新1-7.彼女はそのようにして、世界を包む大いなる翼と出会ったという。
10/13 全体に大幅改稿を行いました。
シンシア達は地下闘技場からの帰り掛けに、係員に呼び止められた。
話を聞くと、『アンジェリカ』を買いたいという貴族が大勢居るというという事だった。
リーダーは大喜びで『アンジェリカ』を競りに出し、その参加者全員分の『枠』を承諾し、シンシアを恫喝し、頷かせ、その結果シンシアの自由は向こう数か月にわたって失われる事となった。
シンシアだって、恋愛小説の大好きな、お年頃の女の子だ。『買われる』という行為の意味もわかるし、そのおぞましさへの恐怖もある。
だが、戦闘において次元が違う程の格上――何がどうあろうと自分では勝てない絶対的な強者を相手に手も足も出ない敗北、あわや片腕を失うかという最後の斬撃の恐怖、それでへし折られてしまった剣腕への自信、そしてその直後にこれ以上ない程辛く当たってきたリーダーとクロードの対応で、シンシアを支えるものは何一つ残らない程にボロボロに壊されきってしまった。
何も信じられるもののない、何もすがるものの無いシンシアは、リーダーが脅しに掛かる低い声に、まるで野盗にかどわかされた町娘のように頷く事しかできなかった。
嫌だった。恐ろしかった。自暴自棄な気持ちなんて一切無い。なのに、抵抗しようという気持ちのひとかけらすら、湧かせる事は出来なかった。
突如として開かれた競売でシンシアは、男達の前で泥だらけのドレスを脱ぎ、替えのドレスに着替える事を強要された。それは死んでしまいたくなるほど屈辱的な事だった。そんな『アンジェリカ』に一番高い値を出したのは、聞いた事も無い名の貴族の男だった。
『一晩最初の数日間』という、一番価値の高い夜に100万ルピもの破格の値をつけて競り落とし、真っ先に帰っていった男の顔すらシンシアは記憶していない。
ただ、『競り』の総額は1000万を越えようかという事はぼんやりとわかった。『リーダーへの借金が返せる』という事項は凄く重要な事に思えたからだ。少なくとも、その借金さえ返済しきったら自分を恫喝してくる恐怖の対象から逃れられる、というのがシンシアにとって唯一の救いだったからだ。
長い時間を掛けた競りが終わるとシンシアは逃げられないようにクロードとリーダーに脇を固められ、そのまま馬車で『最初の夜』を買った貴族の元へと連行された。
馬車の中での会話は殆ど無かった。たまにリーダーから『粗相があったらどうなるか』と恫喝され、その度に心臓を震わせ、小さくうなずくだけだった。
そうしてシンシアは貴族の館の門の前に立った。
最後にもう一度、リーダーに髪の毛を引っ張られて恫喝され、シンシアは涙ながらに頷いた。
そこから先はエルピス西部地区において最高ランクとはいえ、汚らしい一介の『冒険者』の入り込める場所ではない。
館の従者達に案内されて、『アンジェリカ』を買った男の寝室へと連れ込まれる。
意を決して、そのドアを開けると――
「あ、シンシアさん。遅かったですねー」
酒に酔いつぶれているのだろうか、飲みかけのワインをテーブルに出しっぱなしにベッドに突っ伏して眠る男と共に、何故か、そこにはフレアが居た。
◆◆◆
フレアは、シンシアの気配を手繰っていた。
エルピスの街にてシンシアとよく出会うフレアだが、それは全て偶然の物ではない。毎回、フレアがシンシアを見付け出して接触を図っているだけだ。
元々、フレアにとってシンシアは『なんとなく気になる』程度にツバを付けていた子だが、【黒天狼】の監視任務にてシンシアがロックゴーレムの大群に向かって一人で突っ込み、延々と戦い続ける様を目にして以降は最重要の注目人物だった。
基本的に宿から動かないシンシアの気配が大きく動いた夜、フレアはひそかにその後を追っていた。シンシアの姿は最初から認識していないが、気が付けば反応は地下から感じられるようになり、そこからあまり動かなくなった。
(この辺りの地下……って言ったら、国家権力はおろか、ギルド管理協会まで見て見ぬふりをして黙認している賭け試合屋……あぁ、読めてきました)
フレアは数分間、熟考する。
「……ですよねー。やっぱり、念の為の確認くらいはすべきですよねー……アデルちゃん、ありがとうです」
フレアは虚空に向けて語り掛けると、地下闘技場へと繋がる店の一つに入る。
