨーロッパ風の建物という感想から此処が外国なのかも知れないと思い改めて周りを見渡せば通りを歩く人は金髪や茶髪が多く、顔立ちも彫りの深い濃い顔つき。端的に言えば外国人ぽいのだ。しかし、往来で倒れ込んでいる変人に一瞥を送る人々の格好は外国だとしても違和感がある。


 服装のレベルが明らかに低い。


 服装のレベルなんてよくわからない表現だが、これは何も卓越したファッションセンスからくる評価などではない。むしろ、薄汚れた学生服を着ている自分の方がそういう意味では、レベルが低い可能性すらある。


 今、ここでいう服装のレベルとは造り自体の話だ。日本で見られるような綺麗な洋服とは違い、彼らの身を包むのはもっと簡易的な「布の服」という名前がお似合いのものが多く見受けられるのだ。中には、民族衣装的な独特の服や露出の多めのものもあるが何にしても現代社会に生きる人間の服装ではない。


 そして極め付けは、たった今、目の前を通り過ぎた移動手段だ。移動手段という婉曲な言い回しをしたのは、知識では知っていが、実物を目にしたことは無いもの、馬車であっだからだ。観光地などの催し的なものならいざ知らず、大通りを当然のように馬車が通り行く国など聞いた事がない。二頭の馬の引く美麗な装飾の施された四輪の箱型の木造物にガラスの窓を嵌め込まれたそれは、貴族の馬車と言われてまず思い浮かべるような物であった。


 死んだと思ったはずが、目を開けば見知らぬ地、文明レベルの劣ったヨーロッパ風の建築物と珍妙な衣服に身を包んだ外国風の住人、加えて通りを行く馬車、これだけの条件が揃えば思い浮かぶ選択肢は1つ。


――ここは、異世界……!?


 オタクと呼ばれるほどでは無いが、割と好きで人気作であればある程度見ていたアニメのいくつかに異世界召喚や転生などがあったが恐らく後者の現象が自分の身に起こったのだろう。あのコンクリートの密室で命を絶たれた後に異世界で目を覚ます。という異世界への転生が我が身に起きたのだ。


 思考はまとまりつつも現実味の無い事実に困惑は収まりそうに無いが、こんな往来でへたりこんでいては変人だと思われるのは免れない。この世界で生きていかなくてはならないのであれば、そんな評価をつけられては何かと生きづらくなってしまうだろう。ただでさえ、黒目黒髪に学生服。おまけに塩顔の自分は悪目立ちする可能性が高いのだ。そこまで、考えてから立ち上がり衣服についた汚れを叩いて落とす。3年間、ほぼ毎日のように身につけていた金のボタンのついた黒い学ランは色褪せてはいるものの、汚いという事はないし新たな衣服を手に入れるまでは大切に使用しなくてはならない。それに、他に持ち物は見当たらないため唯一の日本の思い出の品なのだ。


 立ち上がり、あたりを見渡す。しかし、考え事をするにしても先程までへたり込んでいた奇妙な見た目の男に向けられる目は、あまり良い感情のこもった物ではなく居心地は良くない。そう思い、思考を巡らせながらも俯き加減で適当な方角に歩き出す。


 まず、自分のいる場所が異世界だと認めた上で考えねばならないことは今後の身の振り方である。現状、選択肢は大きく分けて2つある。日本へ帰る、生き返る方法を見つけ出すという選択と、この異世界で生きていくという選択。王道の異世界ものであるならばストーリーの軸はこの2択の選択から始まる。


 日本への未練云々で言えば正直に言うとあまりない。友人と呼べる人間もいないことも無いが、取り繕った自分が上辺で接してきた者たちばかりだ。無論、原因は自分の方にあるのだが帰りたいと強く願うほど自分にとってかけがえのないほどのものでも無い。


 であれば、家族はどうだろうか?