あからさまに奥へとつながる道を通せんぼしているボーイを見て、フレアはまた熟考する。
「……なるほどー……アデルちゃんは頭が良いですね」
またも誰も居ない空間とおしゃべりしながら、フレアは出来損ないの炎のような術式を即興で編み込む。
「えいっ」
適当にマナを固形化したその術式を投げると、もくもくと煙が上がった。
「……!? 火事だー!」
唐突に生じた煙に、店の中はパニックになる。奥への道を通せんぼしていたボーイも事態収拾のために動いた瞬間、フレアはさっとその先へと進み、目に入った階段を駆け降りる。
その先は、フレア自身初めて見る、地下闘技場の姿だった。映像投射の術式が貼り付けられた板は、そこらで簡単に得られるような物ではない。
そもそも、街の地下にこのような巨大な建物を用意する事そのものが尋常じゃない金銭の動きを感じさせる。
ブーイングの嵐と事態を収拾しようとする声の拡散術式でうるさい。地下闘技場と言う事だが、少なくとも何かが戦っている様子はない。強いて言えば、観客と運営者が戦っているようだが……
フレアはそこらへんに居た比較的会話の通じそうな男に声を掛けてみる。
「あのー、何が起こっているんですか?」
「やたら強い女の子が降参負けを受理されたんで、皆キレてんだよ」
「……? なんでですか……?」
「むさい男が嬲り殺しになるのと可愛い女の子が嬲り殺しにあうの、どちらが人気あるかって話さ。その子はそれまで無敗で、勝ちすぎてたしな」
あぁ、とフレアは納得行く……が、シンシアが負ける程の相手がそうそう居るものだろうかと考える。
「その子の名前ってわかりますか?」
「アンジェリカ。長い金髪の剣士だったよ」
……人違いか。それとも……
「真っ白いドレスにやたらと綺麗な剣を持った、13、4歳くらいの子ですか?」
「……何だ、試合を見てたのか?」
「いえ。私の友達だったようです。確認したくて」
「そうか、君はあの子の友達か……それは、大変だな……彼女が日常に戻ったら、優しくしてあげると良い」
「……何起きましたが? 聞いても良いですか?」
「今、彼女を買いたいっていう男達が別室で競りをしているのさ。俺も少し様子を見てみたが、ありゃぁダメだ」
「……詳しく」
フレアは、男に1万ルピ硬貨を渡す。
「……ここだけの話、数十人の男達に買われる話になっているんだよ。その順番を競う競りが今もまだ続いている。最初の数日間、要するに最初の一夜……今夜だね。それはヘンウッド卿が100万ルピも出して買い取った。その次もそのまた次も、普通の商売女と比較にならない高値がついているから俺は早々に降りたよ」
フレアは露骨に眉根を寄せて、苛立たし気に2枚目の1万ルピ硬貨を取り出して男に見せびらかしながら問う。
「その、ヘンウッド卿とやらについて何か知っていますか?例えば、屋敷の場所とか」
「卿の屋敷はメインストリート二十五地区の三番街にある。あまり大きな声では言えないが、『裏』の娼館の常連客だと噂に聞いているね。そう、ちょうど君くらいの……」
「ありがとうございます。参考になりました」
饒舌に語り始める男の言葉を遮って2枚目の1万ルピ硬貨を渡し、フレアは外へとつながる幾つもの階段を見、一人の男が登っている最中の一つをめがけて走り出した。
階段を上り切る頃にはその男に追いつき、通路を塞いでいるボーイが『親子連れ』のように誤認するよう仕向けて何事も起こさず脱出に成功する。
(地下で戦闘になったら犠牲者が出すぎますし、流石にそれは問題ですしね……)
幸いにしてフレアの持つコネクションの中で最大規模の組織、ギルド管理協会西部地区の支部はここからそう遠くない。
適当な文章で手紙を書いて封をし、丁度目に入った靴磨きの少年に1000ルピ硬貨と共に渡す。
「貴方はここから数キロ離れた場所にある、ギルド管理協会の支部の位置が解りますか?」
「うん」
「では、急ぎでこれを届けて下さいますか? とても重要な、一刻を争う手紙です。もし届けてくれたら、その先に居るカルネという男が1万ルピを払ってくれます」
「わかった」
少年が走り去る。駄賃の1000ルピで満足してしまわないか不安ではあるが、こちらは単なる保険だ。まぁ、最悪無くてもどうにでもなる。
フレアは空いている馬車に飛び乗って千ルピ硬貨を先に幾つか渡す。
「しばらくの間貸し切りでお願いします。最終的な目的地はメインストリート二十五地区の三番街にあるというヘンウッド卿のお屋敷、その間に冒険者向けの雑貨屋と私の着れそうなサイズのドレスを扱っている店に寄って下さい。順序とルートは任せます」
「かしこまりました」
◆◆◆
「本日、ヘンウッド卿に招かれた少女の付属品です。姉の競りはまだ、どうしても時間が掛かりそうなのでお詫びの印にと先に遣わされました」
自身の銀髪がよく映える黒のドレスを身に纏ったフレアが屋敷の門を叩いて、出てきた使用人達に唐突かつ嘘八百な自己紹介をした。
しかし恭しく頭を下げてくる使用人たちには一切疑問を持たれる様子すら無く、フレアは通される。どうにも、地下闘技場で貴重な情報を与えてくれた男の口にしていた、この館の主はロリでコンな噂というのはどうやら本当のようだ。それにはフレアも鳥肌が立ってしまう。
通された部屋では、脂ぎった男がワインを傾けていた。
「ほう……随分と可愛らしい娘ではないか。冒険者という物も、存外気の利いた事をする」
つま先から頭のてっぺんまで、なめまわされるような視線に、フレアは不快感を覚えるがそれを表情に出さないように目を瞑る。
「本来であれば姉を即座に持ち帰る権利を持ったヘンウッド卿を空手で帰してしまった事への、せめてもの罪滅ぼしです。私では姉の代わりとはなりませんが、せめて姉の到着を待つまでの間、私で無聊を慰めていただければとはせ参じた次第にございます」
「いや、良い。実に良い。最近はお前のような年頃の、美しい娘は裏でもなかなか見付けられるものではない。それも……近くへ来い。そうだ、もっとだ……ふふ……ふはぁ、なんと美しい銀色の髪、玉のような肌、そして赤い瞳。人のアルビノなど初めて見た。お前は私にとって、アンジェリカなどよりよほど価値がある。名は何と言う?」
「フレアと申します」
静々とフレアはワインボトルを傾けて空のグラスに注ぐと、フレアは男の身にそっと寄り添い、グラスを手に持って男の口元へと近づける。
男は上機嫌も上機嫌で、そのグラスのワインを一息に飲み干した。
フレアはそのグラスを受け取ると、背中を男の身体に預けながらまたワインを注ぎ込んで、背後の男を覗き上げながらそのグラスを男の頬に近づける。男はそれを受け取り、また一息に飲み干した。
「ふぅ……男の喜ばせ方がよく躾けられているじゃないか」
「こういった事は姉より慣れていますので」
「お前の身体は随分と柔らかい……剣など持ち上げも出来んだろう?随分と似ていない姉妹だな」
「姉は遺伝的に父方の血が濃いようなので……そうすると私は母方の血が濃い、と言う事になります」
お酒を注ぐ商売の女性のような振る舞いで、しかしそういった女性が通常しない『子供が大人に甘えるような』仕草を入り混じらせたフレアは男を興奮させるのに十分なものだった。
「もう、そろそろ良いだろう」
フレアがその軽い身体を持ち上げられ、ベッドへと押し倒される。
「わふ」
ぼふん、と音を立ててベッドが揺れ、男の手がフレアの首元に迫る。
「さあ……ぬ……げ……」
喋りながら急に頭を前後に振りはじめた男が、ばたんとベッドの上に倒れ込んだ。
「……速攻性の麻痺毒っていう割に、結構時間が掛かりましたねーでも、致死量を盛るわけにもいきませんでしたし……」
佇まいを直したフレアが、よっと起き上がると男の様子をうかがう。
男は麻痺毒と酒との相乗効果で完全に気絶しているようだった。しばらくそのままでいてくれると有難い。
フレアは脱出経路の用意に、小さなナイフでカーテンに切れ目を入れたり、飾ってあったサーベルが本物かどうか確かめて、窓際に置いたりと準備を整えていく。
ひとしきりの準備が整って、フレアも暇を持て余し始めた所に扉が開かれた。
数人の使用人に連れられたその背後には、シンシアがいた。
「あ、シンシアさん。遅かったですねー」
待ちくたびれたフレアは、やぁと手を上げながら語り掛けた。
◆◆◆
唐突なフレアに、シンシアは困惑した。
『旦那様!』と男に駆け寄る使用人達と入れ替わるようにフレアはシンシアの傍らまで走り、手を取った。
(逃げますよ、シンシアさん)
(え?逃げるって、でも私――)
(そんなのは後です!)