 本音を言うと友人と比べても更に未練たりえないだろう。父と母は、言葉を話せない自分よりも期待と愛情を出来の良い弟に向けていたのは明らかであったし、そのせいでお互いにどこか遠慮のあった弟との関係は微妙な距離感であった。かと言ってネグレクトなどは無かったし、それなりに慮ってくれては居たので感謝はしている。

 しているが、こうなってしまった以上は仕方がないだろうと割り切れる程度のものだ。


 第一に戻る方法、日本で生き返れる方法などあるのか?


 例えば、神やら女神やらにドラゴンや魔王を倒して欲しいなどと言われたのであれば、それと引き換えに現実世界で生き返るとか願いが叶うなどあり得るだろう。

 しかし、仁の場合は死んで意識が戻ると、いつのまにかこの場所にいたのだ。であれば、誰かに現実世界に送り返してもらえると言うパターンはまずない。あるとすれば、この世界における強大な敵を倒すことや、何か偉大な事を為すと気づいたら日本にいたり、その際に復活した女神に生き返らせてもらうなんて線もないでは無いが……


 あまりにも現実味のない話だ。まぁ、異世界転生などしておいて現実味の無いなんて言葉もどうかとは思うのだが……


 それに、そこら辺の異世界人に「現実世界、日本に帰るアイテム知りませんか?」なんて聞いたら変人認定は間違いなしだ。下手をすれば狂人認定を受けて誰も真面に話を聞いてくれなくなることすらあり得る。

 ただでさえ、言葉を話せないのに……


――というか、どうすればいいのだ?


 いきなり何を? と、言われれば全てだ。言葉は通じるのだろうか?訳のわからいフレーズではあるが"一般的な異世界もの"であれば言葉は同じだが文字は違うというものが多い。


 実際に耳をすませば、大通りを行き交う人の話し声から聞こえて来る言葉は言い回しなどに違和感のあるものもあるが日本語である。しかし、商店街の店先に置いてある看板や様々な場所に書かれている象形文字のようなミミズののたくった様にしか見えない。あれが文字であるとするならばやはり、読解は不能だ。もし、都合よく自分の書いた文字が自動翻訳でもされてくくれば良いのだが、望み薄だろう。手話が通じる確率などは、更に低いだろう。なんせ、日本でもそうそう通じなかったのだから。


 であれば、どうすれば良いのだろうか?


 リアクションと表情のみで、「言葉も話せず、文字も書けません。文字を教えてください」と伝えるなど一休さんだって、ツルツルの頭を掻きむしるような難易度だ。


 脳内の一休さんを模倣して頭を掻きむしりたい衝動に駆られるが、変人扱いは困る。間違ってでも職務質問の類などされよう物なら、とんでもない事態に発展する未来が幻視できるため眉間を揉む事で衝動を落ち着かせる。


 先程の思考の続きとして、消去法で考えて「異世界で生きていく」をまずスタンスに置くとして、生きて行く方法を必死に考えなければならないと気づいた所で足が止まる。


 大通りから続く広場に出て来た人だかりに顔をあげる。広場の中心を囲む様にしている人達は集まりの中心で行われる出来後に注目している様で、その表情は様々であった。

 軽蔑の様な視線を送る者もいれば、憐れみの目を向ける者もいる。少数ではあるが、頬を紅潮させて痴漢のように性的な興奮を露わにしている者さえいる。


 その、異様な景色に仁はつい足を止められてしまったのだ。


 未開の新天地で何か少しでも情報を得たい仁は、不用意ではあるかもしれないが騒ぎの原因を確かめるべく人を押し除け、間を通り抜ける様にして歩を進めて行く。


 人だかりを抜けたところで、異様な光景が生み出す情報量の多さに目を見開き、驚きを隠しきれない。


 まず初めに、仁の目を奪ったのは二人の男間に挟まれる様にして膝をつかされる女だ。

 深緑の瞳は鋭くも美しい切れ長の目で、高く整った鼻は可愛いというよりも美人という言葉を強く連想させる。恐ろしいほど整った顔に長く艶めく瞳と同じ色の緑色の長髪。人間とは思えぬ造形美の如き女は、やはり人間では無いのだろう。その証拠に、長く尖った耳は彼女の美しさを削ぐ事は全くないが、人間でないことは如実に表している。


 美しい外見に尖った長い耳、この情報だけである程度にアニメや漫画の知識があれば思い当たる種族がある。


 エルフ。森の妖精、エルフだ。


 大通りですれ違う全ては人間であった為、思い浮かばなかった亜人種の存在に美しさも相まって目を奪われてしまう。しかし、それ以上に目が離せない理由は彼女の存在よりも彼女を取り巻く景色だ。


 身に纏っているのはボロい布切れを服のように縫い合わせ、安易に仕立てたボロい服は、日本ではあり得ないような粗悪品である。黄ばんだような色の衣装は、彼女の美しさと比較されることで、より一層に不快なものとなっている。しかし、それ以上に彼女の格好には不愉快な点がある。恐らく美しいであろう口に嵌められた猿轡と白く細い、しなやかな腕にはめられた手錠だ。手錠の鎖は、片方の男の手に握られている。


 詳しい話や背景までは分からないが、この状況を見る限りある程度は想像もつく。エルフの彼女は、奴隷のように扱われているのだ。何が行われるのかは想像もつかないが気丈さの中に、悲壮感の漂う彼女の鋭い瞳から良くないことである事はわかる。この大衆の面前で見せ物とされるのだろう。


 助け出してあげたいとは思う。だが、そんな衝動的に動けるほど仁は勇敢でも愚かでも無かった。観衆はこれから行われることを望んでいるのは分かりきった事だ。助けるとすれば、少なく見積もっても二十人は敵に回すことになるだろう。


 そして、何よりもも問題なのはエルフを挟むように立つ二人の男だ。金属製のフルプレートに身を包んでいおり腰には剣をぶら下げている。俗に言う完全武装というやつだ。敵に回すには武器も力もない仁には分が悪すぎる。


 そもそも、何故に彼女はあんな事になったのかが分からない。というのも、彼女が凶悪犯という可能性もある。犯罪者を公開処刑にするという可能性もあるのだ。ここが日本ではない以上あり得る事だ。それを、正義漢ぶって助け出したとしたら善良な市民に甚大な被害を及ぼすかもしれない。周りに聞くことも叶わないのだから迂闊な行動には出れない。


 これは、仕方がない。様々な状況を考慮すれば助け出さないのではなく助け出せないのだ。仕方がないことだ。


――


―― ――また、言い訳か?


 突如、頭の中で誰かに言葉を投げかけられる。いや、誰かではない。声の主などわかっている。


 自分の声だ。生まれてからまだ言葉を聞いたことの無い、自分の声だ。


 いかに上手いことコミュニケーションを取ろうとも、人との違いを認めない人間に虐げられた過去は仁にもある。声が出ないせいで、嫌がらせを受け、心ない言葉を浴びせられた。そんな男のあげる、己への発破だった。


 声が出ないから、力がないから、助けてはいけない可能性もあるから。そんな、理屈をどこまでこねても言い訳だ。異世界にくるまで言い訳尽くしの人生を歩んできて、それを盛大に後悔したくせに……。それでも、また新たに歩み始めた人生で尚、自分は言い訳をするのか?


 完全武装がなんだ?周りの数がなんだ?どうせ、一度は失った命だろう。自分の命程度、人助けの為にかけたってお釣りはくるだろう。ならば、唯一の懸念は公開処刑の可能性だが、それも低いだろう。亜人のいる世界にも関わらず、この都市には人間しかいない。観衆も犯罪者に怯えるような素振りはなく、ショーを楽しむような視線ばかりだ。軽蔑の視線も、男二人ではなくエルフの女性に向けられたものだ。

 つまりは、差別なのだろう。自分と別の存在を虐げるなど人間にはよくあることだ。仁にも身に覚えがある。この光景は、どう見てもそういう状況だろう。


 仁のその考えは次の瞬間、フルプレートの男の声で肯定される。


「皆のもの、刮目せよ!! この薄汚いエルフにも我々、人間が慈悲を与えてやろうと言うのだ! その命を持って我が帝国に献身させてやる!」


 薄汚い声だった。金属製の兜で隠れた顔は見えないが、上擦った声は下卑た笑みを浮かべるクソ野郎を想像させるには十分すぎる要素だった。そして、観客達は歓声と罵声をあげる。