フレアに強引に手を引っ張られて、シンシアは窓際へと行く。フレアに手渡されたサーベルを、つい反射的に受け取ってしまったところで、フレアは窓を開けた。
「な……あの子たちに逃げられます!捕まえて!」
使用人達が、そのフレアの行動に先に気付いた。
「シンシアさん、私の手を取って下さい」
「――!」
シンシアは、フレアから差し出された手を握り返す。
「我らが翼は世界を覆う――あい、きゃん、ふらーい!」
フレアとシンシアは、同時に窓から飛び降りた。3階立ての建物からの自由落下は、しかしフレアが半端に切れ目を入れていたカーテンが勢いを殺してくれる。
しかし、フレアの弱弱しい握力では女の子供二人分とはいえ支えきれず、すぐに手が離れてしまう。しかしその瞬間――
「火炎爆破!」
フレアが、詠唱の集中など感じさせない速さで爆破術式を地面に向かって放つ。
ランクEの術師であるはずのフレアが、使い手だったらそれだけでランクCは下らない爆破術式を何の苦も無く使った――その事にシンシアは驚くが、今はそれ処ではない。
その爆音は激しく鳴り響き、風圧で若干巻き上げられた二人は、殆ど無傷で地面に降り立つ。
「あたた……」
地味に着地失敗しておしりを撃ったフレアは、シンシアから手を借りながら起き上がる。
「曲者!?」
爆破音に気付いて近づいてくる警備兵達を、フレアは圧縮術式の発動のキーとなる言葉すら発さず、《火炎弓》で牽制し、あるいは薙ぎ払う。
「こっちです!」
フレアの言葉に従って走ると、あからさまに壁で行き止まりでその先は無いのだが――
「火炎爆破!」
レンガ造りの壁は、爆破術式で粉々に砕ける。
この威力こそが、無条件でCランク扱いされる術式の威力。シンシアでは傷一つ付けられないロックゴーレムですら、直撃したら一撃の術式。
フレアはきょろきょろと辺りを見渡し、目的地を見付けたのか、シンシアの手を引いて走る。
「あれ! 乗って!」
フレアが指さしたのは、妙に豪勢な飾りのついた馬車だ。
二人は扉を開けて滑り込む。
中には一人の男が鎮座していた。その男は、溜息一つついて二人に毛布を掛けて隠す。
「そこの馬車、止まれ! 追い詰めたぞ!」
シンシア達を追いかけていた衛兵数人が、シンシア達の飛び込んだ馬車を取り囲む。
男は、窓を開けると衛兵たちに声を掛けた。
「……一体、何の騒ぎかね?」
「ヘンウッド卿の屋敷に入り込んだ賊がこの馬車に乗り込んだ!引き渡してもらおう!」
「賊、とは?この馬車には私しか乗っていないが?」
「痴れ事を!金髪の少女と銀髪の少女だ!その馬車に乗っているだろう!」
「あぁ。その二人なら先ほどあちらへ走って行った」
「どうあっても我らを愚弄するか! 中を改めさせてもらう!」
「まぁ、待ちたまえよ君ら。これでも私はエルピス西部地区の《ギルド管理協会》を取りまとめる立場にあってね。どうしても君らが先程そこを走り去った少女達の関係者だと言い張るのであれば、職務に則り君たちと屋敷の主を詰問せねばならないのだが……『何故彼女らは屋敷に入り込めた』のかね?」
衛兵たちは、ぐっと言葉に詰まる。
「君らの言う少女達は、あちらへ走って行った。それで良いではないか。君らも、雇い主の身を破滅に導きたくはないだろう?」
沈黙が、流れる。
「……強力に感謝する」
衛兵たちは、男の言葉通りの方角へと走って行った。
「……はぁ。フレア。君は何故毎度毎度、このような苦境を私に用意してくれるのかね?」
「何を言うんですか。権力をたてにした嫌らしい脅しです。私には到底真似できません。及第点をさしあげます」
シンシアは、軽口を叩き合う二人に困惑するしかない。
《ギルド管理協会》といえば、ある意味では『教会』や『国』よりも強い権力を持つ組織。
その、支部とはいえ責任者の人が、何故こんな所に。
いや、それだけではない。ランクEという話だったフレアの使った爆撃魔法に、無詠唱の《火炎弓》。《魔力放出》に関しては完全に門外漢のシンシアにすら解る。
フレアは、Aランクギルド【黒天狼】の魔術師部隊で一番の術者であるクロードよりも、よほど凄い魔法使いだ。
「さてー……私がシンシアさんを助けたのには、個人的なお気に入り以外にも理由があってですねー……」
フレアは、んー、と考えて、口を開いた。
「……やっぱり、私のお気に入りっていうだけでした。シンシアさん、《ギルド管理協会》に入りませんか?」
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