 しかし、良かった。


――これなら、迷いはもうない。


 覚悟はもう決まった。唯一の懸念も完全に払われた。これでもう、勇敢で愚かになれる。一度は失われた命など勿体ぶることもなく掛けられる。仁の決意が固まっている間にも男の言葉は続いていた。


「これを見よ!」


 取り出されたのは、短刀。過剰な装飾の施された異様な輝きを持つ刃に、柄の部分の先端に不恰好な広がり、漏斗のようなものが付いている奇妙なナイフだ。


「これで殺すことで、此奴は血晶石の源となることが出来るのだ!!見よ!」


 男の言葉に歓声が上がり、男はそれに合わせるようにナイフを振り上げる。


 チャンスは、今しかない。


 仁は、エルフの彼女を助けるべく、全力で走り出す。目掛けたのは、鎖を握る男だ。


 観客の一人の突然の奇行に、男二人はフルプレートの下でも動揺を隠しきれず目に見えて狼狽える。観客は何が起きているのか理解出来ずにいる。全体に明確な隙が出来た。


 少なくとも日本では足の速い部類であった仁は、男との数メートルの距離を一瞬で詰める。ちなみに転生した結果、身体能力の向上などの特典はなかったらしい。


 男の数歩手前から、歩幅を合わせて渾身の力で蹴り上げる。蹴り上げたのは、鎖を持つ男の手。かなりの勢いであった為、指の2、3本折れてもおかしくはないその衝撃に、鎖は手から離される。


 手甲を蹴り上げたつま先は鋭い痛みを訴えるが、かまっている暇はない。


 拘束は解かれていない為、彼女に自由は戻らないが男の手からは放たれた。


 痛みに膝をつき手を押さえ込む男と、まだ状況の整理が出来ていないナイフの男には目も暮れずにエルフの膝裏と背中に手を回し、お姫様抱っこのように抱き上げる


 一瞬の動揺を見せたが、仁の行動の意味を素早く理解したのであろう。彼女は、鎖で繋がれた腕を、仁の首にかけるように手を回してくる。


 特別に力が強いということは無いが、細く軽い彼女は抱き上げて走っても問題はないだろう。逃げ切れる保証はどこにも無いが可能性はゼロじゃ無い。ゼロじゃないなら、もう言い訳はしない。


「おい! 待て、貴様!!」


 決意とともに走り出す仁を見て、ナイフを持った男も状況を飲み込めたのだろう。怒鳴りながら追いかけてくるが遅い。「取り押さえろ!!」などと、怒鳴ってはいるが突っ込むようにして向かってきた狂人に観衆は後退り、道を譲ってしまう。遮るものが無くなったのを確認して走り続ける。追いつかれては終わりなのだ。


「おぉゔう?」


 猿轡をされたエルフの声だ。上手く喋れない彼女の言ったことの内容は「どうして?」などのニュアンスだろう。悪いが、今は無視だ。身振り手振りでそれに答える余裕は無い。あったとしても明確な答えも持ち合わせてはいないのだが。


 とりあえず、細道を探し入り込もうと考えて走りながらも周囲を見渡す仁の背後で予想外の事態が起こる。人が追いかけてくると思われた背後から、轟音が鳴り響く。


 耳をつんざくような爆発音に驚いて振り返ってみれば、先程の広場から爆炎が上がっていた。腕の中のエルフの仕業かとも思い、顔を下げるが彼女にも同様に驚愕の感情が窺える。しかし、仁のそれとは微妙に異なるものだ。


「あゔぅ!?」


 やはり、聞き取れはしないのだが恐らくだが人名だろう。しかし、それらの事態の全てに取り合っている余裕のない仁は直ぐに向き直して再び走り出す。


 突然の爆破テロに市民が数十メートル走ったあたりで、やっと見つけた路地裏に入った瞬間、なんの気配もなかった背後からいきなり声がかかる。


「そのまま真っ直ぐにすすんでくれ。話はそれからだ」


 低く太い、日本であればイケボと言われるようなその声の主は男性ということはわかる。逆にそれ以外は全くの不明だが、敵意は無いように思えるた。日本という安全な場所で育った仁の危機察知センサーは、いまいち信憑性に欠けるが、取り敢えずは従い振り返らずに走り続ける。なにより、腕の中のエルフはローブの男を知っているようだ。


 明らかにローブの男が原因だろうが、少し悲しげな表情とともに静かになったエルフの猿轡と拘束はもう少し付けたままで我慢してもらう事にする。仁もエルフの彼女も、両手は塞がっている。更に、さっきは気がつかなったが足首にまで付けられた錠を外す手立てがない為、一旦おろすなんて選択はロス以外の何にもならないからだ。加えて、彼女が喋れるようになったとしてもどうせこちらは喋れないのだ。


 息を切らせながら振り返らずに走り続ける。しかし、さっきの爆発による被害が余程、甚大だったのだろうが追手の類は全く来ない。


 ぴたりと背後をついてくる男と共に路地裏をひたすら真っ直ぐ、2分も走ったあたりで自分のセンサーが間違っていた事に気がつく。


―― 騙された……


 行き止まりだ。細道の終着点は完全に行き止まりになっており、正体不明の男と壁に挟まれる形になってしまう。絶対絶命だが、ここまで来たなら彼女だけでもどうしても助けたい。何か方法は無いかと思考を巡らせる途中で背後から声がかかる。


「大丈夫だ、行き止まりではない。少し待ってくれ」


 その声に嘘はないと、またしても頼りないセンサーが反応した為に状況を彼に委ねる。男は、ようやく前に出てきて仁の視界に入る。しかし、未だに正体は不明。というのも、仁より一回り高い長身を全て包むようにして、すっぽりと頭から黒いローブを被っており顔すらも見えない。目につくものがあるとすれば頭から不自然に二本の突起が確認できる程度だ。


 前に出た黒ローブは、いきなり地面に手をつくと舗装の為に敷かれている石畳の一枚に手をかけて持ち上げる。下に続く穴ができており、側面に梯子が設置されている。


「彼女をおぶって、中に入ってくれ」


 何を偉そうにと思うが、致し方ないだろう。彼の体では、おぶって穴に入ることは穴と体の大きさ的に不可能だ。しかし、問題は信じて良いのかだ。これが、もし騙し打ちの類であったなら穴に入ればジ・エンドだ。今更だが信じても良い相手なのだろうか。そんな、仁の内心に気づいたのか男はこちらを見て口を開く。


「いきなりですまない。だが、信じて欲しい。ここでは、見つかるのも時間の問題だ」


 確かに男の言う通りだ。何よりも腕の中のエルフがこちらを見つめながら頷いたため、素直に従うことにする。穴の前で一旦彼女をおろし手錠に繋がれた腕の輪を潜る。おぶるといっても足枷が嵌められているし、梯子を降りなければならない為、この細腕を肩にかけることで踏ん張ってもらうしかないのだが。


 2人分の体重を支えながらである為に滑らないようゆっくりと梯子を降りていく。薄暗い穴は、当たり前だが奥に行くほど暗くなっていく。しかし、あまり深さはなかったらしく直ぐに下に着く。彼女をゆっくりとおろしたあたりで声がかかる。


「よし、大丈夫だな?」


 人間達に見つからぬように、穴の入り口で見張りをしていた男から声がかかり少し焦る。返答のしようがないし、ジェスチャーをしても、こちらは暗くて見えないだろう。一瞬、狼狽えそうになるが彼女の猿轡を外せば良いのだと気づき急いで外す。というか、そもそもさっき外してあげれば良かったのだと思い至り、気の利かない自分に少し反省しながらも外し終える。彼女は、こちらに頭を下げながら「ありがとうございます」と高く美し声で一言、短い感謝を述べてから上に向かって大きな声を出す。


「はい、大丈夫です!」


 男は了解の意を示すと自分もその大きな体で梯子に足をかけて穴に入り、再び石畳を元の状態に戻して蓋をする。完全に真っ暗になってしまった。


 音だけの情報しか無いが、なんとなく男が目の前まできたことはわかる。


「クライン・ヴァルム」


 低い声で意味不明の言葉が告げられた次の瞬間、光が灯る。正確には、男の掌の上で火の玉が発生していた。驚くべき現象に目を見開いてしまうが、ここが異世界であると知る仁は魔法という答えに辿り着く。そんなことを考えていると、いつ間にかエルフと黒ローブが目の前で深々と腰を折り頭を下げている。


「どういう理由があるのかはわからない。わからないが、とにかく感謝を。貴殿がいなくては私は彼女を、妻を無事に救うこと叶わなかっただろう。ありがとう」


「本当にありがとうございます。私どもに出来ることで有れば何でもお礼をいたします。貴方には返しきれないだけの御恩があります」


 いきなり告げられる感謝の言葉に動揺してしまう。聞きたいことは沢山あるだろうし、こちらにもある。謎だらけで信頼も何も無い相手に頭を垂れるという高潔さに、こちらの方が尻込みしてしまいそうになる。


 言葉がかけられない為に、2人の肩を叩いて顔を上げさせてから親指を立てるリアクションを取ることで応じる。「グジョッブ」が、この世界で通用しない可能性が頭をよぎるが、理解できたらしい。


 最大級の感謝に対し、常識では考えられない軽い返答をする変人に二人は一瞬、顔を見合わせるが取り敢えず納得してくれたようで、もう一度、深く頭を下げる。


 しかし、怪しいローブ男がまさか、この美しいエルフの旦那であったとは思ってもみなかった。別に、下心があって助けたというわけではないが、世界一と言われても納得できるほどの美女に旦那がいたというのは何となく微妙な気持ちになる。


それから、男は仁の方と目を合わせた後に彼女の手首を見てから、もう一度こちらに向き直って話しかけてくる。


「妻の錠を解いてもよろしいか?」


 そんなことが出来るのか、という驚きはあるが、自分に確認を取るようなことでも無いし、第一、出来るなら解いてあげて欲しい。頷きながら、両手の掌を向けて「どうぞ、どうぞ」というようにリアクションする。黒ローブは、荒唐無稽な仁の行動に、困惑した表情をするが妻の拘束をいち早く解いてやりたいのだろう。頷きとも感謝とも取れる会釈をしてから、左手で彼女の鎖を握りしめた。


「あなた、それは……」


「良い、大した痛みでは無い。クライン・ボーム」


 驚くべきことに左手の拳の中で、小さく爆発が起こり鎖が弾ける。しかし、今の魔法で合点がいった。おそらくだが、広場で仁達を助けた爆発は彼の魔法なのだろう。今の魔法の上位種的な魔法だろうか。


 男の体が一瞬、硬直する。小さなうめき声一つ上げないが、痛みを隠しているのが伝わってくる。小規模とはいえ爆発だ。それを、エルフに被害が拡散しないように握りつぶしているのだから、当たり前だ。しかし、ダメージを負った左手で躊躇なく足の鎖の方も握る。


 先ほどと同じように詠唱し、小爆発を起こすことで鎖を砕きちらす。


「ごめんなさい、あなた……」


「気にするな。当然のことだ」


 美しい夫婦の愛、夫の献身に敬意の眼差しを注いでいると、男の方が大切なことを思い出したように目を見開いてこちらに向き直る。突然の行動に一瞬身構えるが、男はそのまま頭を下げた。


「すまぬ! 妻に気を取られるあまり、恩人に名前すら名乗っていなかった。私は、ダリル=シルヴェスター。ダリルとでも呼んで欲しい。そして、こちらが我が妻のエリザだ」


 エリザの方も、己の失態を恥じるように頭を下げてから「エリザと呼んでください」と告げてくる。


 あぁ、またか。丁寧に挨拶をしてくれた二人に申し訳がたたない。こちらは、なにも返せないのだ。


 しかし、ダリルの方は気にする様子もなく言葉を続ける。


「ローブも取らせてもらうとしようか」


「えぇ、このお方であれば大丈夫でしょう」


「うむ、いつまでも正体を隠すのは失礼にあたる。貴殿は亜人への偏見もないのだろう」


 微笑むエルザに応えてそう言いながら、ローブを脱いだダリルは紅の龍であった。ベースが人であるにも関わらずそんな感想を抱かせる。


整えられた赤毛の短髪の両脇からは、太く逞しく、それでいて美しい純白のツノが生えている。それでいて顔立ちは、美丈夫とも男前と評しても相違ない整った人間的なものであり、見た目の年齢は自分より少し上くらいに見える。服の上からでもわかる体つきもしなやかに鍛え上げられた逞しいもので、ローブに隠されて見えなかった部分は人間のものに紅く美しい鱗が揃っている。ローブの下に隠れていた、上半分が鱗で覆われた尾は、やはり紅く美しい。


「ははは! ……流石に、貴殿も見るのは初めてか?そう、ドラゴニアンだとも。人間には、紅蓮と名乗った方が通りが良いのかな?」


 なんだか、勘違いをしながら通り名のような物を名乗る彼は仁が「紅蓮」に理解を示さないことを表情から読み取ったようで少し恥ずかしそうにしながら、取り繕うように言葉を続ける。


「し、知らぬのなら良いのだ! 私が少し傲慢だったな! 所で、差支えなければ貴殿の名前も聞かせてもらえないだろうか?まだ、声すら聞かせてもらっていないのだが……」


 当然の流れだろう。むしろ、今まで一言も声を発することなく接することに不信感を抱かない彼らが少し抜けているのだ。


 申し訳ない、情けない。しかし、どうすることもできない仁は、何とか伝わってくれれば良いと口を指さしてから両手でバッテンを作るリアクションを繰り返すことで「声が出せない」という事を相手に伝える。何とか二人にも伝わったらしく悲痛な表情を見せた後に何故か申し訳なさそうに頭を下げる。


「すまぬ。失礼なことを言ってしまったようだ。私の鈍さを許して欲しい」


「すみませんでした。まさか、声を出せないとは思わずに失礼を……」


 必死に頭を下げてくる二人に、逆に居たたまれない思いで、こちらも必死に両手を横に降るようにして応じる。二人に罪は無いのだから。


 彼らの人柄の良さも知ることができて、少しでも友好的に接したいと思った仁はこの世界にも握手という文化があることに期待を寄せて彼が火の玉を持っていない方の手、左手をダリルに差し出す。


「あぁ、ありがとう!」


 期待は成就したようで、ダリルの方も握り返そうと左手を差し出してくる。手が触れた瞬間、ジュッという音共に激痛が走る。


「ッづぁ!!」


「っ!す、すまん!先程のボームの余熱が残っていたのか!!私が熱に鈍感であるために気づけなかった!すまぬ!!」


 咄嗟に左手を押さえた仁に、必死で詫びるダリルの声にも反応ができない。


 仁に、かつてない衝撃があったからだ。もちろん、掌を焼かれた事も小事ではない。ではないが、比較にならない衝撃が仁の全身を焼いたのだ。全身を焦がした犯人は自分だ。自分の声だ。


――声が、出た……!?


 無論、仁とて声が出ないとは言っても掠れた喘ぎ声のようなものなら僅かには出る。しかし、今の痛みに咄嗟に出た声は全く違うものだ。


 スムーズに、それでいて声帯を震わすように、はっきりとした音となって声となったのだ。


 第二声を出したい。もう一度、声を上げてみたい。しかし、緊張と恐怖が少し邪魔をしてしまう。


 目の前では、2人が未だに自分の身を案じながら謝罪を続けているが今は入ってこない。


 勇気と声を振り絞り、もう一度、喉を震わせる。


「……あ、あぁー。あぁ!!あぁぁぁぁァー!!!!」


 瞳から熱が零れ落ちる。


 熱い雫が落ちる。


 全ての感情を表現しながら、祝福するように出る涙と泣き声は、正に『産声』。

 


 仁が一八年生きてきて初めて生まれた声が、産声が上がったのだ。




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